第9話

 麻耶が、拳銃を握っている。他の警備の連中が持っていたのとは形状が違う。彼らが持っていたのはオートマチックで、今麻耶が手にしているのはリボルバーだ。蓮根のような穴の開いた部品に、弾を一つ一つ入れていくようなタイプ。

 それを見た瞬間、歩み寄ろうとしていたアキの足が止まった。


「なーんてね」


 麻耶の顔には、『凶悪!』とマジックで書かれたような笑みが浮かんでいる。


「どうしたんだよアキ! どうせあれだってモデルガン――」


 と言いかけた瞬間、麻耶は撃鉄を起こし、無造作に腕を反らして『発砲』した。

 ショットガンに負けずとも劣らない音と勢いで、弾丸が射出される。弾丸は、その射線上にあったビルの窓ガラスを直撃・貫通し、見事なまでにバラバラに破砕した。


「うちの爺さんの爺さん、元は職業軍人でな? 日英同盟が成立した時に、友好の証にコイツをもらったんだと。遺品整理をしていたら、コイツとその弾丸がジャラジャラ出てきたもんだから、護身用にこうして持ち歩いてるわけ」


 さて、と一息置きながら、麻耶は再び撃鉄を起こし、


「あたいに何の用だって?」


 完全にビビりまくっている俺の代わりに、アキが一歩、前に出た。ゆっくりと背中に手を伸ばし、ショットガンを取り出す。麻耶は黙って、それを見つめていた。


「君を助けに来た」

「何から?」

「君自身からだ」


 すると、少し納得した様子で、麻耶は『ふぅん?』と軽く頷いてみせた。


「どういう意味?」

「君には自傷癖があり、適正年齢に達してもいないのに飲酒を繰り返している。しかも、こんな状況下で生活しているとなれば、危険な薬物に手を出す可能性も高い。それを止めさせなければ」

「他の皆は? あっちこっちでスピードやらハッパやらやってるぜ?」

「君はこのエリアでリーダー格だ。君さえまともになってくれれば、他の大勢はそれに従うだろう」

「そのためにあたいをとっ捕まえようって?」

「そこまでは考えていない。飽くまで第一は君の安全だ」


 しばしの沈黙。麻耶は『はぁ』と短いため息をつきながら、拳銃を腰元のガンベルトに引っ込めた。


「……随分理論武装してきたんだな、あんた」

「君がそう言うのなら、そうなのだろう」


 すると麻耶は、唐突に俺と視線を合わせた。俺は恐怖で、半身をアキの陰に隠していたのだが、やはり俺も何か言わなければならないらしい。


「月野、さん。これ以上危ないことは止めた方が……」

「はあ!?」


 ぐっと身を乗り出した麻耶に、俺は余計ビビってしまい、後ずさりしそうになる。が、拳銃は麻耶の腰に戻されているし、いや、でもどれだけの速度で拳銃を引き抜けるか分からないし、しかし、こっちにはアキがついてるし、でもでも……。

 俺が脳内オーバーヒートしていると、不意に背中を押し出された。


「う、うわ!?」


 アキが、俺の背中をショットガンの銃口で突いている。


「なっ、何すんだよ!?」

「葉山俊介、君の担当は彼女、月野麻耶だ。写真は見せただろう?」

「そ、そりゃそうだけどよ……」

「何ごちゃごちゃ言ってやがるんだ野郎ども!」


 麻耶は腰を上げ、ずかずかと近づいてきた。ザッ、と俺の目の前で立ち止まり、ずいっと上目遣いで睨みを利かせてくる。


「大体あんた、何なんだ? 武器を取り出すでもなく、話を進めるわけでもない。あたい、そういう金魚のフンみたいな奴、一番ぶっ殺したくなっちまうんだけど」

「ま、待った待った待った!!」 


 俺は両手を前に突き出し、ぶるぶると首を振った。


「待たねえよ、とっとと答えろ。ああ?」

「いや、俺はただの大学生で……」

「ほほーう、いいとこの坊ちゃんか? ますます殺っちまいたくなるぜ」

「だーーーっ!!」


 喋れば喋るだけ、火に油を注ぐようだ。どうしたらいい? どうしたらこの窮地から脱出できる? 俺は、思いきって頭を真っ白にし、叫んだ。


「お前の爺さんの爺さん、悲しむぞ!!」


 と、その時、麻耶の態度ががらりと変わった。切れ長だった瞳は真ん丸に見開かれ、引きつらせていた口元はポカンと開かれている。


「爺さん……?」

「あ、ああ、そうだ」


 この現状を脱するなら、今だ。


「死人に口なし、って言うよな。でもあんなの、嘘っぱちなんだ。俺たちが死んじまった家族のことを想うのと同じで、お前の爺さんもお前のことを心配してるんだよ。それを無にしちゃダメだ。お前の爺さんも俺の」


 と言いかけて、俺は言葉に詰まった。俺の、俺の、俺の――。


「くっ……」


 俺は思わず、その場に膝をついた。


「俊介?」

「お、おいあんた、大丈夫かよ?」


 唐突な俺の挙動に、麻耶までもが心配げに俺の前にしゃがみ込む。しかし、そんなことには構わずに、俺は右手を顔の右半分に当て、左手もまた地面についてしまった。『その光景』を、視界から覆い隠すかのように。


「あんたも、何かあったんだな?」

「……なかったと言えば嘘になるよ」

「そっか」


 麻耶が歩み寄ってくる気配がする。


「あたいを助けに来たんだろう? それも、警察や養護施設の後ろ盾もなしに」


 俺は顔に手を遣ったまま、麻耶を見上げた。


「来なよ。あたいを助ける気なら。知られてもいいことだったら、教えてやる」


 そして、すっと手が差し伸べられた。


「ショットガンの旦那、あんたも来るか?」

「ああ。案内を頼む」

「さ、立てよ。俊介」

「あ、ああ……。俺の名前、覚えてくれたのか?」

「ばーか」


 麻耶は俺の腕を軽く引っ張り上げながら、


「さっき、ショットガンの旦那が言ったじゃねえか。なんちゃら俊介、って」

「そ、そりゃそうだが……」


 酔っぱらって銃をぶっ放すような状況で、覚えられるものだろうか?


「どうしてだか知らねえけど、すっと頭に入ってきたんだよ。なんちゃら俊介」

「葉山俊介だ。『なんちゃら』はつけなくていい」

「あっそう」


 それだけ告げると、麻耶はさっと背中を向け、すたすたと歩き始めた。


「おい、置いてくぞ、俊介」

「お、おう」


 俺は慌てて、麻耶の背中を追った。


         ※


 ぽたり、ぽたりと水滴が垂れる、暗い通路。蛍光灯は不安定に点滅し、水道管だかガス管だか分からないような配管が床に、壁に、天井にうねっている。まるで、巨大なエイリアンの体内を進んでいるようだ。


「お前の家、こんなところにあるのか?」

「家だあ? ハッ、笑わせんなよ」

「ど、どういう意味だ?」


 水滴をよけ、配管に足を取られないようにと、ゆっくり進んでいく。麻耶は振り返りこそしなかったものの、俺たちに配慮してゆっくり歩んでくれているように感じられた。


「おっと!」


 三本束になった配管をなんとか跨いだところで、麻耶は返答を寄越した。


「家なんて大層なもん、あるわけねえじゃん。アジトだよ、アジト」

「アジト……?」


 確かに、そう呼んだ方がよさそうな気はするが。


「お前一人で住んでるのか?」

「いや」


 そう答えたきり、麻耶は口を閉じた。


「じゃあ同居人がいるのか?」


 そんな俺の言葉を無視して、


「おーい美耶、帰ったよ」


 通路の中ほどで、麻耶は突然立ち止まり、声を上げながらガンガン、と金属製の扉を叩いた。

 ゆっくりと、ドアが向こう側に開かれていく。


 そこに展開されたのは、十畳ほどのスペースだった。廊下より少しは明るい。裸電球が部屋の天井から吊り下げられているからだろう。しかし、窓はない。

 入り口から見て右側にテレビがあり、ノイズだらけの、しかし辛うじて見聞きできるだけの情報を垂れ流している。それよりも、隅に置かれたラジオの方がよっぽどやかましい。

 正面奥にはトイレとバスルームへ通じるドアがあり、左側に目を遣れば、ベッドが二つ、くっつけて並べてあった。


 しかし、麻耶の『同居人』の姿が見当たらない。ああ、そうか。ドアを開けてくれたから、今ドアの陰にいるんだな。

 そう納得し、俺が『失礼します……』と言って足を踏み入れた、次の瞬間、


「よせ、美耶!!」


 麻耶が俺をわきへ突き飛ばし、部屋の中へと踏み込んだ。両手が虚空へと伸ばされる。と思いきや、その麻耶の手にすっぽりと、相手の手首が収まった。その先に握られていたのは、キッチンで見られる小振りな包丁。


「ひあっ!」


 今日になって、散々物騒なものを見てきた俺。だが、驚く余地はまだあったらしい。俺は恐怖に駆られて後方にすっ飛び、何度目かの尻餅をついた。

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