第4話 滝沢優一の場合 1

「ですから、ここに書いてあります通り、この金融機関からは引き落としは出来ないんですよ」

 携帯大手キャリアの一つであるHardCaseのショップで、さっきから私に同じ話を繰り返してるのは、全身をコンパスで描いたような顔も体型も丸い女性だ。

「契約書にはそんな事書いてませんよ」

 私もここで引き下がる訳にはいかない。

 職業柄、契約書の読み方は熟知している。

 しかし、どこをどう読んでも、彼女の説明してるような事は書いていない。

 そもそも、私はその金融機関に確認を取ってからここに来たのだ。

 間違いなく、そこで引き落としはされてるはずだ。

 コンパスちゃんは困ったような顔で眉を下げている。もちろん、コンパスで描かれたような曲線は崩れていない。

 そこに、隣で接客を終えた別の女性が割って入ってきた。

「お客様、私から説明をさせて頂きます」

 驚いた事に、その女性は主任だと言う。

 何が驚いたのかと言うと、隣の会話を聴くとはなしに聴いていたのだが、彼女が頭の悪そうな客にしていた説明がデタラメだったからだ。

 彼女は貼りついたような笑顔を浮かべたまま、私に滔々と話してくる。

 だが、中身はスカスカだ。

 なんら整合性の欠片も無い話を一通り聴いたあと、私はコンパスちゃんに訊いた。

「で、本社は何と言ってますか?」

 主任が出て来た時に、こっそりと本社に確認電話をするよう指示しておいたのだ。

 コンパスちゃんは主任の顔色を伺いながらも、こう言った。

「えーっと。お客様の言われた通りでした。クレジット会社を通して引き落としが出来るそうです」

 まあ、当たり前の話だ。契約書を読む限り、そうとしか書いてないのだから。

 主任の女性が慌てだした。

「研修で教わった事と違う!」と。

 それは、こちらの知った事ではない。

 私は慇懃無礼に、主任に契約書を指さしながら一言一句丁寧に説明した。

 最後、出て行く時に「勉強になりました!」と言われたが、ちっとも嬉しくない。

 こっちとしては、ここに来てからの2時間を無駄にしたのだから、2時間分の通話料の割引と、契約書の読み方を教えたレクチャー代が欲しいくらいだ。

 

 この街では、全国組織の支店ですら気が抜けない。


 東京の大学を卒業し、税理士と司法書士の資格を取ってから私はこの街に帰って来た。

 税理士である親の跡を継いで、更に司法書士の看板も掲げた。

 司法書士として会社設立を請け負い、そのまま税理士として毎年顧問料を戴くという、効率の良い事務所になった。

 人も増やし、税理士志望の若い子には、働きながら資格が取れるように後押しをする。

 そういった人材育成をやって来た結果、税理士だけで5人、事務員兼見習いが6人の中堅事務所になった。

 司法書士資格者は私だけだ。そんなに頻繁に需要があるものでもないし。

 今はこれで充分やっていけている。

 税務署、法務局、各金融機関とも顔馴染みになったが、どうも一部から煙たがられているような節も思い当る。

 昔からなんでも思った事をズケズケ言う性格だし、自分が間違っていない事は折れないというポリシーが、全ての事をなあなあで済まそうとするこの街の人たちとは合わないのだろう。


 大人になって戻ってきたら、学生の時には気づかなかったこの街の問題点も見えるようになってきた。

 とにかく、東京と比べるのもおこがましいくらい、この街の商売人はヌルい。

 特に飲食店は、全国チェーンのお店でもかなり効率が悪い。

 なにせ、入口が大混雑をしてても、中を覗くと半分以上席が空いてる事が多い。

 店員が優先順位を間違えてるのだ。

 原宿の有名ラーメン店の仕切り名人の捌き方を知ってる私は、最初はめまいがしたものだ。

 しかも県内のチェーン店クラスのラーメンショップでも、混んでる時は誰も電話に出ない。

 店内にずっと電話のベルが鳴り響いていて、凄くストレスを感じながら食べるラーメンが美味しいはずもなく、結局そこのチェーンには行かなくなった。

 小売店も、今まではライバルも無くのんびりとやっていたお店が、ネットの台頭により、考え方を改めさせられている最中だ。

 なんの業種でもそうだが、競争相手が無いところは腐って行く。

 たまには掻き回さないと濁ってしまうのだ。


「先生、商工会の町田さんからお電話です」

 商工会から、起業の法務手続の仕事が結構来る。

 定期的に起業を考えてる人たちを集めてのセミナーが開かれるので、その時に講師を務める事もあるのだ。今回の電話も、やはりその関係だった。

「今回、YEG入会希望者の女性で、黒谷の人なんですよ」

「黒谷の人が山月の商工会に入れるんですか?」

「ええ、特別会員って事なら大丈夫なんですよ」

 初耳だ。そんな事が可能なのか。

 まあ、黒谷も今は山月市に編入されたし、将来的には全部山月商工会になるだろうから、それを見据えての措置なんだろう。

「それで、一度滝沢先生をご紹介したいと思いまして」

「承知しました。来週でしたらまだスケジュール空いてますからご連絡ください」


 翌週、クライアントである北園冴子が我が事務所を訪ねてきた。 

 彼女は美しい女性だった。事務所のみんなも見とれている。

 多分、このルックスだけで起業は成功するだろう。

 綺麗な人の周りには、自然と人が集まってくるものだ。

 金融機関の融資の際にも、そういった点は当然考慮される。もちろん、そんな理由は表立っては書けないが。

 民間でも、彼女の為にお金を出そうと思う男性はいくらでもいそうだった。

「すみません、何も分からないものですから必要なものを一から教えて頂けますでしょうか?」

 彼女は多分、本能的に「男には全部頼った方が良い」という事を知っているのだろう。

 自分が、どこか保護欲をそそるタイプだという自覚があるようだ。

「そうですね。まずは一番大事なお金の話をしましょうかね」

「ええ、その方が分かりやすいです」

「まず、資本金はどのくらいをお考えですか?」

 今は資本金1円からでも起業は出来るが、もちろん会社設立には別途お金が掛かる。全部自分でやっても、印紙代とかは必要だ。

「とりあえず、会社設立費用も含めて100万円で考えています」

「そのくらいあれば充分ですよ。どうしても必要最低限の手続きで15万円くらいは掛かりますし、私の手数料を含めて30万円くらいはみておいてください」

「そのお金はどうすればよろしいですか?」

「資本金は、全額一旦銀行に預けます。それが証明になりますからね」

 彼女は真面目そうにメモを取っている。

「まず、会社の定款を作らないといけないので事業内容を書きだしてください。一度作ってしまうと変更する度にお金が掛かりますから、将来的にやろうとしてる事は全部入れてください」

 これを公証人役場に提出して認証を受けないといけない。

 山月市の公証人は、実に偉そうにしてるからあまり行きたくないが、仕事なので仕方ない。

「あと、会社印と個人の実印、社判を作っておいてください。市内のはんこ屋さんでも良いですし、ネットでもセットで作ってくれるところがありますからね。会社印は実印と角印、出来れば実印も銀行用と分けて2つあった方が良いですね」

「えーっと。会社の実印が2つと、角印、社判、個人の実印ですね」

「そこら辺はネットの『会社設立セット』みたいなのを参考にした方が良いかもしれませんね」

 地元のはんこ屋さんが心許ないって理由もあるのだ。

「会社と個人の実印が出来上がったら、印鑑証明を取ってください。会社のは法務局、個人のは市役所です。黒谷の役場でも大丈夫ですよ」

 冴子はそこでちょっと困った顔をした。

「黒谷の役場だと、書類一枚貰うのに凄く時間掛かるんですよ。何を申請しても10分以上待たされます」

「なんでそんなに掛かるんでしょうね?」

 今は黒谷の役場も山月市役所の支所だから、オンラインで繋がっているはずだ。

 そんなに時間が掛かるはずがない。

「どんな書類でも、一度山月市役所に電話して確認してますね」

 なんでそんな無駄な事をやっているんだろう?

「おまけに、全員がPC出来る訳じゃないみたいで。実は山月市と合併してオンライン化が進んだ時に、PC扱えないのを苦にして首を吊った職員も何人かいたようでして…」

 山月市役所も相当時代遅れだと思っていたが、黒谷支所は想像を絶するようなアナログ振りのようだ。

「いろいろたいへんなようですし、細かい事でこちらに来るのも時間掛かるようですから、こちらで書類も取りましょうか?」

「そうして頂けると助かります」彼女は心底ホッとした顔をする。

「では、委任状を用意しますので、記入とはんこをお願いします。面倒臭いようでしたら、こちらで認め印用意しておきますね」

「ありがとうございます」

「ただ、銀行口座開設と、資本金の預け入れは北園さんの方でお願いします」

「はい。いつくらいに行けば良いですか?」

「スケジュールを説明しますね。まずは事業内容を書きだして、それを基に定款を作って、公証人役場で認証を受けます。その後に銀行で口座を開設して資本金を払い込みます。で、その通帳を持って法務局で登記申請ですね」

 必死でメモを取っている。

「後は、税務署、市役所や労働基準局、ハローワーク、年金事務所にも届出が必要です。それはこちらでやっておきます。定款が完成してから2~3週間で出来ると思いますよ」

「本当に、何から何までありがとうございます。私一人ではとても無理なのがお話聞いてるだけでよくわかりました」

 彼女はブラックホールのように全てを吸い込むんじゃないかと思うような瞳をしている。

「いえ、仕事ですから」

 私は勤めてクールに返した。


 その後何度かメールでやり取りをして、定款は完成した。


 商号は「株式会社北斗」。屋号として「北斗水産」にするようだ。

 代表取締役社長は北園冴子。社員は父親と母親。

 魚介類販売を軸に、観光業や飲食業、民宿の経営、ネット通販も視野に入れているようだ。

「とにかく、可能性のあるものは予め全て入れておいた方が良いですよ」という私のアドバイスに従い、モデル業や出版、書籍やDVDの販売、配信といったものも入れている。

 なにせ定款を書き換える事になると、山月市では出来ないので、わざわざ車で一時間半掛けて県の法務局まで出向かないといけない。商号や目的の変更だけでも3万円取られる。

 それを考えると、やるやらないは別にして、いっぱい目的を入れておいた方が良いのだ。

 彼女は最初「モデルなんかやりませんよ」と恥ずかしがっていたのだが「貴女がやらなくても、誰かをモデルにして写真撮る時にアドバイス出来るんなら、それが仕事になる可能性もありますから」と言い含めておいた。

 実際、美人の周りには美人が集まるものだから、モデル事務所を山月でやっても面白いんじゃないかと思う。大学もあるから、意外とモデル候補は集まるかもしれない。

 そういうものにお金を出しそうな狒々親父も、何人か思い浮かぶ。


 翌週、公証人役場帰りに彼女に電話する。

「それでは無事定款の認証も終わりましたから、銀行に行って口座を開いてください」

「ありがとうございます。早速、明日にでも行ってきます」

 電話口でも、喜んでいる様子が目に浮かぶようだ。


「滝沢先生! 山月銀行が『法人口座は作れない』って言うんです!」

 北園さんが事務所に電話してきたのは、翌日の事だった。

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