第31話

「な、ななな、何すんだよ!?」

「これで少しは時間稼ぎができる。銃刀法違反を犯していたことを否定できるかもしれない」


 などと会話を交わしているうちに、機動隊は広場にまで突入してきた。もうこうなったら、素直に指示に従うしかあるまい。機動隊の気迫に圧倒されたのか、麻耶も俺と視線を合わせて頷いた。


「皆、抵抗は止めて! 敵いっこねえよ!」


 と、鶴の一声。

 その麻耶の声に、一瞬時間が止まったかのような錯覚が、俺たちを覆った。スクラムの要領で機動隊を押し返そうとしている連中も、モデルガンで脅しをかけていた連中も、機動隊に混じった刑事たちまでも。


「これ以上戦っても、皆怪我するだけだ!」


 麻耶の必死な横顔を見て、俺も加勢した。


「そ、そうだ! 公務執行妨害までしたことになっちまう!」


 すると、ところどころから、


「麻耶姉がそう言うなら……」

「仕方ねえ、ハジキは捨てよう」

「刑事ドラマみてえだな……」


 などなど諦めの声が聞こえてきた。

 機動隊もすっかり落ち着いたようで、手元の写真と不良たちの顔を見比べ、薬物反応があるかどうかを調べ始めている。その最中だった。


「おう、ちょっと道空けてくれい」

「あー、すいません、通してください」


 という声が、混沌とする視界の奥から聞こえてきた。やがてそれらの声の主が、機動隊と不良のごたまぜになった場所から姿を現した。


 一人は、背の低い小太りの刑事だ。茶色のコートを肩にかけ、独特の存在感を放ちながら歩み寄ってくる。

 もう一人は対照的に、痩せて背の高い刑事。灰色のコートをきちんと着込み、最初の刑事の腰巾着のように、すぐ後ろをついてくる。


 俺は少しだけ身体をずらし、自分の半身で麻耶の身体を隠すようにして、二人を睨みつけた。

 最初に口を開いたのは、小太りの刑事だ。すっと警察手帳を出しながら、


「月野麻耶、だな?」


 僅かに頷く気配が、俺の背後から感じられる。


「ご両親から直々に、お宅へ連れ戻すよう要請されている。一緒に来てもらう」


 しかし麻耶は不敵な笑みを浮かべながら、


「嫌だと言ったら?」

「おい馬鹿! さっき言っただろう? 公務執行妨害まで喰らっちまうって!」


 俺は小声で叱りつけたが、麻耶はお構いなしだ。


「そういう君は、葉山俊介くんだね?」


 俺に声をかけてきたのは、痩身の刑事だった。先の刑事と同様に、警察手帳を見せる。


「君がこの通りに出入りしていることは、分かっているんだ。一緒に来て、話を聞かせてもらえないかな?」

「その前に」


 俺は交互に、二人の刑事に視線を送りながら、


「俺たちをどうするつもりだ?」

「大人には敬語を使うもんだぞ、坊主」


 小太りの刑事が目を細めるが、俺は怯まない。怯むわけにはいかなかった。


「相手に名前を聞くときは、自分が名乗ってからだぜ、おっさん」

「ちょっと君!」


 痩身の刑事が心配げに小声で俺を咎めようとしたが、


「ふっ、ははははははは!!」


 その声は小太りの刑事の豪快な笑いにかき消されてしまった。


「ちょっと、何笑ってるんですか、肥田さん!」

「だってよ細木、こいつ、俺に向かって口答えしやがった! こいつは本気だぞ!」


 なるほど、小太りな刑事が肥田で、痩躯の刑事が細木というらしい。

 すると肥田は腕を組み、うんうんと頷きながら、


「確かに、何かを守りたいって気持ちはよく分かる。その何か、ってのが惚れた女だったらなおさらだ。しかしな」


 肥田が顔を上げた。その瞳には、しかし、からかいの気は全くなかった。社会の深い闇を見続けてきたのであろう、暗い光が輝いている。さすがにこれには、俺も唾を飲んだ。


「ここは日本、法治国家だ。法律違反をした奴は、それなりの待遇と、それなりの処置をもって罰せられる。まあ、正確には罰せられるかどうかは微妙なんだが、普通の人間とは異なる経験をさせられる。そのくらい、分かるだろう?」


 怒鳴るでもなく、手を挙げるでもない。その口調も語る内容も淡々としていて、暴力性は一切感じられない。しかし、それでもこのベテラン刑事の言葉には、とてつもない説得力があった。まるで心に重石を載せられたようだ。


「だから悪いが、あんちゃんとお嬢ちゃんには警察署まで来てもらう。細木、手錠」

「あ、はい」


 俺たちの方を顎でしゃくってみせる肥田に応じて、細木が手錠を取り出す。しかし、その時だった。


「待って!」


 麻耶が声を張り上げた。


「こいつは……俊介は、ただここに出入りしてただけだ! 酒もハッパもやってないし、何にも悪いことはしてねえぞ! 捕まえるんならあたいだけを――」

「そうもいかないんだ、麻耶さん」


 細木が、その長身を腰から折って麻耶と視線を合わせる。彼の声も穏やかだ。


「彼、葉山俊介くんは、実に詳しくここの、キラキラ通りの実情を知っている。これから調査をするにあたり、どうしても彼の協力が必要なんだ」

「だからって手錠なんか!」

「いいんだ、麻耶」


 俺は一息ついて、


「刑事さん、俺の身柄の扱いは一任します。でも麻耶は、薬物には手を出していません。酒だけです。それは俺が一番よく知っています」

「つまり深酒はしていた、ということだな? 未成年で」


 何事も聞きのますまいとしていたのだろう、肥田はこちらの弱みを突いてきた。


「君には手錠は必要ないね。二十歳過ぎだろう?」

「ええ、そうです」


 下唇を噛みながら、俺は細木に応じる。すると、肥田がずいっと前に出てきた。


「なら話は早い。お嬢ちゃんには手錠を掛けさせてもらう。あんちゃんには任意同行を求める。これでいいか?」


 俺は落ち込んだまま、首を上げることができない。麻耶も、ここまで言われれば素直に従うしかないと思ったのだろう、素直に両手を差し出した。


「えー、こちら交機一〇三、青年一名、未成年少女一名の身柄を確保、対策本部に戻ります」

《本部了解》


 こうして、俺は生まれて初めて、パトカーに乗り込むことになった。


         ※


 連れられて行くパトカーの中。運転席に細木、助手席に肥田、後部座席に俺と麻耶が座っている。

 パトカーの窓はスモークガラスだ。視界はほとんどない。それでも、しょんぼりとした顔馴染みの連中が機動隊のバンに乗せられていくのが見えた。確かに、いつかはこうなる日が来るのではないかと思ってはいたが、それが今日だとは。人間、随分呑気な生き物だ。


 って、待てよ。


「刑事さん、質問、いいですか」

「今回連れていく連中には黙秘権がある。これでいいか?」


 適当にあしらおうとするのは煙草をくわえた肥田だ。すると細木が、


「肥田さん、車内全席禁煙です」


 肥田はチッ、と軽い舌打ちをし、『で、何が何だって?』と言いながら俺の方に振り向いた。


「どうして今日だったんです、機動隊の突入は? 薬物依存者のたまり場がここ、キラキラ通りだと分かっていたんでしょう? 何故今日まで待ったんです?」

「ああ、それな」


 すると、前部の席と後部座席を隔てる防弾ガラスの向こうから、一枚の写真が押しつけられた。直後、俺と麻耶は同時にひっくり返りそうになった。

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