第25話 Boy's Side(11)

 女子部の周りに何があるのかまるで知らなかったから、サラの知っている喫茶店まで連れて行ってもらった。家庭的な雰囲気のあるこじんまりとした店だった。

 そして今、ぼくの正面で女の子が一人テーブルに突っ伏していた。目の前に置かれたクリームがたっぷりかかったパンケーキも彼女の気分をよくしてはくれないようだ。

「もう、どうしてそういうことを言っちゃうの?」

 ようやく顔を上げたサラがぼくに向かって不満をこぼす。

「いや、だって、あのときは自信たっぷりに見えたからさ」

「そういうことじゃないよ。そういう意味じゃないんだよ」

 サラが怒っているのは、この前テニスクラブでヒカルちゃんに会ったときに、サラが「ヒカルちゃんに負ける気がしない」と言っていたのをぼくが伝えた件だった。

「じゃあどういう意味なの?」

 訊いてみてもサラは答えずに黙って頬を膨らませるだけだった。

「もう、いくらリョウマくんでもそういうことをしたら怒るよ。わたし、ヒカルちゃんとどんな顔をして会ったらいいの? 殺されちゃうよ」

 ぼくも「ヒカルちゃんに殺される」とよく怯えているから、親近感の持てる態度だった。

「でも、それで言うとさ、サラがヒカルちゃんに、ぼくに告白した話を電話でわざわざ伝えたのも、ぼくには“どうしてそういうことするんだ?”って感じだよ?」

「別にそれが目的で電話したわけじゃないけど、流れでついそうなっちゃたんだよ」

 それは流されすぎじゃないかなあ。サラはようやくパンケーキに手をつけた。

「ヒカルちゃん、リョウマくんになんて言ってた?」

「わたしには関係ない、あなたたちで勝手にやって、の一点張り」

「じゃあわたしが電話したときと一緒だ」

 それからしばらくは、サラは黙々と食べ進めた。ぼくも黙ってホットココアを飲む。

「でも、本当はそうじゃないと思う」

 パンケーキが半円になったところでサラが話し出す。

「ん?」

「ヒカルちゃんはうぬぼれている、ってわたし思うんだ。あんなにかわいいから、うぬぼれるのもしょうがないんだけどね。むしろそうなってあたりまえなのかも」

「ヒカルちゃんは別に性格悪くないよ」

 好きな子の悪口を言われたようでつい反発してしまう。でもそれを言ったのもぼくの好きな子だ。

「文句を言ってるんじゃないから怒らないで。わたしもヒカルちゃんは好きだよ。でも、ヒカルちゃんは、自分が何をしても、どんなことになっても、リョウマくんはそばについていてくれる、って、そう信じてるように、わたしには見えるの」

 ぼくにはそうは思えなかった。もしも今すぐぼくがこの世から消えてしまったとしても、ヒカルちゃんは眉をぴくりとも動かしすらせず、さっさとぼくのことを忘れてしまってもおかしくない、いつもそんな風に思っていた。

「逆にリョウマくんにはもうちょっとうぬぼれてほしいかも」

 ぼくの話を聞いたサラが淋しげに微笑んだ。ここで話を切り出すべきだ。そういう気がした。

「サラ」

 声だけで何か察したのだろうか。ぼくの顔をまっすぐに見すえた。彼女の視線を受け止めてから口を開く。

「最初に謝っておくよ。ごめん。ぼくはサラのことが好きだけど、それでもやっぱりヒカルちゃんが好きなんだ。あの子じゃないとぼくはダメなんだ。サラを好きな気持ちとヒカルちゃんを好きな気持ちは違うって、最初からわかってたのに言えなかったぼくが悪いんだけどさ。あんなことをしておいて、いまさらこう言うのはひどい、って自分でもわかっている。謝っても許されないのはわかっているけど、でもそうとしか言えないんだ。ごめん。本当にごめん」

 頭を下げたのは、心から謝りたい気持ちがあったのと、傷ついたサラの顔が見たくない、という2つの理由からだった。ぶたれてもしょうがないと思った。いや、サラがおじさんに殴られたように、ぼくも殴られるべきだった。頭を下げたまましばらく待っても何も聞こえない。傷ついた泣き声もぼくを責める怒りの声も聞こえない。それどころか、最初に聞こえたのは、転がるような笑い声だった。

「サラ?」

 驚いて顔を上げると、サラが右手を頬に添えて笑顔を浮かべていた。とてもではないが、ついさっきふられたばかりの女の子には見えない。

「よかった。リョウマくん、わたしのこと、好きなんだ。てっきりダメなのかと思ってた」

 あれ? ぼくの言いたいことが伝わってない?

「サラ。いや、そうじゃなくてさ。ぼくはヒカルちゃんが好きなんだよ。だから」

「それは知ってるって。こないだ、わたしも言ったじゃない。そのことは、たぶんリョウマくんよりも知ってる」

 それでどうして笑えるのだろう、と思っていると、サラは目の前にある水の入ったコップを右の人差し指で触った。

「同じものを見ていても考えることはみんな違うんだね」

「え?」

「ほら、よくあるでしょ? 水が半分くらい入ってるコップを見て、“まだ半分も入ってる”と思う人と“もう半分しかない”と思う人がいる、って」

 それならテレビで観たことがある。ぼくと母さんは「もう」派で父さんは「まだ」派だった。

「じゃ、わたしはおじさんと同じだよ。リョウマくんは“好きだけど違う”のを気にしてるんだろうけど、わたしは“違うけど好き”なんだ、って思って嬉しかったんだ。嫌われてなければ、それでいいんだよ、わたしは。たとえ、リョウマくんがわたしよりヒカルちゃんの方が好きだとしてもね」

 わかっていなかった。小さな頃からずっと一緒にいて、サラのことを結構知っているつもりでいたけど、全然そうではなかった。ぼくが考えていたよりずっとサラは奥の深い女の子だった。

「でも、わたしも聞きたいんだけど、リョウマくんは本気でヒカルちゃんと付き合いたいの?」

「本気だよ。本気でそう思ってるよ」

「そう。でも、ヒカルちゃんと付き合うのはすごく大変だよ。あの子は自分に厳しいから、他人にも厳しいよ。きついと思うけど、それでもいいの?」

 たぶんサラの言う通りだ。ヒカルちゃんが「上位クエスト」なのはよく知っている。大変なのは覚悟しているつもりだ。それに、一度はうまく行きかけたこともあるのだ。チャレンジする価値はあるはずだった。

「わかってる。それはわかってるつもりだよ。それでもヒカルちゃんがいいんだ」

「そう」

 パンケーキにセットでついていたジャスミンティーをストローで飲んでから、サラはしゃべり出した。

「そうだね。リョウマくんの気持ちはわたしにもよくわかるよ。あきらめられないんだね」

 ぼくを見たサラの目が涙で濡れていた。

「だから、わたしがリョウマくんをあきらめられないのもわかってほしい。リョウマくんとああいうことになって、わたし、すごく嬉しかった。そうなれるなんて思いもしていなかったから。そして、一度そういうことがあったなら、もう一度あったって何もおかしくないよね? リョウマくんがどう思っているのかわからないけど、わたしは今でももう一度したいと思ってるし、そうなれるって信じてる」

 言葉を返すことはできなかった。何故なら、サラが今言ったのと同じことをぼくもヒカルちゃんにテニスクラブで言っていたからだ。偶然のあやまちではなくもう一度起こることを信じている、と。だから、サラの言葉を否定することはあのときのぼくの言葉を否定することになってしまう。

「わかった。サラの気持ちはよくわかったよ。今すぐ何かできるわけじゃないけど、サラが本気なのはよくわかったよ」

 こんなことを言ったところで何か意味があるのか、自分でも疑問だったけど、

「わかってくれたなら、いい」

 少し時間が経ってから、サラはハンカチで涙を拭きながら小さく呟いた。そこで一度トイレに行くことにした。泣いている女の子から逃げるようで嫌だったけど、生理には勝てない。

 用を足してから手を洗おうとして、洗面台の鏡の中に情けない顔をしている男子中学生がいるのが見えた。弱っちいやわな心の持ち主だと一目でわかる。でも、今はせいぜい強がらなければならなかった。濡れた手で顔をこすりあげてから、トイレを出る。

「遅かったね」

 席に戻ると、サラはまたパンケーキを食べていた。少し機嫌も直ったように見えた。

「ねえ、今夜、メッセージを送ってもいい?」

 この前のファミレスで通話アプリでサラとは連絡が取れるようにしていた。

「別にいいけど、なるべく早い時間がいいな。眠っちゃうかもしれないから」

「わかった」

 そう言うと、フォークで刺した最後の一切れに皿の上に残ったクリームをすべてなすりつけてから、ぼくの方へと向けてきた。

「はい、あーん」

「え、いや、ちょっと」

 店の中に客は少なかったけど、それでも人目はあったし、クリームまみれのパンケーキを食べるのもためらわれた。見ているだけで胸焼けがしそうだ。

「あーん」

「あの、サラ、ちょっと」

 それでもサラはフォークを近づけてくる。どうしてだろう、サラは笑っているのに、すごいプレッシャーを感じる。

「あーん」

「あの」

 そうか。ぼくは今、サラが怖いんだ。それにやっと気づいた。こんなにかわいい女の子なのに恐怖してしまうのが不思議だった。でも、考えてみれば、ヒカルちゃんも怖かった。彼女たちに比べればホラー映画なんて大したことはないような気がした。女の子は皆怖い生き物なのだろうか。

「あーん」

「むぐ」

 唇に触れたところでやむを得ずパンケーキを口に入れた。やっぱり甘い。甘すぎる。それでも、なんとか飲みこんでみる。ぼくが目を白黒させているのを見て、サラが、ふふふ、と笑う。

「ね。おいしいでしょ?」

 黙って頷くしかなかった。そして、サラは腰を浮かせると、さっき涙を拭いていたハンカチでテーブル越しにクリームで汚れたぼくの口元を拭き出した。

「ふふ。リョウマくんって、本当にかわいい」

 14歳にもなって「かわいい」と言われるのは男として正直情けない気がする。そうは思っていても、今のぼくはサラのなすがままになるしかなかった。

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