第16話

「ほれ」

「あ、俺?」


 目前に突き出された、ガラス製のコップ。


「せっかくなんだし、一緒に飲み明かそうじゃねえか」

「はあ!? まあ、俺酒には弱くないけど……」


 しかし度数四十度を、水も氷も加えずに飲むとは。


「決定! さ、遠慮なく飲め!」

「な、なあ、アキは……」


 一度振り返り、アキの方を見たが、アキはゆっくりと首を左右に振るだけ。


「ああ、ショットガン兄貴のぶんはカウントしてねえよ。いかにも酒に強そうだから。面白いリアクションは期待できねえし、飲んだらテンション落ちる人種みたいだからな。さ、再会を祝して乾杯だ、俊介」

「お、おう、乾杯」

「かんぱーーーい!!」


 麻耶は、その液体がミネラルウォーターでもあるかのように、喉を鳴らして飲んでいく。俺はといえば、刺激臭のする液体を、それの入ったコップを両手で握りしめることで手元に置いていた。


「おらおら、俊介も飲みなって!!」


 やむを得ず、コップの淵に口を近づける。と、その時、同時に二つのことが起こった。

 一つは、漂ってくるアルコールの香りに俺が鼻を突っ込んでしまったこと。

 もう一つは、これが麻耶との間接キスになる、ということを意識してしまったことだ。

 結果俺は、


「ぶふっ!」


 と口に含んだ分のテキーラをリバースし、麻耶に怒声を浴びせかけられることとなった。


「あっ、俊介!! 何してやがる! もったいねえ! ここに住んでるのだって、贅沢は言っていられないんだぜ? ただでさえ、酒と皆の分の薬物取引で消えちまうってのに、酒くらい大事にしろ!」

「なんで未成年で飲酒をしてるお前に言われなきゃならん! 理不尽だ!」

「ふん、ちょうどいい。反省しろ、変態」


 畜っ生!


「で、あたいらはどうしたらいい?」

「は?」

「おい、『は?』じゃねえよ変態! お前ら、あたいたちを助けにきたんだろ? 誰も頼んでないけどな」


 そいつはもっともだ。


「ま、まあ、常日頃のお前らの生活を観察して、何かしら折り合いをつけていくよ。それしかねえだろ?」

「つ・ま・り」


 麻耶は、赤くなる気配など微塵もない、しかし確かな酒臭さを漂わせながら、顔をずいっと近づけた。


「しばらくあたいらの行動を拝見、ってわけだな?」

「ん、ああ、そういうことに――」

「ケッ、やっぱ変態じゃん、変態は」


 次の瞬間、


「うおあああああああ!!」


 俺は全身を震わせながら雄叫びを上げた。さすがに麻耶も、びくりと肩を震わせる。


「うるっせえんだよ麻耶!! 人を変態変態変態変態、散々罵倒しやがって!!」

「へ、へんた……じゃない、俊介……?」

「いいか、ぺったんこのガキ大将!!」


 俺もまた、少し身体を屈めるようにして麻耶に顔を近づける。


「俺はただのお守りじゃねえ、お前の社会復帰を望んでここに来てるんだ! まあ半分は、そこにいるターミネーター紛いの奴に巻き込まれたんだがな!!」

「あ、そうだったの?」


 形勢逆転。


「今まで俺は、人に流されるままに生きてきた。大学だって二浪したし、入学したからと言ってろくに講義にも出ちゃいねえ。でもな、目の前で死にたがっていたり、自分の未来を棒に振ろうとしたりしている奴を見ると、そう、胃袋が燃え上がるようにムカついて、キレちまって、そして――」


 俺はすっと息を吸って、


「……寂しいんだ」


 あれ? きちんと息を吸ったはずなのに、最後の一言だけ小声になってしまった。麻耶の顔から目を逸らし、俺は麻耶のブーツに視線を落とす。ずずっ、と鼻水をすすりながら、涙が出そうになっているのをなんとか持ちこたえようとした、その時。

 麻耶のブーツが一歩、こちらに近づく。目の端で、麻耶の腕が上がるのが見える。俺の胸に、麻耶の頭が当てられる。


 俺が麻耶に、抱きしめられている……?

 すっと俺の後頭部に、麻耶の腕が回される。


「ごめんな、俊介。あたい、ずっとあんたらのことを疑ってたんだ。今までもこうやって、カウンセラーだの警察だの、やって来ることはあったしな」


 いずれも追い返したというなら、すごい話だ。二人一組で行動している警官だって銃で脅されれば逃げ腰になるだろうし、カウンセラーなんて、通りの入り口のツナギ二人組の時点ですぐに追い返されるだろう。

 そもそも、ここに麻耶と美耶がいるという確証を得ている人間がどれだけいるのか、怪しいものだが。


「俊介、話さなくてもいいよ。でも、あんたにも経験があるんだね? 大事な人に見捨てられた過去が」

「あ、うん、まあ……」

「じゃあ、お互い様だ」


 そう言って麻耶は俺の胸から顔を離し、微笑んで見せた。その笑顔は、どこか大人びていて、でも幼さが残っていて、そして俺の心の傷を優しく包み込んでくれるような深みがあって。


 その瞬間、ドクン、と、一際大きく俺の心臓が躍動した。

 何だ? 俺は何を考えている? まさか、いや本当にまさかとは思うんだが……。

 俺はぶるぶるとかぶりを振って、『その考え』を却下した。

 だってそう簡単には言えねえだろ? 『惚れました』なんて。


「いや、違う。こんなはずは……」

「ん? どうした俊介?」


 小声で呟く俺を、心配げに見つめる麻耶。


「何でもない。忘れてくれ」


 自分でもこんなか細い声が出せるのか。驚きつつ、俺はそう言って視線を逸らした。


「ふーん、変なの」

「変なのは元からの俺の性分なんだ」

「だろうな」


 僅かな沈黙が舞い降りる。


「で、今日はこれから何をするんだ?」


 と俺が尋ねると、


「とりあえず表に出よう。この部屋、ビルとビルの境目にあるから、暗くてしょうがねえんだ」

「それもそうだな」


 正気を取り戻した俺は、素直に首肯する。


「美耶、お前も来るか?」


 優しげな麻耶の声音。俺もそちらに視線を遣ると、布団から美耶が顔を出して、無言のまま俺たちを見つめていた。


「留守番の方がいいか?」


 麻耶の再びの問いに、美耶はこくこくと小さく頷いた。


「たまには顔出せよ、皆心配してるんだから。さ、来いよ、俊介」

「あ、ああ」

「ショットガン兄貴は……まあ、適当なところで警備についてくれ」

「了解した」

「あたいから攻撃許可を出す。挙動不審な奴がいたらぶっ放せ!」

「了解した」

「っておい!」


 ドアを開きかけた麻耶の背中に、俺は声をぶつけた。


「お前それって、自分が昨日みたいなドンパチを見たいから言ってるんじゃねえだろうな?」

「え、駄目?」

「駄目に決まってんだろうが!!」


 俺は口角泡を飛ばしながら、


「こいつは護衛! 戦闘員じゃない!」

「にしちゃあ随分と手馴れた動作だったじゃないか? 昨日の銃撃戦。こっちがゴム弾を使っているとしても、ほぼ実銃に近いものに撃たれて痛そうな顔一つしない。こいつ、一体何者なんだ?」

「あー、えーっとだな、こいつは……」

「俺はターミ――」

「嘘つけ!」


 俺は思いっきりアキの脛を蹴っ飛ばしたが、その屈強な身体はビクともしない。

 絶対遊んでるよな、コイツ。


「ま、いいや。あんたらから無理に話を聞こうとは、あたいも考えてないよ」


 それは助かる。


「じゃ、行こうぜ」

「お、おう」

「了解した」

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