第16話、『 市松 』

 天使との共同生活も、悪くない。

 何しろ、便利だ。 何でも出来るんだから・・!

 もう少し、いてもらってもいいかな?


 和弘は、『 決闘 』の後、上機嫌だった。

「 はっはっは! 今日は、オレのオゴリだ! 何でも食べさせてやるぞっ? 」

 豪気に笑い飛ばす、和弘。 回転寿司以外の店へ連れてってから言え。

 ハンスは、メシに釣られ、和弘と久美について行った。 分かっているとは思うが・・ たくあん巻きは、食うなよ?


 久し振りに1人となり、ある意味、開放感に浸りつつ、僕は、バイト先のソバ屋へと向かった。

( 香住と、2人で歩きたいなあ・・ )

 1人になると、つい、香住を想ってしまう。 香住といれば、シアワセだ。 今頃は、部活をしている頃かな?

 愛しい香住を想いつつ、僕は、大学の正門を出た。


 大学近くの、商店街にあるソバ屋・・・

 周りには、ブティックや雑貨屋が建ち並んでいる。 JRの駅が近くにあり、昔ながらの雰囲気だ。

 通りには、大きなアーケードがあり、雨の日でも傘が要らない。 おかげで、JRの駅から大学の正門まで雨風をしのげる為、学生の大半は、この商店街を通る。 僕が、バイトしているソバ屋も、時折り、同じ大学の学生が客として来るが、ソバ屋だけに、そう大勢は来ない。 だから、気兼ね無く、3年間も続けていられるのかもしれない。


 商店街を歩いていると、ふと、ブティックのショーウインドーにあったマネキンが着ている薄手のセーターに目が止まった。

 淡いベージュの、春物セーターのようだ。 胸の所に小さく、数行の英文と木の葉の刺繍がしてあり、なかなかオシャレだ。

( 香住が着たら可愛いだろうな。 似合いそうだ・・ )

 値札を見ると、1万8千円とある。


 ・・・結構、高い。 でも、どうしよう・・ 買おうかな?


 考えてみれば、誕生日やクリスマス以外に、プレゼントなんてした事がない。 突然したら、香住は、どう思うだろうか。 楽しみでもあり、不安でもあり、ちょっぴり気恥ずかしい・・・

 とりあえず、バイト代が入ったら、本格的に考えてみよう。

 僕は、歩き始めた。


 黒木の格子が入った、自動ドア。 暖簾には、『 市松 』とある。 店は、4代ほど続いている老舗で、麺は手打ちだ。 特に、ダシには、こだわっているらしい。 僕には、よく分からないが、大将は 「 今日のダシは、イイ 」 とか、「 ちょっと、コクが多いな 」 とか、いつも唸っている。

 軒先に置いた、赤い毛氈を掛けた縁台が、目を引く。 朱の唐傘も立て掛けてあり、京都風の雰囲気だ。 別に、京都を意識している訳ではないのだが、この、『 和 』の雰囲気は、僕は好きだ。 ・・てゆ~か、香住が、意外に和風が好きなのだ。 学校は、ミッション系なのに、着付け教室にも通っている。 通学カバンの中には、いつも『 お裁縫セット 』が入っていて、デート中、僕のシャツやコートのボタンなどが取れかかっていると、すぐに『 繕い 』を始める。 極寒の中、何度、コートを取り上げられ、震えた事か。 ・・嬉しいケド・・

 デート中も、よく、和食の店に立ち寄る。 従って、僕も香住に感化され、和食が好きになった。


「 こんにちは~ 」

 暖簾をくぐり、店内に入る。

「 おう、来たか。 真一、早速で悪いが、手を洗って手伝え! 」

 最近、ちょっと下っ腹辺りの贅肉が気になり出し始めた大将(45歳)が、厨房の中から声を掛けた。 もうもうと立ち上る湯気から察するに、ダシをとったカツオ節を、木綿の布で絞っているのだろう。

 手荷物を厨房奥の棚に置き、手を洗った僕は、襟に濃紺の帯が入った白い上っ張りを羽織り、早速、厨房に入った。


 香ばしい、カツオだしの香り・・!


 一挙に、腹が減って来る。

 大将が言った。

「 昨日から、ぜんざいを始めたからな? 」

「 え? ホントにやるんですか? 」

「 ソバ屋で、甘物ってトコが、ミソなんだ。 何となく、食べてみたくなるだろ? 」

「 どうですかね~? まあ、悪くはなさそうですケド・・ うりゃっ! 」

「 うおっ・・ 負けんぞっ? そりゃ! 」

 カツオだしが入った大きな木綿の布を、2人掛りで交互に絞る。 湯気を立てながら、アルミ製の胴鍋に、旨そうなダシが溜まる。

 2つある大きなカマの前で、打ち上がったソバを小分けしていた、通称『 タカちゃん 』( 本名、高田 )が、僕に言った。

「 モチは、カマの排気口で焼くからよ。 ぜんざいの方、真一君の方で用意してよ 」

 40歳くらいに見える、タカちゃん。 本当は、32歳である。 前髪の生え際が、著しく後退しており、誰がどう見ても、40過ぎだ。 まだ、独身である。

「 分かりました。 器は、どうします? 味噌汁のお椀で出します? 」

 僕が、大将の『 捻り 』を凌駕しながら言うと、負けそうになりながら、必死に捻り返し、大将が答えた。

「 ちゃんと・・ 買って来て・・ あるわい・・! ぬううんッ・・! 」

 おお・・! 45過ぎにしては、見事な金剛力。 さすが、年季が違う。 僕が捻り返すと、大将はムキになり、無言で捻り返して来た。

 ・・・ココは、若人として、負けるワケにはいかない。

 僕は、足をガニ股に開いて構えると、渾身の力で捻り返した。

 大将が、喘ぐように言う。

「 ・・お・・ おおぉ~う・・! や・・ やるな、小僧おぉ~・・! 負けん・・! 負けんぞ・・! 負けるワケには・・ イカん・・のだあぁ~~・・・! 」

 そんなに、ムキにならなくても・・・

 厨房の外から、大将の奥さんが新しい器を手に、言った。

「 真一くん、コレ、ぜんざい用の器ね! 」

 真剣な顔で、厨房内にて格闘している、僕と大将。

「 ぬうう、ぬううう~~~・・!」

「 うおお・・ おおおぉ~~う・・!」

 器を手にしたまま、ぽか~んとした顔で、僕らを見つめる奥さん。

「 ・・ナニしてんの? 2人とも。 そんなに、真剣になるコト? 」

 大将が言った。

「 てめえは、黙って見とけ・・! 男の闘いだ・・! 」

 ・・今日は、男の勝負とか、闘いとやらに、よく遭遇するな・・ コレに勝ったら、ナンか、もらえるのかな?


「 はい、ごめんなさいよ、と・・ 」

 暖簾をくぐり、1人の老婆が店内に入って来た。

「 らっしゃい! ・・なんだ、オフクロか 」

 大将の声に、老婆は言った。

「 ナンだ、とは何だい? これでも、客にゃ違いないないだろうが。 かけソバ、おくれ 」

「 タカちゃん、ソバ一丁~! まかない用で、いいぞ。 昨日のが冷蔵庫にあったろ? 」

 カマ場のタカちゃんに、声を掛ける大将。

 老婆は、入り口近くの座敷に上がり、座布団に座ると、テーブルをダスターで拭いていた僕に、声を掛けた。

「 真ちゃん、今日の夕飯は、どうするかね? 」

 手にしていたダスターを、たたみ直しながら、僕は答えた。

「 ここで、まかないを食べていきます。 有難うございます 」

「 信州の妹が、イモを送って来たんだがね。 煮物にして食堂の冷蔵庫に入れておくから、適当に食べなよ? 」

「 すみません、頂きます 」

 この老婆は、僕が下宿しているアパート『 すみれ荘 』の大屋、おきぬさんである。 時々、思い出したように、息子の店である、この『 市松 』にやって来る。 注文は、決まって『 かけソバ 』。 今日は、買い物だろうか。 いつも洋服を着ているのだが、着物を着ている。

 僕が、おしぼりと湯飲みに注いだお茶を、おきぬさんのテーブルに持って行くと、おきぬさんは言った。

「 真ちゃんは、エライのう~ 香住ちゃんと、デートの1つもしたいトコなのに・・ こうして、あの、デキの悪いバカの店を、手伝ってくれとるんじゃからのう~ 」

 それを聞いた大将が、厨房の奥に向かって言った。

「 タカちゃん、ダシは、半分にしとけ。 カマボコも要らん 」

 更に、おきぬさんは続けた。

「 だいたい、あのバカは・・ 中学ン時まで、オネショ、しちょったんだぞ? 高校時分にゃ、お前さん・・ 自転車ごと、肥えダメ( 畑に埋めてある大きな陶器製の瓶。人糞を溜めて発酵させ、肥料として畑に撒く )に、ハマりおったわい。 信じられるか? 真ちゃん。 自転車ごとだぞ? どうやったら、ハマるんじゃ、全く 」

 大将が言った。

「 タカちゃん、ゆでなくてもいいぞ? そのまんま、出せ 」

 ・・・ソバじゃ、なくなってしまうんじゃ・・・?

 苦笑いしながら、ゆであがったソバを、どんぶりに入れるタカちゃん。 ダシを浸して、カウンターに出す。

「 真一君、あがったよ! お待ち~! 」

 木目の入った、黒いトレイにどんぶりを乗せ、それを、おきぬさんのテーブルまで運ぶ。 奥さんが、小さな茶碗に盛ったご飯を持って来て、言った。

「 はい、お義母さん 」

「 おお、すまんねえ~ 佐代子さんにも、迷惑かけるねえ~ あのバカは、言う事聞かんかったら、叩いてやってくれよ? 構わんからのう~ 」

 目を細めながら言う、おきぬさん。

 何とも平和で、ユーモラスな会話である。 僕は、この雰囲気が大好きだ。 ここに、香住が加わったら・・・ う~ん、最高かも。

 やっぱ、僕・・ 来年、留年しようかな・・?

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