壱 黄金に輝く運命の夜


奴隷収容施設ここに来ておよそ一年…変わらないと思っていたユウの生活は、徐々に変化をきたしていた。


——彼…ユウが初めて声を発した相手。

あの、赤いピアスを付けた大男の存在である。


変わったと言っても、毎日の拷問の後、彼と少し言葉を交わすだけ。

たったそれだけだったが、底なしの闇に唯独り、孤独に彷徨っていたユウにとって、それは大きな変化だったのだろう。

心なしか、次第に彼の様子も明るいものとなった。


当然、初めは一言二言程度であった。

しかし、それは時を経るにつれて少しづつ増えていき、いつの日からか、彼等の奇妙な関係が築き上げられていたのである。


彼の話は単純だ。

だが、それを面白く感じる。

——外の世界。

彼が、ユウの世界から一歩外した、“外の世界”を、ユウに教えてくれたのだ。


外には何があり、どういうものがあるのか…

一体何が起こって、今どうなっているのか…

ユウにとっては、これがたまらなく楽しかったのだろう。


——お互い、名前も知らない。

少なくとも、ユウは彼の事を殆ど何も知らなかった。

だがユウは、いつしか彼との会話を待ち遠しいなどと思うようにもなっていたのだった。


そんな、ある夜の出来事である——


「……」


独房の小窓から差し込む月明かりは、硬い床から伸ばされた右腕にのみ受ける。

ユウは、ただその手をボーッと見つめていた。


手首から上——それは、拘束具で手首を固定するため、殆ど一切の傷跡が無い。そういう意味では、首から上を除けば彼の身体の中で最も美しい場所とも言える。


こういった理由からか、別の理由からか、はては理由など存在しないのだろう、彼は、こうやって自分の手を見つめる事が多かった。


そして、彼はこの世界の事について考えた。



____この世界は、俺の知っている世界じゃない。

あいつの話では、外の世界では飛竜が悠々と大空を舞い、獣達は地を駆け、そして大地の恵みを受けていると言う。


もちろん、そんな話、最初は信じなかった。

でもあいつのあの話ぶり…それがどうにも嘘には聴こえない。



「……」


そこまで思考した後、ユウは一つ、溜息を吐いた後、その瞳を閉じる。



——だから、どうした?



この世界が異世界であろうがなかろうが、今の彼は奴隷なのだ。

下手を打てば——いいや、このままでも一生奴隷である事に変わりはないのだろう。


しかし彼は、その事実に一切の危機感を覚える事がない。

もはや、自分の生きる意味を考える事すらもやめていたのだった。


——だが、そんな彼の人生は今夜、終止符を打つこととなる。


それは、突然だった。



ジリッ…



「!」


妙な音ともに、手の先が光った気がした。

ユウは、自分の掌をこちらに向け、凝視する。

しかしこれと言った異変は見当たらない。



……気のせいか?



声にならない程小さくそう呟いた後、ようやくユウは手を下ろした。

右腕で目元覆うようにして、瞼を閉じる。

そうして静かに睡魔を待っていると___



ジリッ…



「!」


再び、妙な音ともに視界が少し光った。

それにユウは飛び起きるようにして上体を起こすが、やはりこれと言って怪しいものはない。


そうしていると——



ジリッ…!



再び、妙な音がした。

しかし、今度は光った気がしただとか、小さく光っただとか、そんなものではなかった。


——明らかな閃光。

それは視界の右下の隅を光源としていた。


ユウは、ゆっくりと自分の腕に目をやる。

すると——



ジリッ…ジリジリッ…!



「!」


ほのかに光を放ち続けながら、自身の右腕が蒼い雷に覆われているのを見た。

それに驚き、思わず腕を遠ざけるような動作をする。


「……」


だが、その雷は一切の被害が存在しないようにも思えた。

というよりは、初めて見るはずのそれは、何故か自身の身体の一部の様に思えたのだった。


「……ッ」


次に、ユウはその雷の大きさを自分である程度に操作できる事に気がついた。


「これは…一体…」


長い間、拷問にも似た暴力に晒され続けていた為か、それともこれを身体の一部と認識したためか、ユウは一目見たときこそ戸惑った物の、一分も経たないうちにそれに対する戸惑いを完全に失っていた。


むしろ、特にやることも無く、さらにこの現象のお陰ですっかりと眠気の吹き飛んでいた彼は、珍しく自分が興味の湧いたものだなと、その雷を暫く弄ぶ事にしたのだった。


ユウはすぐにコツを掴み、時間が経つにつれ、雷を出したり消したりと出来るようになり、そして雷の大きさを自分で変更できる様になり、挙句にはその雷を掌で任意の形に作り出す程に上達していた。


そして、ユウは掌に雷を球体に形成すると、しばらくそれの作り出す光を眺めていた。


すると、小窓から入ってきたのか、一匹の虫が彼に近づいて行った。

その虫は、彼の作り出す球放つ光によってきたものだった。

虫は、ゆっくりと球に近づく。

ユウの視線は、その虫へと注がれていた。

そして——



ジリッ…!



「!」


その虫が球に触れた途端、触れられた部分だけが過剰に大きくなり、黄金こがねに輝いた。

そして虫は地面へと落ちる。


——絶命したのだった。


「ッ……」


ユウは明らかに動揺した様子だったが、しかし彼の好奇心はそこで尽きない。

恐る恐ると左手で、その球に触れてみる。


——しかし、左手は球を存在しないものの様に貫通し、球の方もまた、左手に触れられている事などあってない様に依然同じ様に振る舞い続けていた。



カンカンカンカンカンッ!!



「ッ!」


突如、鐘の音が響き渡る。

それにユウは、反射的に雷を収めた。



——この音、確か何かしらのトラブルがあった時の警報みたいなものだったはずだ…

前にも他の奴隷が逃げ出した際にも流れていた。

じゃあ、何かしらの事があったのか。

だが——俺には関係の無い事か…



静かにそう思考すると、彼はゆっくりと身体を下ろす。

鳴り続ける警報音で、完全に興を削がれてしまったユウは、そのまま寝る事にした。


——そうして暫く経ったが、一向に警報は収まらない。

それどころか、傭兵達が慌てて走り去っていく足音まで聞こえてきた。

そんな状況下で寝れる筈もなく、ユウはムクリとその身体を起こす。


ふと、牢の、鉄格子の入り口が目に入った。

その時、ある事を思いつく。


ユウは右掌に再び雷の球を形成する。

そして、力はそのままに、大きさを小さくしていくのだった。

球が小さくなる度、光の大きさは増していく。

弄ぶ過程で、これに気がついていたユウは、もしかすればこの雷は圧縮する事が出来るのでは無いのかと考えていたのだった。


とても小さくしかし今までに無いほどに輝きを放つそれは、いつのまにか黄金こがね色に輝いていた。

ユウはそれを、鍵の部分へと近づける。

すると——



カランッ…



まるで、溶断されたかのように、錠前は音を立てて地面に落ちるのだった。


ユウはそれに口角を上げた。



——脱出出来る。



その思考に至るなり、ユウは足輪の留め金も同様にして解除すると、入り口に向かって駆け出して行ったのだった。


彼のこの強靭な精神は、皮肉にも、十年以上にも渡る、暴力に晒され続けてきた過酷な人生による賜物であった。





「——やっぱりいるか…」


角で、壁に背を預けたまま先の様子を確認したユウは、小さくそう呟いた。


いくら傭兵の足音がしていたとはいえ、全員が何処かへ行ったわけではないのだろう。

角の先では一人の傭兵が見張りとして立っていたのだった。


ユウは右手の拳を握りこむと、小指と人差し指だけを少し前に出し、そして力を込めた。

すると、指の間を蒼い雷が一本の線を描く。

そして、さらに力を込めていくと——



バチバチッ…!



音が変わった。



——このくらいか。



幸い、まだ鐘の音が鳴り続けている為、先の放電時の音は角の先の傭兵に届いていないだろう。

ユウは雷を納めると、ゆっくりと傭兵にしのびよる。

そして——



バチッ!



一瞬で先程とほぼ全く同じ線を作り上げ、それを傭兵の首筋に押し付けたのだった。

間も無くして、傭兵は倒れ、身体を痙攣させる。

もはやまともに声すらも出せる状態ではないだろう。


「いけるな…これ。」


スタンガンを模したこの作戦は上手く行き、傭兵を無力化する事に成功した。

ユウはそれに口角を上げると、そのまま出口へと目指して行くのだった。





傭兵が非常に少なかったこともあってか、何事もなく、順調にユウは入り口寸前にまで辿り着く。

道中、四名の傭兵を気絶させたが、脱出を敢行してからまだ三分ほどしか経っていない。


おそらく、まだ彼の脱出はバレていないだろう。


「——妙だ…」


裏門の前まで来たユウは、そう呟いた。

一番守りの硬いと思っていた門。

だが、予想に反し、傭兵は一人として立っていない。

完全に誰もいない状態である。


ユウは警戒しながら遮蔽物に隠れるようにして端を歩き、ついに門の前に立ったのだった。

やっと、脱出出来る。

その期待を胸に、走り出したユウをとある一声が止めた。


「そこまでだ!」


「!?」


突然の声に後ろを振り向くと、そこにはいつもユウに鞭を打っていたあの男が立っていた。


「ヒヒヒ…まさかお前がここまで大胆な事をするだなんて…いつも無言で俺の打つ鞭に耐えていただけなのに…」


「……」


「——今すぐ戻れ、そうすれば半殺しで許してやらんこともない。」


「誰が。」


鼻でその言葉を笑い捨てると、そう返した。


「ヒヒヒ、だろうな、だがこいつを見ても同じ事が言えるかな?——おい。」


側の傭兵に一声かけると、後ろからボロボロになった男を引きずって傭兵が二人出て来た。

彼らはユウの前にそのボロボロの男を投げ出す。


「ぐはッ…!」


「…ッ! お前は…!」


見知った顔だった。


「へへへ…なんて顔してやがんだ、魔族の坊主…とっとと走れよ、俺の意味がなくなんだろうが…」


ぶっきらぼうな口調。

彼は、ユウが唯一言葉を交わしていた男____

それを前に、彼の足は完全に動かなくなっていた。


「なんで…ここに…? 離れたんじゃなかったのか…!」


「野暮用…だ…」


「ヒヒヒ…腕の立つ男だったが、なんとも馬鹿な奴だ。まさかいきなり真正面から殴り込んでくるんだからな。お陰で何人かに逃げられたが…処理は済ませた、あとはお前だけだよ!」



バシッ



「ぐあッ!」


男はボロボロになったその背に手に持った鞭を叩きつける。


正面から…? まさか…この鐘は…!?


「ったく…こんなとこに居やがって…どんだけ探したと思ってんだ…?」


「黙れぇ!!」


「ぐあァ!」


再びその背に鞭を打ち付けられる。


「さて…ここでお前に一つ選択肢をやろう。」


「ッ……」


奴隷商の男は傭兵から剣を受け取ると、その剣先を地面に横たわる、ボロボロになった男の首筋へ突きつけた。


「三つ数える内にこっちへ来い、じゃなきゃこいつの首を掻っ切る…!!」


「ッ…!」


表情が自然と強張った。


「一つ…」


「行け、早く! 走れ!」



待て、じゃあお前はどうなる…?



声にならない声が出た。


「二つ…」


「早くしろ! 今なら間に合う! 俺のことは放っておけ!」



嫌だ…そんな事をしたら、お前は…!



「三つ…」


「走れ! 走るんだ! ユウ!!!」



ユウ…!?



「時間切れだ。」



ブシャッ…



血飛沫が舞う。

首に剣を刺されてもなお、男はユウに手を伸ばし、こう言った。


『早く逃げろ。』


ドサッ


ユウが膝から崩れ落ちる。


「うああああああああああああ!!!!!!」


生まれて初めて、大声をあげた。

生まれて初めて、こんな気持ちになった。

生まれて初めて、誰かが、自分のために何かをしてくれた。


そんな人間の行為を、自分は無駄にした。


その事実に、ユウの心は完全に壊れ、ただただ叫ぶしかなかった。


「あーあ…逃げなくていいのかぁ? まあ、もう間に合わないんだけどな! アヒャヒャヒャ!!」



ポワンッ



門に虹色の盾の様なものが浮かび上がった。

それは本物の壁のように実体が存在し、それより向こう側へ行く事の叶わない代物だった。


しかし、ユウはそれを確かめるどころか、それが貼られた事にすら気にも止めていない。

ただ、何かを小さく呟き続けるだけであった。


「ハァ…最初は何かに使えるとも思ったが…人形を殴っているも同然だしな。それに、多分お前は魔族じゃないし、そうだな、この際脱走しようとしたのでやむ終えず殺した事にすれば問題はないか。——お前ら、やれ。」


後ろから出て来た傭兵達が、その剣を抜く。


「へへへ…お前に対しての恨みは無いんだがな…俺は一度魔族ってのを斬ってみたかったんだ!」


振り上げられた劔。

その刃は、ユウの首を狩り取ろうとした。

しかし——


「あれ…なんで…!?」


気付けば、男の腕から先が消えている。

そして、噴水の如く鮮血が吹き出ていた。


「そうだ…そうだよ…そうだよな…」


「お前…それは…!?」


もう片方の傭兵はすぐさま距離を取り、後ろにいた仲間へ救援を呼ぶ様に命令する。


「全部…全部無かった事にしよう…」


腕を失った男は、恐怖に立ち竦んでいる。


「全員…全員…」



スパッ…



傭兵の首が宙を舞った。


ユウの右腕からは、まるで剣の様に黄金こがね色の雷がその形を形成している。

それを見た鞭を持つ奴隷商の男は驚愕の声をあげた。


雷刃らいじん!? いや、それよりも魔法だと!? なぜ使える! 首輪が壊れたのか…!?」


傭兵達が奴隷商を後方に下げ、手に持った剣を構える。

しかしその足は既に恐怖で震えており、徐々に後ろへと下がっているのだった。


「お、お前ら! 怖気付くな! 相手は一人だ! ここで戦果を上げたいとは思わないのか! 人数でおせば___「全員、殺せばいいよな?」



ズシャァッ!!



凄まじい音ともに、ユウの右手から生成された雷刃が、黄金こがね色の剣線を描いた。

それと共に、傭兵の身体が上下真っ二つに切断される。


「速い…!?」


「あぁ、あああ!」


「落ち着け! 早く中に逃げろ!」



カキッ



ユウの刃が受け止められる。

それと同時にユウは強烈な後ろ蹴りが彼の腹部を貫く。


「ぐぅッ!?」


男は、気絶しそうになるのを堪え、ユウの攻撃を受け続けた。

しかし——


「ガコッ…」



プシャアッ!



喉を一突きされると同時に、大量の血を吐き出し、倒れる。


「…ッ」


ユウは首を傾げると、先程奴隷商の逃げた通路に、数名の傭兵が剣を構えて立っていたのだった。


それに、ユウは不気味なほどに口角を吊り上げる。


そして、再び凄まじい剣撃が放たれた。



これだ…これだ…!



彼の死など、もはや心になかった。

なんのために戦っているかなど、自覚しなかった。

だが彼は、タガが外れた様に壊れてしまったその心をただただ維持するためだけに、ただそれだけのために、雷刃を振るった。



この感覚は…良い、嫌いじゃない…

むしろ、身体を全て、全て預けてしまいたいような…!!



彼が一つ、雷刃を振るう度、歴戦の傭兵達がその顔を歪める。


もはやこれは戦いとは呼べなかった。

一方的な殺し——殺戮だった。


ユウは…少年は今、夢の中にいる。





「馬鹿…な…」


奴隷商は恐怖にその腰を抜かすととなっていた。

目の前に写る死屍累々の光景、そしてそれを行った本人、人類に仇なす者に。


「四十三の傭兵が…全滅…」


股間からは糞尿を垂れ流し、顔は涙や鼻水でグシャグシャの状態である。

しかし、逃げなくては、という彼の生への執着心が、その意識を手放さない物へと変えていたのだった。

しかし、それが不幸を招く結果となっているのは言うまでもないだろう。


「お前で最後か…」


死の象徴、それは少し残念な表情をした後、しかしそれでもと口角をまた吊り上げた。


「やはりお前は…魔族…ッ!」


涙でもはや捉えることすらままならない視界で、そう呟く。


絶対的恐怖の具現、それが黄金色に輝く刃を振り上げた。



バチッバチバチバチッ!!



周囲を纏う雷がより一層強くなっていく。

まるで彼自身が放電しているかのような錯覚に陥るほどだった。

いいや、錯覚ではない。

事実、彼は全身からその強烈と受け取れる雷を帯電させている。


その音が、一つ、また一つと恐怖を繰り上げて行く。

今までにない程強大な力を込められているのを実感した。


そして——


「死ね。」



ドゴォォッッ!!!!!



爆音とも受け取れる轟音を発し、視界は黄金こがねの光に包まれた。

しかし、視界の消える寸前、垣間見たその無邪気にも見える笑みは、権限せし殺戮——まさにそのものだった。



——その日、たった一晩で、一つの奴隷商団が壊滅した。

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