Across the strait ①

 予想通り積雪は大したものでなく、温泉を発ったのちにそれほど苦労をすることも無く麓にまで辿り着けた。山地の周縁に広がる針葉樹林の中を、私たちは進んでいく。

 会話は無かった。単純に話題が無かったということもあるが、それ以上に、いつもは積極的に話しかけてくるクロウタドリが目に見えて会話を避けているというのが大きかった。恐らく、話しかけたら私に再び夢の内容を追及されると思っているのだろう。勿論その通りで、私自身機会を見つけて、再び彼女を問い質すつもりだった。ただ、その機会作りを自分でするというのは、自分の平生の気質から言ってなかなか難しい。そんなわけで、双方が口を閉ざした気まずい状況のまま、私たちは歩き続けていた。


 暫くすると森を抜けて、開けた小高い丘の上へと出た。丘の上には片道一車線の舗装された道路が整備されており、私たちはそちらの方へと合流した。道路に沿って丘を降っていくと、やがて遠くの麓の方に中規模の港湾施設と、その先にある深い青を湛えた海が見えてくる。

 海を見たのなんて、何時ぶりだろう。長い間ずっと内陸で暮らしてきたのだから、恐らく異変以来だろうか。そう言えば、異変時に訪れたモノレールの駅も港の直ぐそばにあった覚えがある。とすると、私はこれまで、あのアーケードから港までと、異変の時の道程を殆どそのまま辿ってきたことになるのか。過去の体験の追従。私はまた夢のことを思い出してしまう。


 港まであと1、2キロまで来たというところで、数時間ぶりにクロウタドリに話しかけられた。彼女は、この辺りで少し休憩しよう、と提案する。朝から歩きっぱなしで足に疲労が溜まっていたので、私はすぐその提案に乗った。私たちは道路の脇にあった待避所兼休憩所に立ち寄る。景色の良い場所で、先程よりしっかりと港と海を望むことが出来る。私は観望用に用意されていた木製のベンチに腰掛けた。少し目を南の方へと向けると、針葉樹林の向こう側に大きな観覧車の上方が顔を覗かせていた。あんなものがこの辺りにあったのか。そう言えば、長期滞在して広いパーク内を周遊するゲストが退屈しないようにと、各地方に小・中規模な遊園地を整備していると以前に小耳に挟んだことがある。恐らく、キョウシュウ地方におけるそれがあの観覧車がある場所なのだろう。

 軽い物音が聞こえて、私はそちらの方を見やった。そこには、ベンチの横に並んでいる数台の自動販売機を弄っているクロウタドリの姿があった。

「動かないでしょ」

「残念ながら、ね」彼女は軽く肩を竦める。「何か飲めればいいと思ったんだけど」

 どうせ中の飲み物を取り出したとしても、中身が腐っているのが関の山だろう、と私は思う。


 それから暫く、再び無言の時間が続いた。

 クロウタドリは私の背後で、道路沿いに通してある木製の柵に寄り掛かって海の方を眺めていた。私は、ベンチに座ったまま顔を伏せっている。

 ――何と切り出したらいいのだろう。彼女はクロツグミの弔い――彼女自身は「死に場所探し」と形容していたが――がこの旅の目的だと言っていたが、私は正直、それだけが本当に私を連れ出した理由であるとは信じていなかった。頻繁に嫌に鮮明な悪夢を見ること、セルリアンが寄り付いてこないこと、そして何より、クロツグミを含めた過去の記憶が抜け落ちていることなど、私の身の上に起こる様々の不可解な出来事が、彼女が私をあのアーケードから連れ出した理由に関連していることは恐らく間違いないのだろう。しかし、そのことについてまともに聞いてしまえば、きっとこれまでのように上手くはぐらかされてしまうだけだ。私は悩む。どうすれば、彼女が口を割るのか。

「あおちゃん」

 不意に背後から呼び掛けられて、私の思考は中断された。顔を上げて彼女のいる方へと振り向く。

「そんなに気になるなら教えてあげようか」

「え」

「気になるんだろ、僕が隠していることが」クロウタドリはこちらに正面を向け、背後の柵に背中を凭せ掛ける。

「そんなの、当たり前でしょ」私は眉を顰める。聞くまでもないじゃないか。一方で、私の頭の中には彼女が先に言った言葉が引っかかっていた。

「でも、私に話すと私自身に危険が及ぶとかなんとかって」

 私の言葉を聞いた彼女は、目に見えて表情に影が差した。目を少し横に流し、暫しの間沈黙する。

「……その可能性があるのも事実だ」やがて口を開いた彼女は、重々しくそう言った。「でも、完全に隠したままにしておくのは君の精神衛生上よろしくないと思ったんだよ。僕だって、あおちゃんが暗ーい顔をしながら旅を続ける様子は見たくないからね」

 彼女は柵から離れてこちらに歩み寄ってくると、私のすぐ横に腰を下ろした。そしてどういう訳か、矢庭に腕を組んで身をぴったりと寄せてきたので、私はぎょっとしてしまう。

「ちょっと、何なのよ」

「仕様が無いだろ、こうしないと危ないんだから」

「はあ?」

「いいから、今は仲良しこよしの振りしててよ。

 今度は顔を近付けてきた彼女に、私は反射的に顔を逸らしてしまう。一体何をするつもりなんだ? 首許に彼女の微かな息が当たり、びくりと身を震わせた。

「あんまりそう嫌がられると、流石の僕も傷付くよ?」

「嫌がってるっていうか、恐いっていうか……」

「別にキスするわけじゃないんだから、そう身構えるなよ」彼女はそう言ってから、若干声色を蠱惑的にして囁く。「それとも……あおちゃんは、ちょっと期待してたりするのかな……?」

 私は組まれた方の腕で彼女の背中に強烈なやつを食らわせた。突然の衝撃に彼女は妙ちくりんな叫びを上げる。

「同じ所叩くのはナシだろっ!」

「うるさいわね、さっさと用を済ませなさいよ!」

 だから済ませようとしてたんだよ、とクロウタドリは不満げに呟くと、再び顔を近付けてきた。再び身を強張らせる私に、彼女は、耳を借りるだけだから、と言うと、両手で覆いを作り私の耳元で囁いた。


「僕らは追われている」


「は……?」

 全く予想していなかった言葉に、私は困惑した。

 追われている? またいつもの面白くもない冗談か、と思い彼女の顔を覗き込んだが、彼女は至って真面目な、というより深刻そうな表情を浮かべていた。言葉を上手く飲み込めずに眉を顰めている私に、クロウタドリは声を潜めたまま続けた。

「言葉通りだ。追われているんだよ」

「追われているって……いつから、誰に」私も釣られて小声で返す。

「僕らがアーケードを発った時からだろうな。誰に、というのは僕も明確には分かっていないが」彼女は目を伏せて少し間を開けてから、言葉を継いだ。「恐らく、セルリアンだろう」

 私は反射的に周囲を見回す。風化でひびが入った場所から蓬々と生い茂る草本が覆う舗装路と、その先に見える針葉樹林。視界に入るのはそんな長閑な風景ばかりで、特に我々を付け狙うような脅威は一切見当たらなかった。

「探したって見つからないさ」背後からクロウタドリが言った。

「かなり巧妙な隠れ方をしている。一度だけ姿を捉えたけど、その全容は掴めなかった。ただその時に一瞬だけ見えたあの体色――あれはセルリアンのものだったように思われた」

 彼女はベンチから立ち上がると一つ伸びをして、私に声を掛ける。

「そろそろ行こうか。港の方へ歩きながら話そう」



***



「セルリアンって、そんな芸当が出来る知能を持ってるものなの?」

 緩やかな丘陵地を道路沿いに下りながら私はクロウタドリに訊ねる。

「普通は知能なんて殆ど無いに等しい。彼らは通常、”輝き”に誘引される形で行動するだけだ。自然現象、災害に類するものとして捉えた方がいい存在と言えるだろうね」

 ただ、と彼女は前置いて私の前で指をぴんと立たせて見せると、一つだけ例外がある、と話した。

「輝きを通して知性を得るとなると話は別だ。尤もこれは極めてレアケースだけど――実際、過去に知性を獲得したセルリアンは存在した」

「……それは、アニマルガールから輝きを奪って、ということ?」

「いや、多分その可能性は低いかな。知性や知能と言ったものは過去の記憶、経験等と有機的に結びついて構成されるものだ。例え記憶や経験、知識そのものをフレンズから奪ったとしても、一朝一夕で獲得できるものじゃないだろう」

「じゃあ、どうやって手に入れるのよ」

 そう訊ねた私に彼女は、そうだな、と言って口許に手を当てて少し考えると、あおちゃんはさ、と切り出した。

「携帯を機種変する時に、どうやってデータを移してた?」

 唐突で脈絡のなさそうなその問いに、私は顔を顰める。どうして急に携帯の話が出てくるんだ。

「身の回りのものに置き換えた方が分かりやすいだろ。ほら、新しいスマホを買った時とかに必ずやるアレだよ。君も一度はやったことがあるんじゃないかい」

「いや、私、ずっとフィーチャーフォンだったし……」私は手元で折り畳み式携帯をぱかぱかと開閉するジェスチャーをした。試験解放区やその中にある女学園で社会生活を送る選択をしたアニマルガールには、初めに担当の飼育員から携帯電話が買い与えられるのだが、その際に私は敢えてフィーチャーフォンを選んだことを覚えている。耐久性が高い上に、元々物持ちの良い性分であることも手伝って、異変でそれが実質的に鉄屑と化すまで機種変更をする機会は訪れなかった。

 私の返答を聞いた彼女は、きょとんとして動きを止める。え、そうなの、と呆けた顔で訊ね返してきた彼女に、私は溜息を吐く。

「そうよ。だから、メッセージのやり取りをする時はいつもメールで――」


 その時、不意にある光景が頭を過った。


 ――え、あおちゃん、ガラケーだったんだ~


 目の前の少女が言う。顔は見えない。声も酷く朧気で、発声されたというよりは、彼女が話した言葉が直接脳裏に浮かぶかのような感覚だった。


 ――じゃあさ、メアド交換しちゃおうよ! これでちゃんと離れててもお話しできるでしょ。


 私は携帯を彼女の方へ差し出す。赤外線を使ったアドレス交換を終えた後に、彼女にストラップを渡された。私はそれを、携帯のストラップホールに結び付ける。


 ――これで、お揃いだね。


 目の前の彼女は、自分のスマートフォンにぶら下がった同じストラップを見せて、笑った。口許だけで解る、目も眩むような笑顔。


「あおちゃん?」

 クロウタドリの声で私の意識は引き戻される。目前では小首を傾げつつこちらの顔を覗き込む彼女の姿があった。

「……何でもない。それで、結局セルリアンが知性を獲得する方法っていうのは何なのよ。もう回りくどい例え話は要らないから単刀直入に教えて」私はそう言って、彼女に釘を刺す。

 クロウタドリは興が殺がれたとばかりに肩を軽く竦めてみせると、しょうがないな、と溜息交じりに話し始める。

「”同期”だよ」

「同期?」

「そう。共鳴と呼んでもいいかな。セルリアン達は基本的にこの同期を同時多発的に行うことで獲得形質を共有しているらしい。これは仄聞したことだから真偽は定かでないけれど、かつて自らの力で輝きを生んで悟性を獲得したヒト型のセルリアンが居たそうなんだよね。そしてある時、別のヒト型個体がその子と同期・共鳴して、知性を獲得した。フレンズから知性を引っこ抜くことは出来なくても、同族が獲得したものなら自らのものに出来るってことだそうでさ」

 道端で立ち止まっていた私たちは、再び港の方へと向かって歩き始めた。周囲に目を向けると、先程よりも立ち並ぶ人工物の数が増えてきていることが分かる。

「常に共有しているのなら、一度獲得した知性は全てのセルリアンが持つことになるんじゃないの?」私は素朴な疑問を口にする。

「まあ普通に考えればそうなんだけど、そうはならなかったんだよ。多分知性のように複雑な輝きは、ワン・オン・ワンで移すことはできても、全個体と共有することは出来ないってことなのかな」

 間も無くして、丁度丘陵地と沿岸部を隔てている水路を跨ぐ小さな橋に差し掛かる。私は欄干に手をかけて、水路の方を覗いてみる。水は透き通っていて、中々の深さがありそうな樋の中では、幾尾かの魚が行き交っていた。恐らく汽水魚だろうか。

「それともう一つ」

 私がよそ見をしているうちに橋を渡り終えていたクロウタドリが、こちらに身を翻してそう言った。

「セルリアンが知性を獲得する方法――まぁこれは僕自身が立てた仮説なんだけれど――もう一つ、そんな方法があるんじゃないかと思っていてね」彼女の瞳が私を真っすぐに捉える。「仮にセルリアンが、フレンズから奪った輝きや記憶を一つも違えず完全に模倣エミュレートし、それに従って行動できるとするならば――それはもう、知性を手に入れたと言えるんじゃないかな」


「模倣……」

 私は呟く。彼女の述べた仮説には、思い当たる節があった。

 夢だ。私を長年苦しめてきた、あの悪夢。アーケードに居た時には、異変が起こった際に私が実際に目撃したであろう光景を再現したような夢を見た。そしてつい今朝方見た夢も、私の見立てが正しければ、女学園時代に歩いていた通学路を再現したものだったではないか。

「つまり」彼女が言外に込めた意味を合点した私はゆっくりと口を開いた。「私たちを追ってきているそのセルリアンが、私に悪夢を見させている原因だって訳?」

「正解」

 クロウタドリはぱちん、と小気味良く指を鳴らした。

「あくまでこれまで分かっていることだけで組み立てた推論だけどね。獲得形質を1から100まで完全に再現できるセルリアンなんて今まで確認されていないわけだし、正直言って可能性は低いかな」

 私は再び周囲を見渡す。どちらの方法で知性を獲得したにせよ、追われているという話が本当であれば、今この瞬間にも私たちはそのセルリアンに何処かから監視されているということになる。その薄気味悪い可能性に、私は身を強張らせた。

「ま、安心してよ」

 背後から聞こえた彼女の声に、私は振り返る。見ると、クロウタドリは自信に満ち溢れた表情を浮かべ、サムズアップした拳を私の方に突き付けていた。

「そいつには君に指一本すら触れさせないよ。僕がちゃんと護ってあげるからね」

 クロウタドリのその言葉を聞いたのちに、僅かに間を置いてから、私はゆっくりと頷く。実のところ、私は彼女の言葉を訝しんでいた。クロウタドリもクロツグミと同じく、ツグミ科の鳥。私の記憶が正しければ、ツグミとは大分体格が小さい小鳥のはずだ。事実、アニマルガールと化した彼女の身体は随分と背が低く、痩身の私よりも華奢だった。

 ──いざという時の彼女による庇護には、あまり期待しない方が良さそうだな。

 そう思って、私は私自身の心の声に驚く。おや、ついこの間まで自死を念頭において日々を生きていた私が、今更身の安全を心配するのか、と。

 しかしまあ、元々死ぬにしても苦しんで死ぬのは嫌だなと思っていたし、矛盾する気持ちでもないのかも、と半ば自分に言い聞かせる形でそう考えた私は、胸を張って歩き出した彼女の後ろに続いて、港の方へと歩を進めて行った。

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