終演

終演①

「何処にもいないです!」


その言葉が、審査員達が集まる部屋に響いた。


ここは、審査員達が集まり、優勝者を話し合いで決める為に、毎年用意されている部屋だ。


その部屋に、審査員達を束ねる、審査員長を務めるスタルスが居ないのだ。


「何時から居なかったんですかね?」


赤い縁の眼鏡を掛けた女性が、誰に聞くでもなく、問い掛けた。


「リアン君が演奏する直前には、審査員席に座ってましたよ」


スタルスの隣に座っていたヤコップは、皆に向け、そう答えた。


「なら、リアンさんが演奏している最中に、席を外したのですか?」


そう言った赤い縁の眼鏡の女性は、驚いた表情をしている。


彼女のその発言を聞き、周りの者も一様に驚いている様子だ。


審査員達は皆、音楽に携わっている仕事をしている。


それ故に、ピアノ演奏を聴く機会は、一般的な者達に比べ、かなり多いだろう。


そんな音楽に精通している者達からしても、今日リアンが弾いたピアノの音は、生涯、二度と聴けるか分からないと思える程の感動を与えたのだ。


そんなピアノの音を前にして、どんな理由があれど、席を外す事など出来るのかと、彼等は思っているのだ。


「わたしは、彼のピアノに夢中でした。だから、スタルスさんが、何時会場を出て行かれたかは、分かりません。ですが、リアン君の演奏が終わった後には、スタルスさんは居ませんでした」


そう答えたヤコップもまた、彼等と同じ思いであるが故に、どこか半信半疑しているように見える。


「…どうしますか?審査員長が居なかった事など、今までになかったですが、優勝者を早く決めないと」


最終演奏者であるリアンの演奏が終わってから、既に三十分は経過している。


例年ならば、各受賞者は決めて、審査を終えている時間だ。


「スタルスさん抜きで、審査をしましょう」


最長年者のヤコップが、そう提案した。


ヤコップの提案に異議を唱える者は、誰も現れなかった。


そしてコンクールの審査が、ようやく始まった。


それから二十分後。


全ての賞の受賞者が、この部屋で決まった。


控え室に集められていた演奏者が、係員の指示に従い、ステージへと集まる。


例年ならば、既に全演奏が終わった会場は、空席が目立っていたが、今年は違った。


空席を探す方が困難と言えるように、びっしりと人で埋まっている。


その客席に座る多くの者が、ステージの上に立つ、全演奏者の中の一人の少年を見ている。


誰も声こそ掛けはしないが、その少年を求めるように、ステージに向け、手を伸ばしている者も少なくはない。


ステージの端から、審査員達が現れた。


先頭を歩くヤコップの手には、紙が握られている。


ステージ端に置かれたマイクの前で、ヤコップは立ち止まった。


そしてマイクのスイッチをオンにすると、口を開いた。


「お待たせしました。只今より、各受賞者の発表を致します」


ヤコップのこの言葉に、ステージの上の演奏者達は、固唾を飲んだ。


客席に座る者の殆どが、誰が優勝者であるかは、口にしなくとも、分かっているだろう。


しかし、演奏者の殆どが、リアンのピアノは、ステージから離れた控え室で聴いている。


話し声で掻き消されてしまう程、小さな音でしか、その耳に届いていないのだ。


ある者は自分が優勝すると信じて疑わない。


また、ある者は、既に優勝を諦めている。


しかし、演奏者の中でジュリエだけは、誰が優勝するか既に分かっている。


ジュリエはリアンの演奏を、控え室ではなく、ステージ横の誰も居ない前室で聴いていたのだ。


「審査員特別賞は、エルドラ.リアントさんです」


名前を呼ばれた、エルドラという少女は、項垂れるようにして、ヤコップの前へと歩いて行った。


きっと自分が優勝する事を、信じて疑わなかったのだろう。


審査員の一人から、エルドラが賞状と盾を受け取ると、会場が拍手に包まれた。


残されたのは、準グランプリとグランプリの発表のみ。


このコンクールは、審査員特別賞と準グランプリ、そしてグランプリの三つしか賞がないのだ。


ヤコップが、開いた紙へと視線を移した。


そして視線を客席へと向けると、再び口を開いた。


「準グランプリは、ジュリエ.ソーヤさんです」


ジュリエの横に立つリアンは、ステージの上を歩くジュリエに向け、温かな拍手を送った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る