第22話

「なーんてね。でも嘘じゃないんだ。私も人間として、君の尽力を尊敬しているし、厄介事を解決する能力も高いと思う」


 そして、決定打を叩きつけてきた。


「君のことが好きなのは、月野麻耶。彼女だよ」

「……」


 今度こそ、俺は完全に顎を外した。


「あっ、ああああいつがお、俺の、ことを……?」

「そんなに驚かないでくれよ」


『鈍いなあ』と続ける神崎。余計なお世話だ、と普段ならツッコミたいところだが、そんなことを考えられないほど、俺は動揺していた。


「まあ、話は戻るけど、この件は君が口頭で伝えてくれても構わないし、これを渡すだけでも構わない」


 そう言いながら、神崎はジャケットの胸ポケットから一枚の封筒を俺に差し出した。宛名は、『月野麻耶様』『月野美耶様』とボールペンで書かれている。

 随分と素っ気ない印象を受けたが、きちんと二人の名前を明記するあたりは、神崎の真剣さ、几帳面さを思わせるところだった。


「もしここで俺がこの手紙を破ったら?」

「仕方ない、メールで麻耶の携帯に連絡する。そうなると、私が生きている間しかこの情報を送ることができなくなるから、君にとっては有利だろう、俊介くん」


『もし君が本気だったらね』と続ける。その時だった。


「ええ、彼は本気でしょうね、神崎さん」


 俺の背後から、静かな、しかし怒気をぶちまけるような声が響き渡った。

 俺は振り返らない。誰の声かはすぐに察せられたし、そもそも誰かとこれ以上真剣な話をする勇気がなかった。


「立ち聞きはよくないけど、どこから聞いてたんだい、麻耶?」

「そうだな、『死人に口なし』のところから」


 なるほど、死んだ人間の意見を訊くことはできない、という件からか。


「俊介、どいて」


 俺は身体を九十度回し、ゆっくりと後退した。廃ビルの外壁に背中がつく。その時、俺はようやく気づいた。麻耶の全身が震えていることに。怒りからか緊張からか、はたまた恐怖からかは分からない。だが、どす黒いオーラが足元から立ち昇っているような、そんな雰囲気だった。

 一方の神崎は、特にこれといった動作をしない。ふーーーっ、と長く息を吐く。それだけだ。

 麻耶は震える手をホルスターに回し、すっと引き抜いた。


「お、おい何やってんだよ!?」

「あの女を殺す」

「こんなところで撃ってみろ、跳弾して危険だろ!?」

「なら伏せてろ!!」


 麻耶はゆっくりと銃口を上げる。まさにその瞬間だった。

 何の予備動作もなしに、神崎が脱兎のごとく麻耶に突っ込んだ。


「ぐっ!」


 突然のタックルに、麻耶は拳銃を取り落とす。すかさず神崎はその拳銃を足で滑らせ、麻耶の手の届かないところへ。麻耶の意識がそちらにずれた瞬間、神崎は思い切り平手打ちをかました。

 しかし麻耶もさるもので、叩かれた方向へ身体を回転させ、回し蹴りを繰り出す。神崎は肘でそれをガードするが、この距離感での接近は危険と判断したのか、バックステップで距離を取る。

 二人は狭い路地で戦いながら、神崎が後退する形で広場中央へと出ていく。


「なかなかやるね。できるようになった」

「あんたが訓練してくれたお陰でね!」

「それはそれは」


 押されているように見えるものの、神崎のフットワークには余裕がある。対する麻耶は、隙こそ見せないものの、実際はがむしゃらなようだ。戦い方がワンパターン化している。ストレートに回し蹴り、それを防がれては前に出る。それからジャブかストレートで、再び回し蹴り。これでは読まれて当然というものだ。


 もうじき広場の壁にぶつかる、というところで神崎はバク転し、互いの攻撃の届かないところまで距離を取った。すっと右手を上げ、掌を麻耶に突きつける。麻耶も腕は下げないまでも、深呼吸をして落ち着きを取り戻した。


「さっきの話を聞いていたのなら、私の考えは理解してくれたんだろう?」


 僅かに乱れた呼吸を整えながら、神崎は尋ねた。しかし、麻耶はとんでもないことを口にした。


「分っかるわけねえだろバーーーカ!!」

「なっ!!」


 俺は驚いた。あれほど神崎を慕っていた麻耶が、そこまで言い切るとは。


「姉御、あんたのことはよく分かんねえ! あたい、ろくに学校通ってないしな! でも一つだけ言わせてくれ。あたいはあんたがいなくなるなんて、絶対に嫌だ!」

「だから、それについては説明を――」

「それはあなたがそう思い込んでるだけですよ、神崎さん。俺や麻耶が、あなたのことを理解したなんて」


 二人の休戦によって落ち着きを取り戻した俺は、辛うじて喋りだした。敬語で。


「まさか、『死んだら何も感じなくなるから、生きているうちに何をしても構わない』なんて思ってるんじゃないでしょうね?」

「何だと!」


 神崎への問いに食いついてきたのは麻耶だ。ただし、食いつく相手は俺ではない。


「本当なのか、姉御!? あたいらを助けておいて、かと言ってまともな生活なんて出来てなくて、未来なんて全然見えなくて……。まだまだあたいらは子供だ、姉御に助けてほしいんだよ! 甘えさせてほしいんだよ! それでも、それを中途半端に投げ出して、人助けをしたつもりになってるのか!? 救世主にでもなったつもりか! この――」


 その時、俺の背中に冷たいものが走った。


「待て麻耶、それ以上言うな!!」


 慌てて麻耶に飛びかかる勢いで、俺は麻耶の口を塞いだ。すると、


「ほほう」


 神崎が、目を細めて見ていた。麻耶ではなく、俺を。


「さすが仲介のプロの面目躍如といったところかな、俊介くん」


 俺は何とか、目を逸らさないようにと努力しながら、神崎を見返した。そして、先ほどの冷たさの原因を目にしてしまった。

 光だ。微かな、しかし鋭利な光沢――拳銃のグリップだった。どこまで本気だったかは不確かだが、これで麻耶を脅すつもりだったのか。

 神崎はしばし、胸に手を当て、夜空を見上げながら呼吸を落ち着かせようとしていた。拳銃は既にホルスターに戻されている。かと思うと、唐突に、空を見上げながら語りだした。


「私は飽きたよ、この世界に。あの世に逝ってみてもいいだろうな、って思うくらいには」


『この歳になって言うのも何だが』と言葉を繋げながら、


「私はこの世界に希望というのものを見出だしたことがあまりないんだ。あるのは暗いニュースと、それを回避していられるだけの酒に煙草にクスリ。私にはそれしか残っていない」


 家族とも離縁状態だと言うが、それ以上は語らなかった。


「それでもう、飽きちゃったんだよね。生きていることに。さっき言おうとしたのは、そういうこと」


 俺たちの間に、暗い沈黙が舞い落ちる。

 その沈黙を破ったのは、俺たち三人ではなかった。


「……お姉ちゃん?」


 突然の声に、俺は跳び上がり、麻耶はばっと振り返った。神崎は、軽く首を曲げながら四人目の登場人物の方を見つめている。


「やあ、美耶ちゃん」


 飽くまで朗らかに、神崎は美耶に声をかけた。


「神崎のお姉ちゃん、どうしたの? さっき、死んじゃうみたいなことを言ってたけど……」


 その時、俺は確かに見た。神崎の目元が引きつるのが。


「美耶、お前は引っ込んでな! こいつはもう、今までの神崎お姉ちゃんじゃない、ただの死に急ぎ野郎だ!」

「じゃあそんな私を止めようとしている君たちは何者なんだい? 『生き急ぎ野郎』かな?」

「そんな言葉遊びにつき合っていられるか! あんたなんか、生きる勇気がないんだろ? ただ傷つくのが怖いんだろ? そんな奴が、まともにあっさり死ねるわけねえじゃんか!!」

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