バニー・ザ・キラーズ

 水面に映る自分の顔を見ながら、フランは思った。

 汚れてやつれて死人のようだが、まだ確かに生きている、と。



 森の奥は一部だけ針葉樹の暗い茂みが割れ、剥き出しになった斜面を下ると、細い小川のほとりに辿り着くようになっている。

 フランはその水に手を浸していた。


 何度洗っても土と血と固まった自分の胃液がほどけて、その度に水が淀んだ。




「それで、どれくらい知ってます。キラーズについて」


 カザンと名乗ったキラーズの男はフランの後ろに立ったまま言った。日差しの下で見ると、案外若いのだと思った。二十そこそこかもしれない。



「村の老人たちから聞いただけで詳しくは知らないんです。ただ全員が有り得ないような力を持っていて、別の世界を旅していると聞きました。世界が何というのは、よくわかりませんが」

「合ってますよ。世界は、まぁ、村とか国とかよりもっと大きな規模ですね」


 カザンは斜面の傾斜に背を預けて、煙草らしき紙巻を吸っていた。

 彼曰く痛み止めのようなものらしい。



「それから……」

「それから?」


「全員、ひとを殺したことがあるひとだと聞いています」


 カザンは一瞬目を細めたが、すぐに表情を打ち消した。

「ええ、そうですね」


 紙巻を砂利の上に捨て、靴底で火を揉み消しながら彼は続けた。


「キラーズは全員、生前大量殺人を行なった者かその原因になった者かのどちらかです。そして、その罪を償うため、無数の世界を救うための戦士として、ひとつの武器を与えられてあちこちに飛ばされます。それが“異能”––自分の場合は、これですね」


 カザンは上着をまくって自分の腕を見せた。斧で切り落とした傷も、繋ぎ目すらも、既に見当たらない。


「有り得ないような力を持ってるのも、本当なんですね」


 頷いたカザンの横顔は、痩せていて陰鬱だが、大量の人間を殺すような凶暴さも残忍さも見て取れなかった。



「他にもある程度の後ろ盾は与えられてきます。例えば、言葉。こうして話せてるでしょう?

 それに、その場所の環境に順応できる身体と服。送られた先で意思の疎通ができなかったり土地の空気が合わなくて病気にでもなったんじゃ、戦いどころじゃありませんから」


 病気、と口にしたとき、一瞬表情が曇ったような気がした。


 この男の、少女のような色白さではなく、血の気の失せた蒼白の肌と、筋の浮いた首や手は病人のようだ。そんな人間に殺しができるのだろうか。


 振り向きもせずに、死人の頭頂を切り落とした彼の手つきと、弧を描くように散った血の光景がフランの脳裏に浮かんだ。



「そろそろ行きましょうか」

 カザンの声に頷いて立ち上がると、水面に映る虚像が不穏に揺れた。


 川辺を立ち去る前に、カザンは目を細めて下流の方を眺めた。

 見ると、川底の浅い部分に流れ着いた死体が折り重なり、濁った飛沫に洗われながら微かに浮き沈みを繰り返していた。




 ***


 森に戻り、暗い獣道を進んでいると、鼓膜を舐るような鳥の声が響き出した。

 カザンはフランの少し前を行き、時折斧で飛び出した枝を切り落とした。


「あれは何です?」


 彼が顎で指した方を見ると、乱杭歯のように不規則に地面に刺さった鉄柱が並んでいる。


「ここには昔、御屋敷が会ってどこかから移ってきた貴族の方が住んでいたんです。その方が亡くなって御屋敷も廃れて、今は土地の囲いだけが残ってます」


 カザンは「なるほどね……」とだけ呟くと、柵に沿って歩き出した。




 錆びついた鉄の囲いは等間隔で扉があり、守る屋敷などないのに、鍵がかかっているものもあった。

 光景の寒々しさを振り払うように、フランは言葉を探し、口を開いた。


「それで、報酬のことなんです」

「要りませんよ」

 言い終わらないうちに、カザンが答えた。



「キラーズの本懐は戦争です。つまり飛ばされた戦場で自軍を決めて戦い、問題を解決することだ。今回、俺は貴方と、貴方のウッド村に組すると決めただけなんですよ」


「でも……」


「キラーズは基本的に寿命じゃ死ねません。この世界から抜け出すためには、同じキラーズと戦って勝つか、負けて殺されるか死ぬかの二択。何もしないのは選べないんです」


「ありがとうございます……」



 カザンは足を止めると、濡れ落ち葉を踏む湿った音を立て、フランに向き直った。



「感謝なんて必要ありません。これは労役と同じです。戦わなければどん詰まりだ。だから、やるだけです。

 ––いいですか、ここはキラーズにとって、地獄と同じなんですよ」



 返す言葉が見つからなかった。

 それでも何か言おうとフランが口を開きかけたとき、カザンが湿った咳をした。


 ごぽ、と沸騰した湯の泡が弾けるような音がして、彼の乾いた唇からドス黒い血が溢れ出す。

 その喉には棘のように鋭いナイフのひっ先が飛び出していた。


 先端は探るように二度上下し、一瞬肉の中に潜ると、カザンの胸を縦に切り裂いた。

 鮮血が赤い蒸気のように上がる。



 駆け寄ろうとしたフランは、

「動くな!」

 と、カザンのくぐもった叫びに牽制され、足を止めた。


 見る間に彼の身体の至る所が切り裂かれ、血が落ちる花弁のように散る。

 弓矢での攻撃を受けているのかと思ったが、矢はどこからも飛んでこない。


 刃物で全身を切り刻まれているのだ。

 あらゆる方面から。ものすごい速さで。



 フランを庇うように前に立ったカザンは、既に身体の均衡を失いかけていた。

 斧を取り落とし、だらりと垂れた両手を赤い水が伝う。


「来い……」

 カザンは丸腰で裂けた喉を抑えもせず、棒立ちになった。

 突風が駆け抜け、銀の刃の軌道が見えたかと思うと、大量の血が噴き出した。



 生温い飛沫を顔に受け、見開いたフランの目に、彼を貫いたサーベルの刀身が映った。

 カザンは持ち主の手ごと柄を握り、更に深く自分の身体に押し込む。みちっと、肉を押し広げる不快な音がして、刀は動きを止めた。


すっげぇDude……」

 低い声が響き、柄の先に軍服に身を包んだ赤い目の男が立っていた。



「神速、––“血濡れの兎”レッド・ラビットか!」


 カザンが唸ると、柄を伝った血で手が濡れるのにも構わず、男は唇を歪めて笑う。


「その通り。そっちは“不死王アンデッド・ロード”だろ? 本当に固いんだな、痛くないのか?」

「慣れた」


 カザンが地面に落とした斧を蹴り上げ、即座に掴んで振り抜くより早く、男は片手でホルダーから抜いたナイフでその刃を防ぐ。


 男は何の躊躇いもなく、柄をねじってサーベルをへし折った。

 体勢を崩して地に着いたカザンの膝を踏み台に、一瞬で顎を蹴り抜く。


 立ち上がろうとした瞬間、

「遅え!」

 と、もう片方の足で正面から蹴り飛ばされ、カザンは鉄柱に衝突した。



 負ける。

 村を救うはずだったキラーズが。


 そう思うと、フランは咄嗟に囲いについた扉を開け、カザンを柵の向こう側へ突き飛ばした。



 目の前にもうひとりのキラーズがいる。

 男の顔は逆光になって見えないが、赤い目と血を受けて濡れた焦げ茶の髪だけが光って見えた。


「キラーズ、じゃないよな。何だお前」

 男が眉をひそめる。

 フランは濡れた地面の上に膝をついた。


「三日だけ待ってください。あのひとがいないと村は終わりなんです。お願いします」


 どうせ何度も捨てるところだった命だと思った。


「その間捕虜になります。好きにしてください」


 一瞬、男が目を見開いた。

 嗜虐の喜びでも敗者への軽蔑でもなく、何か悍ましいものを思い出したように。


 その表情の意味を考えるより早く、凄まじい金属音がして、鉄の扉が飛ぶと、目の前に斧が突き出された。



「協定だ! “血濡れの兎”レッド・ラビット!」


 男とフランの間に立ったカザンが、裂けた喉を抑えながら叫んだ。

 赤黒い切れ目の中で、傷口を塞ごうと筋組織が蛆のように蠢いている。


「その服、軍服だろ。装備の豊かさからして王都じゃないのか。王都なら周辺の村を守る義務があるはずだ。俺はウッド村に雇われてる。

 ––“国またはそれに準ずる組織に属するキラーズが、それと同盟関係にある団体に属すキラーズを殺害した場合、同盟を破ったと見なす”。常識だ。次にペナルティを受けるぞ!」


 ひとこと叫ぶたびにカザンの歯の間から血が飛び散った。

 男は聴き終えるまで立ち尽くしていたが、やがて、

「お気遣いどうも……」

 と、笑った。



「今回はお前と、」

 男はナイフの先でフランを指し、

「お前の雇い主に免じて場を収めよう。だが、次はこうは行かないぜ。いいな?」


「わかってる。早く行け」

 カザンは斧を向けたまま、顎をしゃくってみせた。

了解Gotcha

 男は指を鳴らすと、次の瞬間には姿を消していた。

 足音すらしなかった。


 カザンはゆっくりと後ずさると、崩れるように鉄柵にもたれかかった。

「大丈夫、ですか」

 駆け寄ろうとしたフランを片手で制し、彼は静かに息を漏らした。


 身体中の傷口は既に乾き出し、完全に回復して白い肌が覗いているものもある。


「今のは……」

「ええ、俺と同じキラーズです。 “血濡れの兎”レッド・ラビット。キラーズの中で最速の機動力を誇る。生前は軍人で戦争経験も豊富。敵に回したら厄介だ。危なかった……」


 不死身に思えたカザンが押し負けるような相手が容易く存在するのだと思うと、フランは唾を飲んだ。



「もう大丈夫。行きましょう」


 立ち上がったカザンの喉は歪な赤い線が縦に走っている。フランは黙って歩き出した彼の背を追った。


 枯れ葉の上に散った血痕をなぞるように歩きながら、フランは思った。



 この男にとって、ここはまさしく地獄だろう、と。

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