第4話 勉強はお菓子と共に

 聖都シャラクはロクサーナ聖教の総本山たる都だ。その性質から、イェルセリア新王国の領内にあって、まるでひとつの自治都市、あるいは国のようである。神聖騎士団が本拠地を構えているのも聖都であり、フェライたち騎士が暮らしているのもここであった。

 聖都に住むのも訪れるのも信者か聖教関係者ばかりであるから、信者以外の人々はこの都についての情報をほとんど持っていない。任務のために外へ出た騎士や、修行者たちが彼らに聖都の印象を尋ねると、「近寄りがたいところ」「堅そう」と、人々は口を揃えて言うという。

 だが、実際のところ、聖都の町の雰囲気は、ほかの都市と大差ない。少なくともフェライはそう思っている。市場バザールは開かれ、お酒が飲める店もある。子どもたちが町の片隅で遊んでいることもある。聖教の教えと規律を守るという意識が強いぶん、ほかの町より厳しい部分もあるが――例えば信者以外の人間が聖都に入るときは、神聖騎士団と神官による長ったらしい検問を越えなければいけない――そこに目をつぶれば、聖都はまさしく「みやこ」であった。


 フェライはこの日、その聖都シャラクの中心街へ下りていた。

 いつもは神聖騎士団の質素な衣と筒袴ズボンに法衣を着ているが、今日の服装は少し違った。足もとまでを覆う明るい色の長衣を着て、腰のあたりで赤い帯を巻いている。いつもは流しっぱなしの金髪も、白っぽい薄布で覆って、首にゆるく巻きつけ留めていた。ちょっと外出するだけだからと適当に選んだ服装ではあるが、その姿は聖都の女性たちの中にすっかり溶け込んでいる。誰も、彼女が騎士団の一員だとは気付かないだろう。

 元気がよすぎる日差しの下、フェライは軽やかな足取りで通りを進む。まっすぐ歩き、布の露店の前で右に曲がる。ゆるやかに蛇行する階段を下りていく。


『町の南のお菓子屋さん、今度新商品を売り出すんだってさ。フェーちゃん、あの店、好きだったよねえ?』

 からかうようなチャウラの声が耳の奥によみがえる。

 フェライがその話を聞いたのは、二日前の夕食のときだった。近頃忙しくて外出できていなかったフェライは、耳の早い同僚に羨望のまなざしを向けつつ、前のめりになって詳しい話を引きだした。多少無理して予定を開け、今日こんにちに至っている。


 階段を下りて細い道を進むと、目的の建物が見えてきた。窓にかかった桜色の布がぬるい風に揺れている。聖なる都の片隅で、小ぢんまりと営まれている菓子屋。このご時世珍しく、一組の夫婦が交代で店番に立っている。今日はどちらだろうと胸を躍らせながら、フェライは戸口に立った。

「こんにちは!」

 明るく挨拶をすると、すぐに奥から返事があった。

「おや、フェライちゃん。いらっしゃい」

「ナバトさん!」

 フェライが明るく名前を呼ぶと同時、店の奥から、窓の布と同じ色の布を頭に巻いた女性が顔を出した。日に焼けた顔に陽気な笑みをたたえた彼女は、しばらくぶりにやってきた若い客を、愛想よく迎え入れる。

「騎士団の仕事はどうだい?」

「大変だけど、なんとかなってます」

「それなら、いいんだけれど。何かあったら、いつでも相談に来なさいね」

 ナバトの言葉に、フェライはほんのり笑って「ありがとうございます」と言った。会話が一区切りつくと、弾んだ足でナバトの元まで行く。その表情から、用件を察したのだろう。菓子屋の婦人はいたずらっ子のように目を細めた。

「ひょっとして、新商品のお買い上げかい」

「はい!」とフェライが間髪かんはつ入れず返事をすると、ナバトは嬉しそうに肩を揺らした。フェライはいつもの調子で注文をしようとして、ふと、思いとどまる。白い顎に指をひっかけ考えこんだ。

 短い沈黙のあと、翠色の瞳がきらりと光る。

「ナバトさん。今日は、二人分、お願いできますか」

 ナバトは意外そうに目を瞬く。それから、まるで近所の娘を見るかのような表情で「お待ちよ」と言った。なにか妙な誤解をされた気がするが、フェライはあえて突っこまないことにした。



 菓子の入った袋を片手に本部へ戻ると、梯子を使って窓ふきをしているチャウラに出会った。陽気な同僚は、瞳をきらきらさせてフェライを見下ろす。

「フェーちゃんお帰り。例のもの、買えた?」

「うん」

「そりゃあよかった」

 楽しげにうたったチャウラは、しかしフェライの持っている袋に気づくと、小首をかしげた。しまった、とフェライは頬をひきつらせるが、遅かった。

「あれ? 二人分買ったの、なんで? ルスは甘いもの嫌いだよ」

「知ってるわよ。そうじゃなくて、ええと……」

 ばれた。と思いながらも、フェライは同僚の視線を逃れて言い訳を探す。それから、わざと大仰に胸を張った。

「……予備!」

 チャウラが、口を開けたまま固まった。梯子から落ちやしないかとフェライが心配するくらい呆然としたあと、また首をひねる。

「フェーちゃんってそんな食い意地張ってたっけ」

「失礼ね。たまにはこういう日があってもいいでしょ?」

 あえて子どもっぽい言い方をした。ますます疑念を募らせるチャウラに、短く別れを告げて、フェライは廊下を駆けだした。これ以上会話を続けていたらぼろが出かねない。


 副団長に帰還の報告をしてから、フェライはこっそり木剣を持ち出した。右手に剣、そして左手に袋を持ち、彼女はいつもの道を行く。

 西の中庭は、今日も人っ子一人いなかった。――が、古い古い監獄塔に一人、謎めいた囚人がいることをフェライは知っている。最初はふしぎな気分だったが、十日近くも通い続ければさすがに慣れた。監獄塔の前まで行き、「こんにちは!」と挨拶すると、ただ一人の囚人は控えめに応じる。

「おまえはいつも元気がいいな」

 フェライは、ほんの少し眉を寄せた。そう言うメルトは、少し元気がないように見える。

「あの、どうかしたんですか」

「何がだ?」

「いえ……」

 問いかけても、明確な答えは返らない。予想していたことだが、フェライはもどかしさにうつむいた。結局、それ以上は踏み込まず、いつものように木剣をにぎる。


 監獄塔に入った経緯を知らないと、出会いの日、メルトは言っていた。それは本当だろう。だが、完全な真実でもない。十日近く顔を合わせているうちに、フェライはそう思うようになっていた。なにも聞かされていなくても、メルトは自分が監獄塔に入れられた理由に見当がついている。『理由』を受け入れようとしている。そして、それをフェライには隠しているのではなかろうか。

『このことを口外しない方がいい。事態がややこしくなる上に、おまえの身が危うくなる』

 あの日の言葉が、脳裏にこびりついて離れない。

 メルトは、そして聖教の人間は、何を隠しているのだろう。

 どれだけ考えても、ちっぽけな少女の中に、答えは現れなかった。


 メルトに教わりながら剣術を復習したフェライは、軽く息を吐いて、法衣に袖を通した。彼女を横から見つめるメルトの瞳に、感心の色が浮かぶ。

「基礎は十分だ。あとは、試合と実戦を積むのが一番なんだが」

「うーん、不可能ですね」

「断言するな……」

「あはははー」フェライは、乾いた笑声を漏らす。こればかりは、メルトとフェライには動かしがたい現実であった。空元気で笑っているフェライに何を思ったのか、メルトは枷の嵌まった自分の腕をまじまじと見る。

「俺が付きあってやれればいいんだが、この有様ではそれも無理か」

「お気持ちだけ受け取っておきます。ありがとうございます」

 少し苦心して法衣を着なおしたフェライは、明るく青年に向きあう。手には木剣ではなく、甘い香りを漂わせる袋があった。

「ところでメルト、甘いお菓子は好きですか?」

「お菓子? まあ、好きだが」

 それがどうしたといわんばかりに、メルトは眉を寄せた。しかし、その目がすぐに、袋をとらえる。視線の動きに気づいた少女は、幼子のようににこにこと笑って、袋の封を開いた。慎重な手つきで包みを取り出し、しっかりとした包装を解いてゆく。中から現れたものを見て、メルトが感じ入ったように呟いた。

綿菓子ハシュマッキか。懐かしいな」

「ご存知でしたか。今日、聖都に下りてきたとき買ってきたんです。なんでも、古王国時代のお菓子を再現したものだとか。おひとつ、と言わず、いくつかどうです?」

 丸っこい菓子の包みををひょいっとメルトの方へ差し出す。彼はしばらく考えこんでいたが、ややして「いただこう」とひとつを手に取った。フェライも彼にならい、綿菓子ハシュマッキを一個手に取った。よく見ると、山のてっぺんにフストゥク(ピスタチオ)がちりばめられている。一口かじると綿菓子ハシュマッキはほろりとほどけ、後を追うように木の実の食感と芳ばしい香りが口いっぱいに広がった。いくらでも食べられちゃいそう、とフェライは胸を弾ませながら、もう一口、かじる。

 しばらく甘味を楽しんでいた二人だが、その途中でメルトが手を止めた。

「ところで、聖都というのは……この『外』か」

「え?」首をかしげたフェライは、しかし、すぐにうなずいた。

「そうです。聖都シャラク。ロクサーナ聖教の総本山、聖女様のおわすところです」

「聖女、ね。この国では王のようなものか」

 フェライの中で、棘のような疑念が募る。彼女はそれを表情に出さず、答えた。

「王様は王様で別にいらっしゃいます。ですが、聖女様の権力が強いのも事実です。政治に口出しするお力まで、あるとかないとか。権威の誇示と護衛のために、『じゅう』と呼ばれる戦士まで伴うくらいですからね」

 曖昧にほほ笑む。フェライはもともと、政治などの難しい話が苦手だった。メルトはそれを指摘することなく、代わりに顔をそらして考えこむ。

「力が強いとはいえ、巫女がずいぶん偉くなったものだ。どうりで、おまえが特別扱いされてしまうわけだな」

「ありがた迷惑というやつですね」

 辛辣しんらつな評価に辛辣な言葉で相槌をうち、フェライはまたをかじる。メルトも自然な手つきでに手を伸ばしている。このような菓子はあまりたしまない印象があっただけに、少女はその様子を興味ぶかくながめていた。

「――だが、従士を伴うのは、かなり古い時代からの習いらしい。おまえが先ほど言ったこととは別に、精霊に関わりの深い意味合いがあるのかもしれない」

 フェライは、軽く目をみはる。

「そうなんですか。はじめて知りました」

 聖女の従士に関しては、フェライ達の耳にはほとんど情報が入ってこない。歴史的なことはもちろん、現在の従士自身のことも。立場上神聖騎士団の一員だが、従士はほとんど聖女の護衛についているので、他の騎士たちと混ざることもない。――従士が正式にそれを任命されるまでの、修行の期間を除いては。

 今の従士は、フェライよりずっと前から騎士団に在籍しているので、彼女と従士の接点は、皆無に等しかった。

 彼女は思わずメルトを見る。彼は相変わらず綿菓子ハシュマッキを食べていた。いつもひきしめられている、というよりこわばっている目もとが、今は少し緩んでいる。その表情を目にすると、疑問や不信感の数々も、砂にかすんだ空のようにおぼろげになってしまった。

「メルト、本当に甘いものがお好きなんですね」

「なんだ。気を使っているとでも思ったのか?」

「いえ、そういうわけでは……」

 口ごもるフェライをよそに綿菓子ハシュマッキを平らげたメルトは、口もとに残ったフストゥクを指でぬぐいとる。

「昔から菓子は好きだ。町に出てこっそり手作り菓子を買って帰ることもよくあった」

「こっそりですか」

「こっそりだ。あまり菓子を買いすぎると小言をくれる人間が、何人かいたからな」

 フェライは、菓子の買い食いが大人にばれて怒られるメルト少年の図を、勝手に頭の中で思い描く。済まなさそうにしつつもちょっとふてくされている少年の姿があまりにも自然に浮かんだものだから、彼女は声を立てて笑ってしまった。すぐさま青年に胡乱げな目をされたので、「すみません。なんでもないです」と言いつつ、必死に笑いをこらえるはめになった。


 綿菓子ハシュマッキがなくなるまで、聖教にまつわる勉強会は続いた。メルトが妙に興味を示したのだ。可能であれば、イェルセリア新王国の地図が見たい、と言われたので、フェライは今度写しを持ってくると約束した。地図は庶民が手に入れられるものではないが、フェライは騎士団員だ。簡単なものであればすぐに見せてもらえる。

 中天を過ぎても、太陽の光はますます強くなる。光と影の境界が、石畳にくっきりと浮かび上がる。光の白を避けるように、屋根の下を選んで歩いているフェライは、途中でふと足を止め、来た道を振り返った。

 心の中の砂煙がふっと晴れて、ぼやけていた疑念が再びにじみ出してくる。

「……何者、なんだろう」

 彼は、イェルセリア新王国と聖教についてなにも知らないようだった。

 だというのに、巫覡シャマンや聖女様のことには妙に詳しい。その上、騎士団員ですら知りえない従士の情報を持っている。

 知らない方がいいと言われた。

 けれど、素知らぬふりにも限界がある。

 ここまでの違和感をいつまでも無視していられる自信は、ない。

 危険な考えが浮かぶ。フェライはかぶりを振って、それを追い払った。今は、できることをするしかないのだと、言い聞かせる。

「まずは、地図」

 小さく呟いた彼女は、祭司たちのものだろうか、遠く響く歌声を聞きながら、小走りで本部へ続く道を戻っていった。

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