10 その男から離れろ

「気をつけろ」

「何?」

 背後から飛んできた忠告に振り返る。レイヴァスはしかめ面を見せていた。

「魔剣は、魔剣だ。たとえ『悪』を滅ぼすのにひと役買った過去があろうと、剣自体が『善』だという訳じゃない」

「あ?」

「力は人間を魅了する。アストールが誘惑に屈しなかったのは、そうだな、英雄の資質を持っていたためかもしれない。だが普通の人間は容易に堕落する」

「あー、まあ、そういう意味じゃ俺は普通の人間だ」

 シュナードは腹も立てずに認めた。英雄の資質なんてあると思ったことはないし、誘惑にも弱いとは言わないが強い自信もない。

「見たとこ、スフェンディアは封印の役割を果たしてるように見えるが」

 ちらりと彼はレイヴァスに目をやった。少年は難しい顔をしていた。

「判らないな」

「おいっ」

 判ると言うからわざわざここまできたのではなかったか。「本物の末裔」を見つける方法を探すという話もあるにはあったが、封印の具合によってその緊急性は異なってくるはずで。

「ミラッサの言うように封印が緩んでいるのであれば、何かしるしがあっても――」

 言いながら少年は岩に近づき、ためつすがめつした。

「おい、あんまり近づくとやばいんじゃないのか」

「僕はきちんと知識がある」

 問題ない、というのが返事だった。

「だがそうは言っても、もうちょっと慎重にだな」

 レイヴァスにとっても、これは未知なるもののはず。シュナードはそう考えた。

 例の手記に何が書いてあるものか、シュナードは知らない。しかし、たとえ剣や不思議な力とやらについてどんな詳細が記されていたとしても、実際に触れるのは初めてであるはず。

「いいか。理屈を知っていれば巧くできるってもんじゃないんだからな」

「それは凡人の場合だ」

 少年は振り返りもしなかった。

「僕は――」

「気をつけろ!」

 嫌な、予感がした。

 何の理屈でもない。ただ、やばいと感じた。これは戦士の勘なのか。

 伸ばそうとされる少年の腕をシュナードはとっさに掴もうとした。剣に触れさせてはならないと。

「やめろ、レイヴァス!」

「触るな!」

 少年も気づき、シュナードに掴まれまいとした。

 振り払った手と振り払われた手が跳ね上がる。それはほんの一瞬の出来事だった。

「な、何だ!」

 まばゆいばかりの閃光が黒い部屋を照らし、シュナードは目をくらませかけた。

「レイヴァス、離れるな!」

 護衛対象ならひっ掴んで無理に引き寄せても背後にかばうところだが、少年は先ほどから奇妙な意地――だろうか?――で、戦士の手を拒んでいる。強引に連れられることを嫌がって距離を取られるようでは、護ることが難しくなってしまう。

 光は消えた。レイヴァスの魔術のように、余韻もなく消えた。

 シュナードは剣の柄に右手をかけながら、室内を見回す。

「いまのは何だ?……何が、起きた?」

「……あれを見ろ」

 どこか苦く聞こえる調子で、少年は指差した。

 シュナードは目を見開いた。

 そこには、先ほどまでと大きく異なるものがある。

「うお……」

 彼は顔をしかめた。それは、アストールの剣、だった。

「ひでえ……こりゃ、刀身がぼろぼろじゃねえか」

 宝剣と呼ぶに相応しいほど美しく見えていた剣は、そのときにはもう錆び切った酷い状態をあらわにしていた。

「こりゃ、錆を落として研ぎ直すなんて段階でもないぞ。一合でも合わせたら、粉々になっちまいそうだ」

「見えていたのは幻影だったか」

 レイヴァスは呟いた。

「だが、誰が何のためにそんな幻影を? 封印が緩んでいないと見せかけて得をするのは」

「魔王やその手の者、ということになりそうです」

「成程ね……ん?」

「これがスフェンディア……封印の剣ですか。ずいぶん……哀れなことになっていますね」

「ラ……ライノン!?」

 シュナードは愕然として叫んだ。振り返れば、そこには確かに、紺色のローブを身につけた眼鏡の青年が立っている。

「こんにちは、シュナードさん、レイヴァスさん。追いつけてよかったです」

「お……追いつけて、って、お前」

 しれっと挨拶してくる青年にシュナードは口を開けた。

「お前、傷は大丈夫なのか? だいたい、どうやってここが?」

 驚愕しながら戦士は、自称学者の卵の方へと歩みを進める。

「僕なりに検証した結果です」

 青年は胸を張った。

「このプレドル山というのは霊的に……魔術的にと言った方がいいのかな。とにかく特殊な場所なんですよ。僕は魔術師ではないので魔力線と呼ばれるものの流れを感じ取ることはできませんが、協会の魔術師たちの間では、プレドル山の魔力線が歪んでいるのは有名な話なんだそうです」

 とうとうと青年は語った。

「魔力を持つレイヴァスさんにはお判りになるんじゃないですか?」

「……シュナード」

 少年はそれには答えず、戦士を呼んだ。

「その男から離れろ」

「何?」

「おかしいとは思わないか」

 レイヴァスはライノンを睨んでいた。

「仮にこの場所の見当がついていたにせよ、僕たちが向かったとどうして判る? それも推測か?」

「まあ、そうです」

 ライノンは目をしばたたいた。

「あの怪我はどうした。見た目ほど大したことはなかったと言っても、一日二日は様子を見るよう、医師はきっと言っただろうに」

「あれは本当に大したことなかったんですよ」

 にこにこと彼は言った。

「お気遣いいただきまして有難うございます」

「気遣ってなどいない」

 レイヴァスは首を振った。

「疑っているだけだ」

「え? 僕の何が疑わしいですか?」

 ライノンはきょとんとした。

「おかしいことだらけだ。シュナードにアストールとエレスタンの話を吹き込み、襲撃のあったあのあと僕の前に現れて、知る者のほとんどない手記のことを知っていた。剣の名前を間違えたのもわざとかもしれない。僕の反応を見ようと」

「お、おい……」

 シュナードは困惑した。

「どういう意味です?」

 ライノンも困っているようだった。

「怪我のことも奇妙だ。戦士歴の長いシュナードが、あのときお前は死んだか、少なくとも重傷を負ったと考えた。運がよかったと考えるには奇妙だ。気を失うほどの威力で爪を食らったにもかかわらず、かすり傷など」

「いえ、でも本当にかすり傷で」

「僕らも不眠不休でやってきた訳じゃないが、それでも急いだ方だ。同日、同じ時間帯に到着するというのも不自然すぎる」

「……もしかして」

 青年は目をぱちぱちとさせながら続ける。

「僕が魔術王の手先だとか、そんなことをお思いですか?」

「或いは」

 レイヴァスは肩をすくめた。

だとか……な」

「おい、冗談にしても性質たちが悪いぞ」

 シュナードは諫めた。

「その辺にしておけ」

「冗談など言っていない。お前はどう思うんだ。いま僕が挙げた奇妙な点についてだ」

「たまたまだろう。芭蕉フレーの皮で滑って転びそうな鈍臭い兄ちゃんが魔術王じゃ、英雄アストールの名が泣くだろうが」

 彼は一蹴した。ライノンが演技をしているなどとはとても思えなかったからだ。

「まあ、魔術王というのは言い過ぎだった」

 とレイヴァスは認めたが、それはライノンへの謝罪ではなく、自省というところのようだった。

「いったい何でまたそんなことを考えはじめた」

 呆れ気味にシュナードは問うた。

「おかしいからだ」

 少年は繰り返した。

「何がだ。確かにお前の言うことを思えばこいつも怪しいが」

「酷いです」

 ライノンは泣きそうな顔をした。

「俺には運の悪い被害者にしか見えん」

 それから「泣くな」とつけ加えれば「まだ泣いていません」と返ってくる。

「運は、悪い方かもしれませんけれど」

 何を思い出したのか青年はうなだれた。

「僕はたぶん、生まれる時期だけがよかったんです。そのことに運のほとんどを使い果たしたんです。もう少し早く生まれていれば、何の役にも立たないとして処分されていたはずですから」

「処分だと? 何だ、その物騒な話は」

 思わずシュナードは尋ねたが、レイヴァスが手を振った。

「その男の生い立ちに興味はない。どんな言い訳をするつもりだか知らんが」

「言い訳だなんて」

 酷いですとライノンはまた泣きそうな顔で呟いた。

「釈明できるのなら言ってみろ。できないのならそれ以上近寄るな。必要ならば術も使う」

 レイヴァスの態度は強硬だった。シュナードは息を吐いた。

「おい、ライノン」

「はははははいっ」

「そんなにびびるな。斬ったりせんから」

 彼は両手を上げ、剣を抜いていないことを示した。もっともシュナードならば素手でもライノンごときどうとでもできるし、実際一度は組み伏せているが。

「確かに、俺はお前が死んだか、死ぬほどの重傷を負ったと思った。だが実際は、そうじゃなかった。それだけのことだろう?」

「ええ、まあ、はい。たぶんですが、僕はあの魔物に殺されると思って、後ろに思い切り跳んで逃げたんじゃないかな。それで、シュナードさんたちには、僕が吹っ飛ばされたみたいに見えたんじゃないかと」

「自分で跳んで壁にぶつかり、気を失ったと?」

 レイヴァスはほんのかけらほども納得しないようだった。

「必死で、覚えていないんですよ……話に聞いたことを組み立てて想像すると、こういうことになるんじゃないかってだけで」

 ライノンは弁明のようなことを言った。

「『自分で跳んだ』は無理がある」

 ここはシュナードもライノンを擁護できなかった。あのとき青年は明らかに叩きつけられていたのだ。

「じゃあ……やっぱり運がよかったんですかね……僕の運はもしかして、使い果たされていない……?」

「そんな、期待するように訊かれてもな」

 知らんとしか言えない、とシュナード。

「いまたどり着いたのだって、何の作為もありませんよ。やってきてみたら、おふたりがいたんです」

「鍵はどうやって開けた」

「鍵ですって?」

「何かよく判らん呪文を唱えなきゃ先に進めなかった場所があるんだよ」

 戦士が説明してやった。

「そんなもの、ありませんでしたよ?」

 目をぱちくりとさせてライノンは首をかしげる。

「じゃ、レイヴァスが開けたものがまだ開いてたとか、そういうことか?」

「確かに、瞬時に閉まるものじゃない。だが、数ティムと空けずについてきたのであれば、やっぱりおかしいだろう。先にこの付近にたどり着いて僕たちを見つけ、尾行してでもきたのか」

「この兄ちゃんの尾行なんてつたなそうだし、そんなことしてれば俺が気づく、と言いたいところだが、正直なところ魔物の警戒しかしてなかったな」

 素直に言えば、じろりと睨まれる。混ぜっ返すなということか、それとも、警戒を怠るなというお叱りか。

「偶然。幸運にも。全てそういうことだと? それがお前の説明か、学者」

「うーん、僕自身に何の企みもない以上は、そうと言うしかないですね」

 まるで他人事のように、ライノン。

(この兄ちゃんが怪しいとは思えんが、レイヴァスの言うことも判らんではないな)

(……だが、まさか)

 ふ、と脳裏をよぎった考え。

 本当にライノンにとっては全て偶然で、全て運がよかっただけなら。それは〈名なき運命の女神〉の画策。

 そしてもし、この瞬間にこの青年がこの場に立っているよう、運命が組み立てられていたのなら。

(俺はこんな、運命で何もかも決まってるみたいなのは好きじゃないんだが)

(もし、もしもだぞ)

「ライノン。あんた」

 シュナードは疑問をぶつけてみることにした。

「まさかあんたは、魔術王どころか、逆に、アストールの……」

「あっ、いえ、僕はアルディルムじゃありませんよ」

 さらっと一蹴された。

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