08 思い出に残るものになるだろう

 ミラッサやライノンのことも、気にかからないではなかった。

 しかし彼らは戦えない。そのことを思うと、無事が確認できたとしても、旅路に連れるのは躊躇われた。

(殊に、ミラッサには悪いことをするようだが)

 もとから話を持ち込んだのは彼女であり、邪推かもしれないが、レイヴァスを意識しているようでもある。

「封印の地は遠くない。プレドルの山を知っているか」

「西の方にある禿げ山だな。確か、過去に何度か土砂災害を起こして、呪いの山なんて言われてる……」

 まさか、とシュナードはまばたきをした。

「そこに?」

「ああ。中腹に隠された洞穴がある。その奥に、やはり厳重に隠されているはずだが」

「呪いの山に魔術王様とは」

 戦士は口の端を上げた。

「それっぽいねえ。……睨むな、茶化した訳じゃない、ただの感想というもので」

「魔術王の影響力が木々を枯らし、災害を呼んだんだ。深刻な事態だと気づけ」

「ああ、すまん。悪かった」

 素直に謝りつつ、シュナードは驚いていた。

(いままでの「関係ない」は、どこに行った?)

(急に改めた訳でもあるまい、本当は)

(本当はずっと、考えてた、のか)

 アストールの血を引かないアルディルムとして。

 自分にできることはないかと、ずっと。

「本当に判っているのか? 魔術王が目覚め出したのは昨日今日のことじゃないという証明になりかねないんだぞ」

「一昨日だろうが十年前だろうが、ことが動き出したのは昨日だ。ま、少なくとも俺やお前さんにとっては、な」

 気軽そうに彼は言った。

「深刻な事態だと言って深刻な顔をしてても仕方ない。レイヴァス、お前さんが言いそうなことだろ?」

「ふん、僕だってそんなことは判っている。ただ、笑う必要もないというだけだ」

「少しは楽しそうに笑ってみろよ、お前は。俺ぁお前の冷笑失笑以外、見たことないぞ」

「お前に笑ってやる義理はない」

「『必要ない』『義理はない』」

 彼は少年の口真似をした。

「必要や義理だけで生きてられんぞ?」

「僕はそれで充分だ」

(まだ、頑なだな)

(とても「気を許した」って感じじゃない)

 初対面の頃ほど酷くはないものの、まだまだ気を張っている感はある。シュナードに対し、自分を騙そうとしているというような疑いはなくなっても、信頼を抱いているとも言い難い。そうした辺りだろう。

(警戒心が強い。野良猫みたいだ)

(与えられる餌は食っても触らせん、とでも言うような)

 「気を許した訳じゃない」と口にこそしないが、暗に主張している。懐いたと思ってうかつに手を出せば、そのまま逃げ去って二度と戻らないかもしれないと、そう思わせる。

(まあ、こいつにしてみれば俺が何で護衛をと申し出るのか判らんだろうしな)

 いまにして思えば、シュナードの部屋を貸せと言ってきたのは彼の様子を探るつもりだったのかもしれない。手記のこと、封印のこと、何かしらほのめかしたり要求してきたりするのでは、と警戒していたことも考えられた。

 だがこの戦士ときたら、ただ手を貸すだけで何も言ってこない。あとで報酬をという話はしたが、きちんとした取り決めは何もないままだ。〈損得の勘定〉が見えないことが、おそらくレイヴァスには不安だったのではないか。

(道すがら、俺の話をしてもいいが)

(あんまり納得してもらえるとは思えんなあ)

 かつて、守れなかった者がいる。自分がいたなら助けられたのにという思いは二度と味わいたくない。それはシュナードにとってはとても大きな柱なのだが、レイヴァスはきっと「非合理的だ」と言うだろう。ほかの誰を守ったところで、その過去がなくなる訳ではない、などと。

 もちろん、シュナードだってそんなことは判っている。

 これは所詮、感傷なのだ。拭いきれない罪悪感を少しでも軽くしたくて。これ以上、重くしたくなくて。

「何だ。どうして僕を見る」

「あ? いや別に、何となく」

「言っておくが、不必要に近寄れば、術を使うからな」

「何の話だ?」

 シュナードはきょとんとした。

「教えておいてやろうか。以前、僕を弱い子供だと思い込んでおかしな真似をしようとした男がどんな目に遭ったか」

「……あのな!」

 思いがけない疑惑に気づいて、シュナードは大声を上げた。

「俺には断じて、そんな趣味はない!」

「どうだかな」

 ふんと少年は鼻を鳴らした。

「その手の連中は優しく言うものだ。『何も企みはない、君が心配なだけだ』と」

「あのな」

 声量を落として、シュナードは苦い顔をした。

「俺がいつ、お前に優しく、そんなことを言ったってんだ?」

「……言っていないな」

 目をしばたたいてレイヴァスは認めた。

「確かに、言っていない。お前は上からものを言ってばかりだ」

「そいつぁお互い様ってもんさ」

 にやりと返せば、睨むような視線がくる。

「ま、縁あっての旅路だ。もうちょっと、何と言うかお互い……」

「譲歩するか」

「お、おう」

 先に言われて、シュナードはまばたきをした。

「そうだ。俺ぁ大人の態度で、お前の小生意気な言動には目をつぶってやる」

 大人気ない台詞を口にして、戦士はまたにやりとした。

「ならば僕は寛大に、お前の無知に目をつぶろう」

 少年は尊大に言って、それからかすかに口の端を上げた。

 どうやら軽口のようだと気づいて、シュナードはふっと笑った。すると気に入らなかったのか、レイヴァスはむっとした顔を見せる。

 この生意気で小賢しくて冷淡で、だが判りやすいところもある少年との旅路は、きっと腹立たしくて苛ついて、何度も放り出してやろうと思って――それでいて思い出に残るものになるだろうと、シュナードは心のどこかでそんなふうに感じていた。


 隣町で少々の補給をし――いささか情けないが少年の懐に頼ることとなった――山にたどり着いたのは数日後のことだった。

 道中は大いに警戒をした彼ら――主にシュナード――だったが、あの日のことは悪い夢であったかのように、襲撃の影すらなかった。

 レイヴァスはそれまでにも増して言葉少なとなり、ふたりの間は沈黙が支配することも多かった。最初の内はシュナードも少々気遣ったが、半日もするともうどうでもよくなった。彼自身、そんなにお喋りでもないのだ。

 最低限のやり取りだけで日々を過ごした彼らは、しかし気まずい雰囲気にはならなかった。気心の知れた者同士であれば沈黙は苦にならないものだが、まるでふたりはそれだった。

 長年の相棒、とは言い過ぎだが、少なくとも長いつき合いのある、気の置けない相手。もし彼らを観察する者がいたなら、そんなふうに考えただろう。いや、実際よりも少し幼く見えるレイヴァスを連れたシュナードは、若い父親にだって見えたかもしれない。

 それはシュナードには少々気に入らない考えだったものの、彼が少年の倍近く生きていることは確かだ。

 と言っても、レイヴァスが年若いからという理由で心配して同行している訳でもない。

 彼にあるのは口にしたような「下世話な好奇心」と、あとになってレイヴァスが死んだなどと聞いて後悔するのを避けたいという気持ち。これはレイヴァスがたとえ同年代であろうとも同じことだ。

 たとえ感傷であろうと、彼はそれに従うことを決めた。

 決めれば、あとは戦うだけだ。

「しかし、気味が悪いほど静かだな」

 問題の山を登りながら、シュナードは言った。

「あの夜の出来事が嘘みたいだ」

「確かに、奇妙だな」

 珍しくも少年は同意した。

「僕ひとりを殺すためにあれだけの数を動員しておきながら、その後はなしのつぶて。復活しつつあると言ってもまだまだ力が弱いのかもしれないな」

「あの騒動で力を使い果たしちまった、とかか?」

「可能性はある。だとしても、あくまでも一時的だ、という説明はしなくてもいいだろうな?」

「そりゃ、あれで終わってくれるなら楽でいいが」

 気の毒な犠牲者もおそらくは出ただろうことを思えば、とても拍手喝采とはいかないが、あれ以上のことがないのならそれに越したことはない。

「……ま、そんな期待もできんな」

その通りだアレイス

 レイヴァスは先に立って山道を登っていく。

 山道と言ってもほとんど獣道だ。人間が通るにはいささかきつかった。シュナードでさえ慣れぬ登山に苦労していると言うのに、少年は――少なくとも見た目には――平然としていた。

(平然、どころじゃないな)

(何と言うか、熱意みたいなものを感じる)

(これがお前さんの本当の姿かい、レイヴァス坊ちゃんよ)

 氷の壁を張り巡らせた奥には、暑苦しいところも多い戦士連中とつき合ってきたシュナードでさえ驚くような燃える魂が、もしかしたら隠されているのだろうか。ふと彼はそんなことを思った。

(途中で「もうご免だ」と言い出すんじゃないかとも思ったが、余計な心配だったみだいだな)

「……何だ、その顔は」

「あ?」

「にやにやして」

「お前さんが立派で感心してるんだよ」

 本音を言えば、少年は目をしばたたいた。

「何だと?」

「一時の気の昂ぶりなんかじゃなかったってこと。まあ、お前さんがそういう性質たちじゃないってのは判ってたが」

「昂ぶりだと」

 ふん、と少年は口の端を上げる。

「僕は一時の感情で行動を決めたりしない」

「はいはい」

 家から越すの何のと騒いでいたことはどうなんだ、とはシュナードは口にしないでおいた。

(むしろ、俺に話してしまったことが、気の昂ぶりによる一種の過ちみたいなもんだったかもな)

 襲撃後の興奮という状態になかったなら、彼は手記のことや、自分がどうするつもりかなどという話をせず、それまでのように関係ないと突っぱねてシュナードを追い払おうとしただろう。

(で、話しちまったからには俺を巻き込むつもり、と)

 彼の動向に一度も苦情や不満を出さないところを見れば、戦士の護衛を受け入れてはいるようだ。

 いまのところは護衛の活躍の場はないが、そんなものはない方がいい。

(このままとも思えんが、ね)

「――あれだ」

 半刻も登ったろうか、不意に少年が岩肌を指した。

「どれだ」

 その辺りは何の変哲もない岩壁に見える。レイヴァスが何を示そうとしているのかとシュナードはきょろきょろと見回した。

「あれだ」

 レイヴァスは繰り返すと、すっと右手を前に差し出して目を閉じ、口のなかで何かを唱えた。

「お……おお」

 すると、シュナードにも見えた。見落としようのない、洞穴への入り口が。

「魔術で隠されてでもいたのか」

「簡単に言えばそうだ」

「難しく言えば?」

「お前には判らない」

「だろうな」

 いまのは特に嫌味ではなく、単なる事実だろう。シュナード自身、そう思う。

「隠されてるのも当然か。いくらほとんど人の入らない荒れ山とは言え、魔術王の封印場所に誰でも入れるようじゃ困る」

「当たり前のことを知ったように言うな」

 手厳しい言葉がくる。

「行くぞ」

「おうよ」

 うなずいてシュナードは先に立った。

「何の真似だ」

 すると、レイヴァスがむっとしたような声を出す。

「何のったって、閉ざされた洞穴なんざ、何がいるか判らんだろう。あまり暗いようなら例の光の玉で後ろから照らしてくれ」

「術は使う。だが僕が先だ。何かいればお前が前に出ろ」

「あ、おい」

 とめる間もなくレイヴァスは先に進んだ。

「仕方ないな」

 背後も心配だし、その方が無難かもしれない。

「勝手に走り出したりだけはするなよ」

 それだけ言ってシュナードは、左腰の剣を意識しながらレイヴァスのあとに続いた。


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