第11話 話してくれますか

「紅羽、遅いわ」

「椿先輩が早すぎるんです」


 約束した時間の十五分前だというのに遅いだなんて、先輩は何分前から待っていたのだろう。しかし毎度のことだ。時間に遅れたことはないけれど、先輩より早く来たためしがない。

 

「紅羽の服装っていつも破廉恥よね」

「世界中のショートパンツ愛用者に謝ってください。動きやすいんですよ、これ。不審者が襲いにきてもすぐ蹴りを食らわせることができるんです」

「じゃあ今日一日安心ね。約束のパフェ、奢ってあげるわ」


 時刻は十二時を少し過ぎていた。

 ちょうどお腹が空くお昼時に集合した私と先輩はパフェ専門店へと向かった。BL本を貸し出す度に報酬としてその店で奢ってくれるのだ。優に千円を超える値段のパフェを食べさせてくれるのだから行かないわけにはいかない。

 

「先輩は進学するんですか? それとも就職?」

「進学よ。オタサーの姫になるの」

「えっ……」

「冗談よ。ドン引きしないでよ。嘘よ、嘘。私があんな下民になるわけないじゃない」

「安心しました……。先輩、姫カットとかにしたら似合いそうなので簡単に想像できちゃいますよ」

「私は高給取りのイケメンと結婚して専業主婦になる人生設計を立ててるの。そのために自分を磨いてイイ女にならなきゃダメなんだから、オタサーの姫なんていうゴミ溜めの王女様みたいなことしないわ」

「めっちゃ辛辣ですね」


 でも先輩ならその人生設計を順調に実現させていきそうだ。こんな人だけど副会長に選ばれた人だし、成績だって良いと聞いている。生活態度も文句なしで表では人格者として通っているのだからきっと名の知れた大学へと進むだろう。

 そんなハイスペックな先輩腐女子とぶらぶら歩いて数分後。専門店に到着した。

 入店して席に座ると先輩はメニュー表を私に差し出した。


「さぁて、どれでも好きなもの選びなさいな」

「先輩かぁっこいい~」

「でしょう? 先輩面できるのあなたぐらいしかいないから頑張るわ」

「友だちいないんですか?」

「違います。親しい後輩が紅羽くらいしかいないの」

「確かに副会長としての先輩は近寄りがたい雰囲気出してますからね」


 私は遠慮なく千五百円もするパフェを注文した。初めて奢られたとき、遠慮して四百円のパフェをお願いしたら「私を舐めてるのか」と何故か怒られたので、以来、先輩が納得するこの値段のものを注文している。

 店員さんに注文を取ってもらい、できあがりを待つ間に再び進路の話題が出た。


「紅羽はどうするの? 進学か就職か」

「う~ん。今のとこは、このまま漫画家ですかね。進学はしないと思います」

「同棲は?」

「どっ、どうせい? どゆことですか?」

「あなた彼のこと好きなんでしょ? 船倉静真くんのことよ」

「何でそうなるんですか! 別に好きじゃないです!」

「だってねぇ。見てて解るわよ。彼を見るとき、たまに女の目をしてるわよ。誰がどう見たって惚れてるって思うわよ」

「女の目なんて知りません! 好きな人なんていません!」

「意固地ねぇ。奢ってあげないわよ」

「このくらい払います!」

「嘘だから信じないのー。聞いてるのは私しかいないんだからいいじゃない。悪いようにするつもりなんてないわ。私は可愛い後輩の悩める恋心を救ってあげたいだけよ。ついでに言えば芽生え始めた母性をぶつけたいだけ」


 なるべく自分の好意を見せないようとしてきたつもりだったが、他人には解りやすく映っていたらしかった。

 椿先輩にならいいだろうか。顔を上げて先輩を見ると子猫を見るみたいにほころんでいた。母性がダダ漏れしているようだ。


「先輩、誰にも言わないでくださいよ……」

「言わない。言ったら持ってる漫画を全部燃やすわ」

「船倉くんにも……」

「もちろん」

「……好き、です」


 人に初めて心の内を喋った。途端に全身の血液がせり登って顔に集まり、じんわりと熱を帯びた。耳はきっと真っ赤だ。口元もぎこちなく歪んでいるだろう。とにかく恥ずかしさでいっぱいいっぱいだった。


「可愛いぃ~! 紅羽! チューさせて! チューさせなさい!」

「近いです……! 母性を鎮めて……!」


 暴走する先輩の母性は止めようがなく、人の目があるというのにお構いなしに顔を肉薄した。私は必死に抵抗した。けれど力が抜け落ちていてギリギリの戦いだった。

 パフェの到来でようやく先輩はノーマルモードに戻ってくれた。


「そうかぁ。紅羽はずっと彼が好きだったのね……」

「……はぃ」

「声ちっさ。じゃあ突然押しかけてきたのは割と迷惑だった?」

「そ、そんなことないです。気まずい雰囲気から何度か助けられてますから……」

「本当に? なら良かったわ。お節介なババアと思われてたら泣いてたもの。彼はあなたのこと好きなの?」

「多分、好きじゃないです。船倉くんは少し鈍感な性格で、きっと私のことは恋愛の対象としていないです。好きになってくれるかも怪しいです……」

「最悪じゃん、鈍感系主人公とか。あーいうヒロインを困らせる甲斐性無しって嫌いだわ。ヤバい、憎悪がこみ上げてきた。次に会ったときは殴るかも」

「パフェ食べて落ち着いてください……! 船倉くんは悪くないので……!」


 スプーンを逆手持ちし始めた先輩を何とか言いくるめてパフェをつっつかせた。私も掬って一口食べる。やっぱりいつ食べても美味しい。見る見るうちに減っていくクリームやアイスを惜しみながら口へと運んでいった。

 心なしか、いつもより甘いパフェだった。





 次に私たちは書店へと向かった。

 書店と言っても一般の書店ではなく、漫画、ライトノベル、同人、その他グッズなどが展開されている書店だ。近年は女性向けの商品が爆発的に増え、今では客の半数以上が若い女性だ。

 この傾向は私たち女性が一番理解しているだろう。推しキャラに貢ぐためならお金は惜しまない、という信念だ。店側はそのニーズに応えただけにすぎない。


「紅羽、あなた何でマスクしてるの?」

「私たちの出会いを思い出してください」


 先輩とはこの書店で出会った。

 入学してから二週間が経った頃だ。当時、私はBLコーナーで新刊をチェックしていた。そこに現れたのが我らが副会長の椿莉子先輩だったのだ。新入生への挨拶で顔は覚えていたし、美人で有名だったから一目見て解った。

 もちろん先輩はそのとき私が誰だったかは知らない。私もただ「副会長腐ってるんすか!」と心の中で高揚しただけで話しかけなかった。しかし後日、事態が急変する。校内で椿先輩と偶然にもすれ違ったときに「あなたも腐女子?」と声をかけてきたのだ。それが私と先輩の腐敗した関係の始まりだった。

 それ以来、私はこういった書店に来るときは必ずマスクをしている。

 

「懐かしいわね。紅羽って美少女オーラが凄いから印象に残りやすいのよ」

「どこで誰が見てるか解らないって思い知りました。私は自分の属性を秘密にしたいからマスクで変装するんです」

「マスク一つで隠せるの?」

「しないよりマシです」


 先輩こそ隠すべきだ。入学したばかりの人間にも解ってしまうくらい有名人なのだからサングラスなりマスクなりするべきだと思う。それとも三年生の間では先輩が腐女子ということが一般常識化しちゃったりしているのだろうか。

 私たちはBLコーナーへと直行した。ここは聖域サンクチュアリだ。恥じらう顔、盛り上がった腹筋、伝わってくる嬌声、と芸術的な表紙が私たちを歓迎してくれる。天国があるとすればきっとこのような世界なのだろう。


 店内を自由に散策していると見覚えのある容姿を発見した。

 饅頭みたいに膨らんだ身体とあの無駄に自信に満ちた歩き方。間違いない、松本くんだ。彼はラノベの新刊コーナーを眺めているようだった。

 私は先輩を探した。逃げるのだ。私がここにいたことをあいつに知られたら絶対に悪いことが起こる。私は鉢合わせないよう店内を歩き回った。

 先輩は男性店員と話しているようだった。いかにも先輩が好きそうな高身長の塩顔男子だ。


「先輩! なに口説いてるんですか! 逃げますよ!」

「口説いてないわよ。店員さんにオススメのBL同人を質問してただけよ」

「男性店員さんに訊かないであげてください! 一種の拷問ですよそれ! ほら、出ます!」

「何なのもう。逃げるって何からよ」


 説明している暇はなかった。私は先輩の手を引いて出口へと向かった。

 だが、遅かった。


「津布楽紅羽ァ!」


 あ、ダメだ。終わった。


「奇遇だなァ。もうバレてるから降参しろ。まさかお前がここの常連だったとは驚きだぜ」

「紅羽、あなたのお知り合い?」

「えっ、ふっ、副会長!? なんで副会長が津布楽紅羽と……!?」

「あら、じゃあ一緒の高校なのね。せっかくだからお店を回りましょうよ」


 もうどうにでもなってください。私の高校生活は終わったんです。もっとも知られてはいけないクラスメイトに知られてしまったんですから。


 気付けば椿先輩と松本くんと私の三人で店内を彷徨っていた。

 副会長と松本くんは割と話が合っているようだった。先輩はもともと青年漫画や深夜アニメを読んだり見たりするのでそこが話の種になったらしい。でもその作品内の男性キャラ同士をカップリングさせて妄想するのが目的だと私は知っている。私たちはかけ算が得意なのだ。数字ではなく、男同士のかけ算が。


「君、凄いわね。歩くアニメ辞書みたいじゃない」

「副会長も中々知っていますね。驚きです」

「そうでもないわ。紅羽、あなたさっきから黙ってばかりよ」

「そうだぞ、津布楽紅羽。今更他人の振りをしても無駄だ、嘘つき女」

「嘘つき? 紅羽は何の嘘をついているの?」

「笑える話ですよ。津布楽紅羽はですね、恋を知らないという痛々しい嘘をついているんです。純情さをウリにしたいんでしょうね」

「――君、詳しく聞かせなさい」


 先輩が食いついてしまった。

 項垂れていた私の肩をがしっと掴むと、先輩は目をキラキラさせて私の顔を覗き込んだ。まるで修学旅行の夜の恋バナに興奮する女子みたいだった。


「スタバに行くわよっ!!」


 そこで私は丸裸にされるのか、と刻々と自分の高校生活が崩壊していく現実の中で悲しみに暮れた。





 ソファー側に私は一人座り、椿先輩と松本くんは椅子に座った。

 それぞれカプチーノやラテを手前に置き、謎の三者面談が始まった。


「被告、津布楽紅羽。嘘を詳しく述べよ」


 松本くんは調子に乗っていた。先輩はというと前のめりになって私の第一声を楽しみにしているようだった。

 

「船倉くんに近づくために、恋を知らないと嘘をつきました……」

「どうしてっ! どうしてっ!」


 先輩が煽る。


「ラブコメ作りを協力してもらうためです。恋を知らないと嘘をつけば協力してくれると思ったからです。そうです、私が素直じゃなかったからです」

「違うな。それは弱いぞ、津布楽紅羽。嘘をつくほどの理由にはならない。本当の理由は?」

「船倉くんが……、好きだからです」

「え、マジで?」


 松本くんはあっけらかんとした。


「マジで、静真のことがす、す、すす好きなのか……?」

「はい。松本くんだって気付いてたんじゃないの? いつも私が船倉くんをたぶらかしてるとか何とか言ってたじゃん」

「いや、美人局だと……」


 ふざけんな。松本くんの一言一言のせいで私は船倉くんに嫌われるんじゃないかってビクビクしていたのにこの男は……! 

 その思いがこみ上げてきて目頭が熱くなった。


「うわぁ。君、女の子泣かしたよ」

「えっ、ちょっ、津布楽紅羽! おい津布楽紅羽ァ! これを使えェ!」


 松本くんは意外にもポケットティッシュを渡してきた。女の子の私に人前で鼻をかめ、と? そこはハンカチなのでは? でもちょっぴり嬉しかった。


 間を置いて、松本くんがまた話し始めた。


「津布楽紅羽。悪かった。まさかお前がそう思っているとは知らなかった」

「うん」

「お詫びも兼ねて、お前の恋を応援してやろう」

「……え?」

「そんな純粋な想いを見せられたら応援せざるを得ない。おれはスクールカーストの最底辺だが心は底辺じゃない。アニメで培った正義の心を宿している」

「ただの魔法使いじゃなかったんだね……」

「静真はいいやつだ。こんなおれでも話し相手をしてくれる。だが厄介だぞ。あいつはお前の嘘を信じ切っている。お前のことを恋を知らない鈍感なやつだとも言っていた」

「鈍感なのは知ってる。それと、私を恋愛対象として見てないことも……」


 私がそう言うと松本くんは嘲るように笑った。


「お前もつくづく鈍感だな。静真は間違いなくお前に惹かれているぞ。だが油断するな。今、静真はどこで何をしてるか知ってるか?」

「かのんと、映画館……」

「そうだ。もしかしたら意識が小蔦かのんに向くかもしれない。それが嫌ならどうにかするんだな」


 言いたいことを言い切ったのか、松本くんは書店で買ったライトノベルを読み始めた。流石に先輩も私もカバー無しで読む勇気はない。松本くんらしかった。

 先輩は私と松本くんを交互に眺めて実に楽しそうだった。私も先輩の立場だったらさぞ楽しんでいただろう。


「松本くん、ありがとね。見直しちゃった」

「飛ばねぇデブは、ただのデブだ」

「はい?」

「言ってみたかっただけだ。船倉のことで相談したことがあればおれに訊け」


 心強い協力者ができて少し世界が広がった気がした。

 誰にも相談できなかったこのどうしようもなく甘い気持ちに、私は押し殺されそうになっていた。先輩と松本くんはそんな私の前に現れた救世主だ。

 話してみないと解らない。そして話すことによって突破口が開かれるのだと知った。


「そういや、松本くん。普通に女の子と話せてるじゃん。魔法使い同盟ってやつは?」

「自分で女子だと思わなくていいと言っていただろ。おれはお前を人間だと思っていない」

「言ったっけ?」

「お前は喋るジャガイモだ。副会長はただの銅像だと暗示している」


 やっぱり嫌なやつかもしれない。

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