女神降臨 前編

 わたくしが始めたことは、とてもシンプルなんですけれどね。

 まずはわたくしの臣下となった者達から話を聞き、情報を仕入れました。ずうっと人間世界の奴隷身分だったもので、あちらの常識にはいまいち疎くて、その辺りの見解の相違も学んで埋めていくことにしました。



 だってわたくし、頂点に立つ身ですのよ。下々の作法にわたくしが従うのではない。わたくしに皆が従うのです。いずれ必ずそうならねばならない。そのための勉強でした。だって相手を知って、許せること、共感すること、許せないこと、度しがたいことなどがわかっていなければ、何をすることもできないではありませんか。敵も味方もあちらの方が多いのです。数でかかってこられては勝てません。だからその数を分析し、解釈し、弱い一点を見つけて突く。ですから、しばらくはただひたすら皆様のお話を聞いてそのすべてを我が物とすることに努めました。


 相手のある姿、相手に自分が望む姿、相手が自分に望む姿、自分の姿。自分を動かして相手に働きかけて調整して、最終的には相手を自分の望む姿に一致させるまで持って行く。コミュニケーションとはそうしたものでありましょう? 崩れた鏡で衣装を整えるのと同じこと。

 ……わたくしがこの方法で思い通りにできなかったのは、イライアスぐらいでしたよ。



 集めた情報は分類して整理します。今いるものと、今はいらないけどキープしておかなければならないもの、いらないもの。単純な優先順位付けですね。

 それにいつから、いつまで、等々の時間情報を付加し、逆算していきます。

 うふふ。パズルや盤ゲームに似ているでしょう? ピースなら大きさや形、向きを。駒なら軌道や役割を考えて、理想に近づくように適切に誘導してあげる。計算にはよく誤差が発生しますから、都度修正する。それを繰り返していくだけ。

 こんなものはただの作業です。退屈な暇つぶし。



 分類できたら、さらに細かく精査していきます。



 今いるものは、最重要。期日までに足りなければ、足りるまで確保しなければなりません。確保するためにやること、やらないことを整理します。

 できなかったら? 可不可は選択肢の次元ではないでしょう。単に能力の問題ではありませんか、ばかばかしい。できない者に仕事なんか回しません。



 次。キープするものは、キープのコストとリターンの目処を計算します。反乱軍はけして強固な一枚岩ではなかったし、王妃の軍と比べたら、実質の規模としては十分の一以下だったでしょう。何しろ我々は汚い戦闘民族の亜人ですからね。双方に適当な返事をして、漁夫の利を得ようとする者の多かったこと多かったこと……。


 まあつまり、我々全く余裕がなかったのです。コストが回収できないと予想できるものをいつまでも持ってはいられませんでした。

 しかしキープするものとはすなわち、いるかもしれないものでもあるのですから、取捨選択となると、想定の範囲ではあると言え、結構揉めました。わたくし基本的に大人しくして、最初は経験者に任せていましたが、その内議論の場があまりに膠着して退屈なもので、口を挟んでわたくしの言で決めさせたのです。

 有事に行う合議制ほど無為なものはありませんね。一致するなら団結力も増しましょう? でも大抵そういうときって、お互いに足を引っ張り合って何も決まらないものですよ。


 そんな強引なことをして、不満は出てこなかったのかと? やはりと言いますかなんと申しますか、いかにも豪傑な将軍のお一人に、お飾りの小娘は座ってちやほやされていれば良いのだと揶揄されましたよ。


 ですからわたくし、その方の目をじっと見て、にっこり笑ってこう声をかけてあげたのです。


 よろしい。元はと言えばそもそもわたくしに口を挟ませるまであなた達が結論を出せなかった気がするのですけど、そんなことをわたくしが口にするのはみっともない言いがかりですものね。


 ――この時点で真っ赤になって、面白かったですよ、あの人。わたくし笑ったまま続けました。


 小娘なれど、わたくしはあなた様がたの頭、責任者でございます。いざとなったときには首を払わねばならない。ですからわたくしがこうと言ったことであなた達に致命的な損害が出たのなら、そのときにはわたくしを、どうぞ煮るなり焼くなり殺すなり――犯して子を孕ませお前が新たな王となるなり、好きにすれば良い。わたくしはその程度の覚悟はとうにできています。

 ただし、よろしくて? わたくしの無能が事実でなかったのなら、皆の長たるわたくしを疑い、あまつさえ侮辱し、士気を下げる原因を作ったお前の罪――さぞ立派に償ってくれるくれるのでしょうね? と。


 結果? 言うまでもないでしょう。わたくし勝機のない賭けはしません。

 それにもし仮に万が一負けて男が夜這いに来たとしても、適当にもてあそんでから事故を装うなんて造作もないこと。

 だってどんなに身体を鍛えた所で、生殖器官の強度なんてたかが知れているでしょう? 噛みちぎるなんてわけないですよ。わたくしの牙は鋭いのですから。


 わたくしにとっては彼もまたキープ。すぐに殺すほど役立たずではないけど、ずっと置いておきたいとも思えなかったし、何かきっかけがあったら排除しようと思っていたんです。ですからあちらから突っかかってきてくれて、ちょうどよかったぐらいなのですよ。


 でも最初に刃向かってくれた人ですし、正々堂々馬鹿正直、わたくしを侮って妨害工作等も一切ございませんでしたからね。敬意を表し、首はわたくし自ら一度で落として差し上げました。わたくし王族の端くれですから、この見た目でも結構力は強い方ですのよ、うふふ。



 分類のお話に戻りましょう。今いるもの、後でいるもの。

 それから最後に、いらないもの。

 このいらないものの取り扱いについてのあれこれが、わたくしがやり過ぎだと皆様からしばしば批判される原因となるものなのでしょうね。


 でもだって、いらないからと捨ててしまって、その後もし相手に拾われて有効に使われでもしてしまったら、わたくしとっても困るじゃあありませんか。だからあちら様が絶対に再生できないように処置したまでです。何もおかしいことなんてないでしょう?


 皆様よく勘違いなさってますけど、別にわたくし、殺しが楽しいとか好きなわけでは、全くありませんよ。その方がよかろうと考えたから、そうしたまで。人であろうがものであろうが、結局は同じことじゃあありませんか。それをまあ、人命というものが出た瞬間、誰も彼も問題を必要以上に重くしたがること。


 ……死なば死ねよ、愚衆。お前達なんかどうでもいい。生きていたければ価値を示してください。

 義務を果たし、権利を勝ち得たものなら、わたくしはちゃんと認めました。

 義務を果たさないもの、権利を持っているだけで適切に使えないものを、なぜ我が民と思わねばならぬのです? そんなものは人豚です。生ける屍肉です。穴を掘って突き落として油を撒いて焼いて埋めることは、むしろふさわしい対処だと思いませんか?


 先ほども申し上げましたが、あのときは特に、いらないものの面倒まで見ている余裕はありませんでした。それに元白痴の姫に血筋の正当性のみで従ってくれるほど、亜人という種は善くできていません。皆いつもわたくしのことを侮り、いつかこの腕の下に屈服させてやるとでも言いたげな下卑たまなざしをよこしてきていました。最初に首を刎ねたあの男同様に。


 もっともっと、激しく強固に納得していただく必要があったのです――わたくしが強い狂人であるということを。逆らうべき相手ではないのだと言うことを。一度覚え込ませれば獣人は従順です。獣の性がそうさせるのですから。



 それにわたくし、いらないものには容赦なかったかもしれませんが、いると判断したものには投資を惜しみませんでしたよ?


 だって資源は有限ですのに、削っていくばかりではいつか尽きるに決まっているではありませんか。

 不要な分を削ると同時に、常に必要分を生産させなければなりません。死ぬばかりとわかっている者には働く意欲がなくなりますし、さらに下手をすれば自暴自棄になって何をしでかすかわからない。生かさず殺さず生殺し。希望の光は強過ぎても弱過ぎてもいけない。中庸が秩序への最適解であり肝要であるということは、昔の偉人だって申していることではありませんか。

 必要だと判断したのですから、骨の髄まで、血の一滴まで、ちゃあんと搾り取ってあげますよ。




 わたくしはそのような方法で、まず味方から引き締めて参りました。

 そもそも王妃軍とは、何しろ数が違いましたから、まともにやりあったらこちらが瞬く間に押されてしまう。

 でも必ずしも数の差は不利なだけではありませんでした。多くの兵を抱えていることはあちらにとってもそれなりの負担でした。だってその分食事だの給料だの、ちゃんと出さなければいけないでしょう? 王妃様は特権階級のお生まれで、わたくし達のような卑しい人民というのを嫌っていました。トップがそんな考えで、末端まできちんと配給が届くはずがありません。賄賂と汚職で腐敗は進み、毎日内部の仲間同士で小競り合いが絶えなかったそうですよ。ばかばかしいですね。



 王妃軍が身内でにらみ合っている隙に、最初はそう、民衆を味方につける所から始めていきました。何しろ勝手に玉座に居座っている汚職ババアと違って、こちらの軍の頭は正当後継者。しかも若くて美人で聞けば涙の不遇の過去を持っていると来た。それが不当な徴収と言う名の王妃軍の隙を見てこっそりお忍びでやってきては、猫なで声でねぎらいの言葉をかけ、自らパンをちぎって渡し、病人けが人を癒やしてくれるのです。ものを持ってくるだけでなく、部下達と共に荒れた村の復興を手伝ったり、有用な知識を授けたりする。


 選び抜かれて残ったわたくしの精鋭は、優秀なゲリラ兵でもありましたが、傭兵崩れとは違い、暴行や簒奪なども自制できる立派な戦士でした。そのことも評判を上げるのにちょうど良かったのですね。何せ王妃軍は手も足も口も出るようなろくでなしばかりだったそうですから、ふふふ……。



 いくらなんでもできすぎている?

 そこはほら、ちょっとした印象操作ですよ。



 とにかくそのようにしてわたくしがお行儀よくしつつ、臣下達ににらみを聞かせていると、民はすぐ、最初は小声で、やがて皆で手を合わせて高らかに歌うようになりました。



 おおバスティトー、慈悲深き猫よ! 勝利と恵みの女神よ! 天より舞い降りし我らが救世主よ! どうか子らをお導きください! どうか悪を討ち滅ぼしてください! ――とまあ、このように。



 あなた方って本当にそういう話が好きですよね。でも間違ってはいないかしら。

 慈悲深い? そうね、わたくし王妃様のように理由のない罰は与えませんから。

 勝利? 当たり前でしょう。負ける戦なんかしません。

 恵み? そりゃあ誰かから奪ってきたら、その分奪った方は富むでしょうよ。


 救世主? この世になんて興味はないわ。わたくしが欲しいのは、ただ一人の男と釣り合う地位と、彼を完璧に閉じ込めるための箱。それを手に入れることができるなら、玉座も世の太平も、暇つぶしがてらつかんでみせますよ。




 ね?

 我が君、イライアス。

 すべてがすべて、あなたのために。


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