監禁生活

 自分はどうなるのだろうか。外の世界はどうなったのだろうか。今頃自分を探してくれている者はいるだろうか。さすがに冷遇されていたとは言え一国の王子なのだし、そうでなくとも付き人が全滅している――この意味を理解できる者が一人でもいることは期待しておきたい。


 そもそもこんなことをする奴は誰で、何を目的としているのか? 二度と会うつもりもなかった獣人との再会も、偶然なのだろうか。必然なのだとしたら、その意味する所は……。


 ぐったりと力なく座り込んだまま物思いにふけるイライアスは、ふと何者かの足音を感じ、扉から離れて見守る。

 戻ってきたのはやはりキティで、彼女はどうやら食事を持ってきたらしかった。片手で器用にバランスを取っているトレイには、丸い銀色のカバーがかかったいくつかの皿と、カトラリー、それから飲料用と思われる水差し、コップが乗せられている。


 イライアスは扉が開いた瞬間に何かが――具体的には脱出のための手がかりが見えないかと期待したが、外への通路に続く扉は向こう側で垂れ幕のような何かに覆われているらしく、キティはそれをかき分けて入ってくる。垂れ幕の隙間から見える部分はやけに薄暗い。

 キティはイライアスが外を窺っているのを悟ると、パタンと耳を伏せてフー、と唸った。彼女は彼をここに閉じ込めておくように命令されているらしい。珍しく目を怒らせている彼女に、思わずイライアスは動揺する。


 キティは奥へと誘い、王子を柔らかいソファに座らせる。

 カバーが開けられると、そこにあったのは何かの動物のステーキ、豆のスープ、それからパンケーキだった。ふわりと温かく食欲を刺激する香りが鼻孔をくすぐる。

 イライアスが一通り見回して、キティをにらみつける。


「お前か? 卑怯な間者のまねごとをしてくれたのは」


 出てきた品はどれもイライアスの好みの食べ物だった。より正確に言うのなら、少年時代に一番の好みだったものだ。食べている現場にキティを連れて行ったことはなかったが、あの頃のイライアスは愚かにも帰ってきては生活のあらゆることをキティに報告した。自分の食べ物の好みぐらい知られていておかしくはない。

 キティは嬉しそうにぶんぶん尻尾を振って、イライアスをじっと眺めている。


 ……食べ物の香りを嗅いで、彼はようやく自分が腹を空かせていることに気がついた。大人しく料理に手を伸ばそうとして、手を止める。


「閉じ込めておいてそんな愚かな真似はしないだろうが……おかしなものは入れていないだろうな」


 彼がつぶやくと横から白い手がすっと伸びてきてカトラリーを奪っていく。キティは上品な動きで素早く料理の一部を切り取ると、イライアスによく見えるように一度彼の前でフォークに刺した物を振り、それから口の中に運ぶ。いかにも美味しそうに表情を緩めてもくもく咀嚼し、嚥下してみい、と鳴く所まで見届けてからイライアスは息を吐いた。


「わかった。疑った私が馬鹿だった」


 しかしキティは彼にフォークとナイフを返そうとせず、せっせと肉を切っている。終わってもまだ手を離さず、フォークでひとかけら取ってじっとイライアスを見つめてくる。

 彼はようやく彼女の意図を悟り、さっと顔を赤らめた。


「ふざけるなよ貴様、そ、そんな誰がばかげた――むぐっ!?」


 キティの方が一枚上手だったらしい。彼女はまくし立てるために開けられたイライアスの口に器用にステーキを突っ込んだ。それもフォークを噛まないように、ステーキだけ。

 口に物を入れたままるなど下品の極みである。イライアスは納得できない、という顔のまま無言で噛みしめ、それから飲み込んだ。うっとりと彼の食事光景を眺めているキティが何かまだ期待した目をしている。


「……不味くはないな」


 彼は渋々感想を述べた。キティはきらきらと目を輝かせながら、次のひとかけらに手を伸ばす。イライアスははっとして止めようとする。


「馬鹿な、お前まさか全部その調子で食わせるつもりでは――もごっ!」


 喋れば喋るだけ、口の中に物を放り込まれるだけのようである。イライアスは肩を怒らせていたが、キティが尻尾を振っているのと、口の中に広がる焼きたてのじゅわっとした香り、歯ごたえのある感触などを味わっている内に毒気が抜かれてしまった。


 だから、こいつのことは嫌いだったんだ。


 彼は無言で肉を噛みしめながら獣人をにらみつけた。


 こいつと一緒にいると、こちらのペースが乱されるから。



 予想通り、その食事はすべて、キティの手ずから食べさせられることになった。

 一度こぼしそうになったときなど、キティがごくごく自然に膝の上に乗ってきて舐め取ろうとするので、追い払うのに苦労した。結果、イライアスは大人しく最大限キティに協力して食事を終えることが一番自分に実害がないのだと学習し、屈辱を抑えつつ餌を与えられる雛のごとく間抜けに口を開けて待った。


「お前、いつか覚えていろよ」


 恨めしそうに言うと、キティはみゃあんとのんきに答えた。



 食べ終わるとキティは再び出て行ってしまう。

 今度の彼女はなかなか戻ってこなかった。テーブルには水差しとコップが残されている。イライアスはソファに座ったり、水を飲んだり、あちこちうろうろしたりと落ち着かない。朝か夜かもはっきりしない。時間の経過を示す手がかりが一切ない。退屈でどうにかなってしまいそうだ。


 用を足し、手を洗い、部屋に戻ってきてじっと入り口の方をにらむ。誰がいつ入ってくるかわからないのだから、と身構えている内に、慣れない異常空間におかれてやはり身体は疲れていたのだろう。そのまま眠りの中に落ちていった。




 イライアスの生活は二つの時間で区切られるようになった。

 キティがいる時間と、そうでない時間。


 キティはどうやらイライアスの世話に関すること一切について引き受けているらしい。

 食事を持ってきて、衣服やタオル、シーツの交換を行い、ついでに時折部屋の掃除をしていく。

 彼女はおおむねイライアスに昔通り忠実だったが、部屋を出ることに関する行動を彼が取ると途端に非協力的になった。だがイライアスが唯一の接触点であり、外部への手がかりである彼女にすがりつくような格好になると満足そうに喉を鳴らしている。


「行くな、キティ。この部屋は死ぬほど退屈だ。一人だとどうにかなってしまいそうなんだ。なあ、そろそろ教えてくれてもいいだろう。なぜこんなことを? 私に囚人生活をさせて、お前の主は一体何を企んでいるんだ」


 キティの神秘的な目はイライアスを静かに見つめている。彼は脅すように語気を荒らげたこともあった。


「私にこんなことをしてただで済むとは思っていまいな。いいか、私は私に辱めを与えた者をけして許さないし忘れない。わかっているのか? お前に矛先が向くかもしれないぞ」


 キティは緩やかに尻尾を振って、彼を優しく見守り続けている。この獣人に威圧的な態度がいまいち効果的でないことは、無念ながらもそろそろイライアスの身に染みてきている。

 彼女が自分のやることは終わったとでも言うように部屋を出て行ってしまおうとするので、慌ててイライアスは手を握り、引き留めた。


「キティ、キティ! どこへ行こうと言うんだ。私を一人にするのか!」


 獣人は振り返り、艶のある目で彼を見る。イライアスはそれなりに追い詰められていた。正体の見えない悪意は人をむしばむ。せめて窓があればそこに映り込む光景が何らかの刺激に、慰めになるのに、それすらもこの部屋には許されていない。生きるために必要な物はキティがそろえてくれる。だがキティのいない一人の時間は、ただただ無意味で無感動だ。彼女がいる時間と、いない時間。どちらがいいかなんてわざわざ言葉にするまでもない。


「なぜ答えない、なぜなにも言ってくれない――ああそれでもいい、言葉なら話さなくてもいい。せめて一緒にいてくれ。お前だけが頼りなんだ――」


 その瞬間、イライアスには一瞬キティが勝ち誇ったような笑みを浮かべたように見えた。けれどそれが本当のことだったのか、目を凝らして確かめようとすると、彼女はするりとイライアスの手から抜け、恭しく礼を取る。立っている足の甲に額を押しつけられ、イライアスは思わず後退する。

 キティは顔を上げて笑いかけると、またも主が混乱している間にいなくなってしまう。


「キティ――!」


 伸ばす手は届かない。

 閉じた扉の向こうで、あのヴェールの、魔性の声の女が狂ったように笑い声を上げている――そんな音が、わずかに聞こえた気がした。


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