第5話 諦めるのは早い

 走っている。いつもの光景。

 姉は中庭をグルグル回っている。僕はその様子を眺めている。

 最近は途中で止まって木剣を振っている。

 着々と、女剣士の道を歩み始めているような気がする。

 それはそれで格好いいが、僕はそっちの道に行くつもりはない。


「はあはあ、あー、疲れた!」


 かなりの時間走っていたマリーは、僕の前まで移動すると、荒い息を整えていた。

 もうマリーは八歳だ。僕は六歳。

 子供ではあるけれど、ただ走り回る年齢ではないと思う。

 なのにマリーはずっと同じように走っている。

 剣を握っても走ることはやめない。

 何が楽しいのかと思う。

 しかし、どうしてそうも走るのかと聞いたことはない。

 だって子供だからって理由で済むから。

 でもさすがに疑問を持ち始めていた。

 彼女はどうしてずっと走っているのか。

 どうして同じことを繰り返しているのか。

 それが楽しいのか。

 最近はそんなことを考えている。

 昔に比べて、マリーの外見はかなり変わっている。

 女の子の成長は早い。

 まだ身長は百三十センチくらいだけど、女の子とわかるような成長をしている。

 スカート姿なので、たまに足が覗く。

 色気はないが、女の子らしさはあった。

 おしとやかにしなさいと言う両親だったら間違いなく怒られていただろう。

 ウチの両親は子供のことを良く見ているし、寛大だ。

 だからあまり怒るようなことはない。

 ただ、無茶をしたり怪我をしたり、誰かを傷つけたりしたら怒る。


「よいしょっと」


 マリーは僕の横に座って空を見上げている。

 それだけだ。

 彼女は何も言わない。

 僕が何を考えているのか、何を悩んでいるのか、聞いてきたことはない。 

 それは両親も同じだ。

 ただ普通に接してくれている。

 この年齢の子供はわがままだし、弟がいればかなり無茶をするという話も聞く。

 姉や兄は自己中心的な行動をとり、下の兄弟は苛められるのも常だ。

 けれど僕にはそんなことは一切なかった。 

 僕はマリーの横顔を眺めた。

 整った顔立ちをしている。

 勝気で快活な彼女は、どこか勇ましく凛々しい。

 僕にはないものを沢山、マリーは持っている。


「ねぇ、姉さん」

「なあにー?」

「姉さんはどうして、そんなに走ってるの?」


 僕の問いに、マリーはうーんと唇を尖らせていた。

 何かを考えながら首を傾げていたがやがて口を開いた。


「お姉ちゃんだからねぇ」

「……よくわからないんだけど」

「うーん、ほら、何かあった時のために鍛えてるのよ」


 要領を得ない。

 走っている、剣術を学んでいる。その理由が何かあった時のため、ならばわかる。

 でもお姉ちゃんだから、という部分とはつながっていないような気がする。

 マリーは会話が下手なわけではないけど、要点しか話さない時がある。

 彼女は勉強が苦手だけど、頭が悪いわけじゃない。


「何かあった時のため?」

「そう。魔物が出た時とか、悪い人が来た時、戦えた方がいいじゃない?

 あたしはそういうの得意みたいだし」

「……それがなんでお姉ちゃんだから、なの?」

「そんなの、あんたを守るために決まってるじゃない」

「え?」


 寝耳に水だった。

 予想もしてなかった答えに、僕はただただ困惑した。


「あたしお姉ちゃんだもん。あんたに何かあった時のために強くなってないと困るじゃない?」

「僕の、ため?」

「そうよ。まっ、苦しかったりするけど、嫌じゃないし」


 マリーは当たり前のことでしょ、と言いたげに空を見上げながら言う。


「あたし、頭はあんまりよくないけど、身体を動かすのは得意だからね。

 こういうことしかできないけど」

「じゃあ、姉さんは、ずっとそのために走って、鍛えてたの?」

「そうよ?」


 あっけらかんとしている。

 恩に着せるでも、自慢するでもなく、ただ当たり前のように言った。

 その自然な言動に、僕は言葉を失った。

 彼女の思い。その純粋さに、何も言えなくなった。

 その思いの先に僕がいて、マリーは僕のために努力していたということ。

 それが嬉しかった。

 同時に、申し訳なく思った。

 僕はずっと僕のことばかり考えていた。 

 それなのにマリーは僕のことを考えて頑張ってくれていた。

 両親もそうだ。

 いつも僕を気遣ってくれていた。心配してくれていた。

 でも僕は?

 僕は自分のことしか考えてない。

 周りに心配をかけて、甘えていた。

 こんな小さい子が、僕のために頑張っていたのに。 

 小さい体だ。でもとても大きく見えた。

 ちらっとマリーが僕を一瞥する。

 何か考えている様子だったが、立ち上がると、僕に手を差し伸べてきた。


「行きたいところがあるの。ついて来て」

「でも、あまり遠くに行っちゃダメって」

「大丈夫。近くだから。それに魔物がいない場所だしね」


 僕は戸惑いながらマリーの手を握る。

 この姉はいつも突拍子がない。

 翻弄されることも多いが、それが嫌ではなかった。

 中庭を通って、外へ行く。

 家の外は草原と森が広がっている。

 視界は悪くないけれど、森の中に入るとあまり見えない。

 マリーは道を進み、しばらくすると迷いなく森の中に入った。

 森の中にはほとんど入ったことがない。

 大体は道なりに街道を進むからだ。

 しかしマリーは恐れなく、ずんずん進んでいった。

 頼もしい背中だ。相手は八歳なんだけど。 

 しばらく歩くと、視界が広がる。

 そこにあったのは湖だった。


「少し待ちましょう。夕方になれば見えるわ」


 ここから家まで十数分位。夕方になって帰路についても夜になる前に辿り着くだろう。 


「母さんに怒られないかな?」

「怒られるかもね。でもその価値があると思うわよ。多分」


 不安ではあった。怒られたくないのではなく、心配をかけるからだ。

 ただマリーの横顔を見ては、それも言えなかった。

 彼女はじっと湖を眺めて、目を離さない。

 僕はマリーの横に座る。

 湖畔から湖を眺めるだけの時間が過ぎて、夕方になっていく。

 何があるのかという疑問は氷解しなかった。

 変化が訪れることはなかった。

 空は赤く染まりつつある。

 そろそろ帰ろう、と言おうとした時、マリーが立ち上がった。


「ほら、見て!」


 マリーが指差す先に視線を移す。

 湖には変化がなかったはずだった。

 しかし水面に何か違和感があった。

 何かが動いている。

 それが一つ、二つ、三つと増えていき、やがて水面から浮かび上がった。

 水の中から空へ立ち上るそれは、光の玉だった。

 湖の中で生まれて、空へ浮かぶ。

 徐々に消え、また水の中からそれは生まれた。

 幻想的だった。

 そして。

 それは非現実的だった。

 こんな現象は現実にはないはずだ。

 でも存在している。

 光の玉は湖中に現れ、情景を彩る。

 美しいという言葉以外に浮かばない。

 呆気にとられていると、マリーが口火を切った。


「夕方前になると、こうやって光の玉が現れるの。なぜかは知らないけれど」

「と、父さん達は知っているの?」

「話したことはあるわ。それで連れてきたこともあったんだけど、不思議と見えなかったのよね。

 だからちょっと不安だった。シオンにも見えないんじゃないかって」

「大人には見えないのかな……?」

「ううん、子供でも見えない子もいたわよ。見える子は一人だけだったわ。

 それに、見え方も違うみたい。よく見えたり、うっすらとしか見えなかったり。

 あたしには瞬いて見えるけど、その子にはぼんやりと見えたみたい」


 ちなみに僕には友達がいない。

 家からほとんど出ないし、出る必要もないからだ。

 姉さんは頻繁に外に行っては、周辺の子供と遊ぶこともあるらしいけど。

 僕は光を見た。

 はっきりと色濃く見えている。


「不思議だね」

「そうね、不思議。でも……魔法みたいじゃない?」

「魔法……?」

「そうよ。あんたが言ったんでしょ。光とかそういうのを生み出すとかなんとか。

 ほら、それっぽいでしょ?」


 言われてみると、そうかもしれない。

 湖から浮かぶそれは、不可思議な現象だった。

 魔法と言われれば、否定はできないかもしれない。

 しかし驚きはそれだけではなかった。

 マリーはたった一度、三年前にした会話を覚えていたのだ。

 僕が父さんに魔法のことを尋ねたことを。


「覚えてたんだ」

「まあね。あたし記憶力は悪いけど、シオンのことだもん。覚えてるわよ。

 あれから、あんた元気なくなったしさ……なんか関係あるのかなって。

 それで最近、この場所見つけて連れてこようと思ったの。

 危ないかもだから、色々と調べてたらちょっと遅くなったけどね」


 見ていてくれたのだ。

 マリーはずっと、僕のことを。

 情けないと思った。

 自分を責めた。

 あまりに真っ直ぐすぎる思いに胸を打たれた。

 そして。

 たまらなくなって僕は泣いてしまった。


「ご、ごめん……姉さん……」

「なんで謝るの! なんで泣くのよ。もう! しょうがないなぁ」


 ぽんぽんと頭を軽く叩かれた。

 それが優しすぎて、余計に涙を促した。

 嬉しかった。こんなにも自分のことを考えてくれる人がいることが。

 マリーはそっと僕を抱きしめてくれた。

 子供の体温は高く、温かい。

 僕も同じで、だからこそ互いの存在が色濃くなった。

 ようやく泣き止んだ僕は、恥ずかしさのあまり俯いた。

 マリーはそんな僕を茶化すことはなく、何も言わずに背中を撫でてくれた。


「さっ、帰るわよ」

「……ありがとう、姉さん」

「お、お礼が言ってほしかったわけじゃないから……ちょっとは元気になった?」

「うん! すごく元気になった」

「そう、よかった」


 自然と手を繋ぐと、僕達は家に向かって歩いた。

 肩口に振り返ると、まだ湖は光で満ちていた。

 マリーの優しさを実感し、嬉しく思うと同時に僕は思った。

 もしかしたらまだ諦めるのは早いのかもしれないと。

 

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