バニー・ザ・キラーズ・リターン

 水の中で聞くようなくぐもった声が聞こえる。

 押し殺した怒声に似たその声が、聞き覚えのあるものだと気づき、フランは寝台から飛び起きた。


 既に雨は上がり、夜明けの清潔な白い光が満ちる無人の家の中を早足で進むと、庭先にみっつの人影があった。

 怒声の主である村長夫妻は、寝巻きのまま、雨の名残りで濡れるのにも構わず裸足で立っている。

 その視線の先には、痩せた頰と手足を泥で汚し、片手には更に黒く汚れたずた袋を持ったカザンがいた。



「何があったんですか」

 三人の視線が、寝起きの掠れた声で聞いたフランに注がれる。

 カザンは袋を持った手を彼女に向かって差し出して、そのまま地面に落とした。


 ゆるい結び目が解け、吐き出すように中身が露わになる。

 濡れた土の匂いに混じって、腐臭が漂う。


 暴かれたこの中身は、泥に塗れて金や黒が混じった毛髪、まだ灰色の肉の残る骨、そして––––、王都の軍人しか着ることを許されない赤い軍服の残骸だった。



「墓地に、行ったんですか……」

 カザンはフランを見据えて言った。

「知ってたんですよね」

 暗いが鋭い眼光にフランは一歩後ずさった。



 カザンは静かに息をついて、手の甲で顔についた泥を拭った。

「おかしいと思ってたんだ。死人が多すぎる。ただの疑問にすぎなかったけれど、あまりにあの墓地から遠ざけたがるもんだから……」

 それに、と彼は顎で村の入り口の方を示した。

「やけに厩舎が大きい。大荷物を積んだ旅人か商人が出入りする村みたいだ」



 村長が怒りとも怯えともつかない視線でカザンを見る。それを意に介さず、彼は村長とその背後に続く墓を見つめた。

「このウッド村の産業は墓標を作ることだけじゃない、死体処理だ。違いますか」


 沈黙が何より雄弁だった。


「周りの村人すら寄り付かない墓地に、公にできない死体を捨てに来る者がいて、そいつらから口止め料代わりの金をもらって処理する。例えば、逃走したことになっている兵士の死体なんかを」

 袋の遺骸から蛆が二、三匹逃げるように這い出し、庭の草陰に隠れた。


「酷い死体だった。鋸で切って繋げたようなのもあれば、火傷も凍傷もある。人体実験でしょう」

 カザンは俯いて、ボロ切れのような軍服を見下ろす。朝日でその布地に施された金の刺繍が煌めく。人名のようだった。


「公国は捕虜で人体実験をして、その死体をここに捨てに来た。見つからないから王都は兵士が逃走したと思い込んだ……」

 カザンが顔を上げる。

「王都に助けを求めなかったのは、バレたら終わりと思ったから。ですよね?」


 フランは震える手で口元を抑え、もつれる舌で何とか言葉を紡いだ。

「ごめん、なさい。でも、そうでもしないと駄目だったんです。こんな貧しい村じゃ……」


 カザンはもういいように静かに頷いた。

 そして、夫婦とフランを交互に眺めた。

「大丈夫、外の人間の誰にも言いません。そんなツテもない。ただ、これを解決しない限り、この戦争は終わらない」


 そういうと、彼は足元の袋に散らばったものをまとめ直し、再びゆるく口を結んで拾い上げた。

「行きましょう」

 フランは戸惑いながら、どこにと尋ねた。


「昨日来た森です。やらなきゃいけないことがあるから––––、」

 そう答えたとき、カザンの腹に村長夫人がよろけたようにぶつかった。カザンが一瞬目を見開く。

 夫人の片手には調理用のナイフが握られ、その刃はフランが昨夜縫ったばかりの上着を貫いて、脇腹に突き刺さっていた。


「何てことを……」

 引き攣った声で叫んだ村長に構わず、夫人は両手で深く柄を押し込んだ。

「行かせないわよ。みんなに知らせる気でしょう……!」

 血糊で手を滑らせ、バランスを崩した夫人が地面に倒れこむ。


 夫人に駆け寄った村長を横目に、カザンは自分の腹に生えた木製の柄を無表情に引き抜いた。


「悪いけど、このくらいじゃ死んでやれませんから」

 そう言って、ナイフを片手で弄び、小さく悲鳴を上げた夫人と、庇うように立った村長を見下す。


 フランが割って入る前に、カザンは肩を竦めて刃先を軽く揺らした。

「これ、お借りしていいですか。武器が足りなくて」


 カザンは返事を待たず、ベルトに刃物を挟んでから歩き出す。フランがその後を追った。

 去り際にカザンは一度振り向くと、まだ庭先で呆然としているふたりに向けて言った。

「ちゃんと返しに来ます。たぶんですが」


 夫婦は何も言えず、不死身のキラーズの小さくなる背を見送った。




 ***


 森は相変わらず夜闇と変わらぬ密度で黒い木々の影を落としていたが、死人は現れなかった。


「隠していてごめんなさい……」

 後ろを歩くフランに背を向けたまま、事もなさげにカザンが言う。

「別に。自分が同じ立場だったら言えないと思いますから」


 フランは俯いて、目の前の肩甲骨の浮いた背が上下するのを眺めた。

「あと、それもごめんなさい……」

 彼女は怪訝な声で何がと聞き返すカザンの袖を軽く引いた。


「暗くて黒い糸と間違えたんです」

 見下ろすと、二の腕のあたりによく目立つ真っ赤な糸で一文字が引かれていた。

 カザンは眉間に皺を寄せるように苦笑した。

 昨日で既に見慣れた笑い方に、フランも微かに笑みを作って応えた。



 森の中央でカザンは急に足を止めた。

「ここまで来ればわかるだろ……」

 彼は手に持った泥まみれの袋の口を軽く解いて掲げる。

“血濡れの兎”レッド・ラビット!いるんだろう!」


 フランは慌てて辺りを見回した。

「どういうことですか!」

「この中身を交渉に使います」

「外の人間には誰にも言わないって!」

「キラーズは人間じゃない」



 一陣の風が吹いた。

 カザンがフランを隠すように前に進み出る。

 その喉元に、薄紙一枚でひっ先が触れそうな距離で、サーベルの刃が突きつけられていた。


 軍人らしい引き締まった長身痩躯の身体に、戦場の土埃を吸って褪せた赤の軍服。焦げ茶の短髪に、充血したような赤い両眼。

 キラーズ、“血濡れの兎”レッド・ラビットが立っていた。



「何だよ、見逃してやった昨日の今日で。こっちは一応休戦中なんだぜ?」

 カザンは刃を避けないまま、袋を持った手を突き出す。

「休戦をやめる理由ができた」

 男は訝しげに片目を細めたが、サーベルを持った手は一切緩めず、もう片方の手で袋を奪った。

 息が詰まりそうな間合いだと、フランは唾を飲んだ。


 キラーズは一瞬袋から溢れる腐臭と滴る黒い泥に眉をしかめ、袋の中身を慎重に取り出す。

 男の眼が見開かれ、瞳孔が震えるのがわかった。サーベルのひっ先がわずかに逸れる。



 彼は擦り切れた布を手繰り寄せ、金の刺繍に視線を走らせていく。

「トレント……クレイ……ハーパー……エドワーズ……ラリー、ケルトン、ジェイミー! おい、何でだよ。逃げたんじゃなかったのか……」


 カザンは刃先に触れぬよう、少し顎を引いて言った。

「みんな、お前の部下だったのか」


 キラーズは怒りに眼を光らせ、力任せにサーベルを突き出した。

「これをどこで手に入れた!」

 刃の先端がカザンの喉に触れ、ぷつ、と音を立てて赤い血の玉が溢れる。彼は表情を変えずに言った。


「ここの近くだ。遺体は実験に使われた痕跡があった。こんな寒村の技術じゃ無理だ。公国の仕業だろ」

 男が奥歯を鳴らして呻く。

 更に刃が食い込むのにも構わず、カザンは彼に歩み寄った。


「お前が部下の報復をするなら手を貸す。その代わり、俺たちにも手を貸してくれ。たぶん敵は同じだ」


 血の筋が白い喉を伝う。

 雫が地面に流れて、ふたつの小さな赤い楕円が枯れ葉の上に落ちた。

 キラーズは再度カザンの喉に強くひっ先を押しつけた。カザンは眉をひそめただけで、避けも反撃もしない。


 男は溜息をつくと、素早く血を払ってサーベルを鞘にしまった。

「いいだろう。組もうぜ、同盟」

 カザンが頷くと、喉の傷口が縫い合わせたように塞がっていく。


 男は一瞬フランに視線をやって歯を見せて笑うと、カザンに今しがた血の跡がついたばかりの白い手袋に包まれた右手を差し出した。


 カザンがその手を取って言う。

“不死王”アンデッド・ロード、カザン」

 男はカザンの手を力強く握った。

“血濡れの兎”レッド・ラビット、アルバ。アルバトロスのアルバ。神速の鳥。俺が生きてた頃いた部隊の名前だ」

「化け物にも強そうな名前だ」

「最強だった」

 アルバは赤い眼を歪めて、一瞬寂しげに笑った。


 冷たい風が吹き抜け、ふたりの殺人者の頭上で木々がわななくように揺れた。

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