第4章・終章

01 この手で血祭りに

 聞き間違いではない。

 繰り返し、少女はその名を口にした。

 〈魔術王〉禁術師――エレスタン。

 ほかでもない、小生意気な少年レイヴァスが、それだと。

「ふ、ふざけるのもいい加減に」

 何だ。

 いったい何が起きている。

 茶番と言ったか。

 これこそが茶番ではないのか。

 戦士は全身が硬くなるのを感じた。これは――緊張だろうか?

性質たちの悪い、ごっこ遊びなんか、もうよせ」

 どうにか彼は、そう言った。

「あら、まさか本当に判っていないの?」

 片眉を上げてミラッサは嘲りを声に上せた。

「お前はこうしてエレスタン様が蘇るために、護衛気取りでついてきたのだということ」

 くくっと彼女は笑った。

「傑作ね。英雄の末裔が魔術王の護衛!」

「ば、馬鹿野郎。俺はそんなもんじゃないし、レイヴァスだって――」

「……シュナードさん」

 ライノンがそっと彼を呼んだ。

「言いにくいですけれど、本当だと思います。魔物は意図して、送られた。あなたがレイヴァスさんと一緒のときにです」

「おいおい」

 彼は顔を引きつらせた。

「何が、言いたい」

「この件については幸か不幸か、彼らと同じことです」

 眼鏡の青年はゆっくりと続けた。

「あなたがアストールの末裔で、レイヴァスさんは――エレスタンなんですよ」

「緩いと言ったことを詫びてもいい」

 少年はくすりと笑った。レイヴァスが見せない笑みだった。

「頭の固い戦士よりも理解が早い」

「てめえ……」

(まさか)

(本当に)

 「まさか」。

 それはあの日、初めてレイヴァスと出会ってから、幾度となく繰り返し浮かんできた疑念。

 しかしもちろん、いまのいままでは「もしかしたら本当にレイヴァスがアストールの末裔なのではないか」という考えだった。

 事情は一リアで逆転し、そしてシュナードは同じことを考えている。

 「まさか」。

 レイヴァスといるときに、魔物は現れた。

 使ったことのなかった魔術をやすやすと操った少年。

 語りはされたが、はっきりとはしていないままの出自。

「しゅ、手記は」

 かすれる声で彼は言った。

「アストールの手記についてはどうなんだ。お前が、養父母から受け継い――」

 そこで彼は言葉を切った。怖ろしい考えが浮かんだからだ。

「ああ、アルディルムの血縁どもか。お前の親類だな」

「いや、俺は」

 違う。断じて。とうに亡いとは言え、彼の両親はイーズ姓で。遠い街には妹もいて。アルディルムなんて姓は聞いたこともなくて。

「僕に過去の記憶はなかったが、それでも感じるものはあった。あいつらといるだけでむかむかした。いまにすれば当然だ。言っただろう? 僕なら、アストールの末裔をこの手で血祭りに上げてやりたい……とね」

「何だと……」

「生憎と、この細い身体だ。腕力はなかった。だが僕には禁術さえ操る魔力があるのだから、無骨な武器なんて持ち出さなくても簡単なことだった」

 不審火と、言っていた。商売を妬んだ人間がやったのだろうと。

 だがその火を出したのはレイヴァス自身だと、少年はいまそう言ったのか。

「何も覚えてはいなかった。僕はただの子供として、手探りで生きてきた。だが僕のなかには確かに存在するものがあった。それは魔力だけではなく、ここに眠る記憶」

 少年は胸に手を当てた。

「お前のことも――気に入らなかった。最初から」

 それから彼は、まっすぐに、シュナードを見た。

「だがそれはアストールの血だけではないな。僕を守ろうなどという、勘違いした姿勢が腹立たしかった。もっとも、結果的にはお前のおかげでもある。長らく使っていなかった術を使って勘を取り戻せたこともだが、言うまでもなく、そうして不愉快な剣を抜いてくれたことに」

「馬鹿な……何を、馬鹿な、話を」

「シュナードさん」

 ライノンが彼を呼ぶ。

「混乱する気持ちは判ります。信じられないことも。ですが、考えてみて下さい。あなたがこの場にいる意味を」

「俺が、この場に……?」

 繰り返して、シュナードはふっと笑いを洩らした。

「もし、もしもだぞ。この戯けた話がもし本当なら。俺は魔術王閣下に封印場所までのこのこと付き添って、ご丁寧に封印を解いた、クソ間抜けな末裔ってことになるな」

 彼は自嘲した。

「アストールも草葉の陰で泣いてるってもんだ」

「そういうことじゃありません。封印が緩んでいたことは本当だ。エレスタンの復活は時間の問題でした。あなたが自ら何も知らなかったように、血筋は見失われていたからです。そしてそれは、あなたのせいじゃない」

「んなこた、判ってる。俺がそうだとはどうしても思えんが、もし仮に万一、たとえ話として、俺にアストールの血が一滴くらい流れてるとしても、知りようがなかったことを自責するつもりはない」

 だが、と彼は首を振った。

「俺が剣を抜いた。それは事実みたいだな」

 右手の錆びた剣は、まるで自ら彼の手の内に収まってきたかのようだった。

「なあ、スフェンディア」

 思わず彼は剣に呼びかけた。

「お前さん、激しい人違いをしちゃいないか?」

 もちろんと言おうか、剣は答えない。何も。

「人違いであろうとどうでもいいことだ」

 少年が言った。

「もうお前に用はない。感謝の印に」

 口角が上げられる。

「苦しませずに殺してやろう」

 背筋がぞくりとした。

(こいつ、本気だ!)

 気づいたときには戦士は飛びすさり、剣をかまえていた。

 スフェンディア。ぼろぼろになった、英雄の剣。

「ちっ」

(これじゃ駄目だ)

 戦えるはずがない。こんなもので。

 だが、どうすれば。

 武器の話をするならば、こんな使えない剣は投げ捨て、いつもの愛用の剣を抜くべきだ。しかしそれには問題がふたつ。

 いかにいまは錆びていようと、魔術王を倒し封じることの剣を捨ててしまってよいものかということと。

 それから――。

(戦うのか?)

(俺は、こいつと?)

(戦えるのか?)

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