05 もしかしたら

 彼はぶつぶつ言いながら剣をかまえた。こうなっては戦わざるを得ない。もっともそうと決めたのは、意地や見栄ばかりのためでもなかった。

「まあ実際、いいやり方だ」

 この魔物は火に弱い。

 シュナードは経験でそれを知っていたがレイヴァスは本からということだろう。もちろん知った経緯など何でもかまわない。

 これならいけるという判断から彼はとどまることに決めた。

「よっし」

 一歩踏み込んで剣を振るえば――これは確実に熱く、慎重に操らねばならないと判った――土塊人形はくすぶるように燃えて、更にその動きを鈍くした。

「ち、一撃とはいかんか」

「それは虫がよすぎるというものだ」

 少年の声が近くなった。と、すぐそばに気配がする。

「馬鹿、引っ込んでろ」

「僕にできることを忘れたか?」

「もっと後ろでもできるはずだ」

 下がれと繰り返したとき、何やら視界に入った細いものが気になって彼はちらっとレイヴァスを見た。

「何だ、それは」

「見て判らないか。火かき棒と言うんだ」

 燃え盛る暖炉から取ってきたらしい鉄製の棒は、細剣のようにかまえられた。

「阿呆っ、無茶すんな。魔術にしとけ魔術に!」

 慌ててシュナードは叫びつつ、のそのそ起き上がってくる泥人形に打撃を食らわせた。

「ごっこ遊びじゃないんだ、そんなもんじゃ化け物退治は」

 たんっといい音をさせて踏み込むと、彼は火かき棒はで魔物を貫き、素早く抜いた。魔物は苦悶の声を上げて後退する。

「何か言ったか?」

「あー、いや、お前」

 戦士は次の一撃を放った。

「やったこと、ないんじゃないのか?」

「無い」

 当然のようにレイヴァスは返事をした。

「見よう見まねだ」

「んな出鱈目な」

 世の中には確かに天才という人種がいて、一を聞く前から十、それとも百まで知ってしまう。だがレイヴァスがそれだとは思わなかった。

「何か魔術だな、そうだろう」

 ざんと斬りつけながら、シュナード。

「否定はしない」

 返事とともに、次のひと突き。

「時間を稼いだら、逃げるぞ」

「お、おう」

 またしても冷静な言葉に、歴戦の戦士はやや困惑しながら同意した。

(何なんだこいつは)

(まるでこうした戦いを知ってるみたいだ)

 今日一日で三度目、ということになる。少し気弱な人間なら「どうして自分がこんな目に」「もう嫌だ」と泣き崩れてもおかしくない。この少年がそんな殊勝な性格でないことは判っているが、常識で考えれば、いくら順応性が高くてもせいぜい恐怖に足がすくまなくなる程度ではないだろうか。

(戦えない連中を冷静に避難させた上、積極的に化け物に立ち向かい、なおかつ自分がきちんと生き延びる算段までするたあ、尋常じゃない)

 もしかしたら、と彼は思った。

 やはりこの少年はその身体に、一本の剣で魔術王の恐怖から人々を救った英雄アストールの血を宿しているのではないか。

「ちっ、きりがないな」

 だがそんなことを考えている場合ではない。泥人形はまるで人気店に詰めかけるかのようにどんどん入ってこようとしている。

「五トーア、稼げ」

 命令がきた。

「――おう」

 理由は判らないが、聞き返すときではない。シュナードはうなずき、炎の剣を大きく薙ぎ払って威嚇した。知能の低い泥人形でも炎を怖れる本能はあると見え、たじろいだようにゆらゆらとした。

「よし」

 小さな声が聞こえたかと思うと、シュナードは仰天させられた。

 すぐ近くの卓や椅子が、一気に燃え上がったのだ。

「おまっ、何て無茶を」

「いまだ、逃げるぞ!」

 戦士の言葉を無視して少年は鋭く叫んだ。

「ええい」

 シュナードは呪いの言葉を吐き、もっともでもある指示に従った。

(すまんな、親父さん)

 彼は心で食事処の主人に謝った。主人には何の咎もないであろうに魔物に店を襲撃された上、火事を出されるとは。

(だが人死にが出るよりは、店の評判は落ちんはずだ)

(……たぶん)

 評判が残ったところで店が残っていなければ飯の食い上げだが、そこまで酷いことになる前に消火隊キルデアータがきてくれるだろう。彼はそう期待することにした。

 目論見通り魔物たちは足止めされ、シュナードとレイヴァスは厨房に駆け込んで裏口を目指す。そこには所在なげにミラッサが待っていた。

「あっ、レイヴァス! 無事ね!?」

「当然だ」

「俺はどうでもいいってか」

「ほかの人たちはみんな逃げたわ。早く私たちも」

 シュナードの台詞は無視されたが、苦情を言うところでもない。

「よし、先に行け」

 戦士は短く言い、念のために背後を守った。いつしか剣の炎は消えている。少年少女は裏口から飛び出し、彼も続いて――。

「あっ、あれを!」

 ミラッサが叫んで空を指した。

「な……あ、あいつ」

 先ほど撃退した翼を持つ魔物が、上空に羽ばたいていた。同じ個体であることは右腕がないことから見て明らかだった。

「くそっ、おとなしくどっかで痛がってりゃいいものを」

(あいつが指揮を執ってるのか?)

(そんな知能があるようには見えなかったんだが)

 幸いにと言おうか、空飛ぶ魔物は彼らに気づかず、少し離れたところで滞空していた。

「何だ、あれは」

「ま、魔物!?」

 気づいた町びとたち――店から逃げた者もいるかもしれない――が恐怖の声を上げた。

「大変だ! 向こうから獣人の群れが!」

 次にはそんな叫び声も聞かれた。

「何だと」

 一体二体ではない、泥人形のような数でこられたら、彼とて対抗しきれない。

町憲兵隊レドキアータは何をしてるんだ!?」

 続く悲鳴。

(生憎だが町憲兵隊じゃ無理だ)

 シュナードは声には出さずに返事をした。

 町憲兵たちは「人間」相手の訓練しかしていない。仮にいち早く駆けつけたところで大した役には立つまい。

(なら警備隊)

 彼は思った。

(だが連中は、金で動くからな)

 街道警備隊は文字通り街道の治安維持のための組織だ。町を守る責任などはない。なかには正義感の強い戦士もいるが、話を聞きつけてやってくるまでは時間がかかるだろう。

(ここは逃げの一手か)

 唇を噛みながら戦士は思った。

 彼は町の治安に何の責任もない。ここで逃げ出したところで何の咎めもない。いずれ噂にでもなれば陰口のひとつも叩かれようが、住みづらくなったら別の町に越したっていい。

 こんなところで、命を賭ける必要はない。

 だが。

「うわあああっ」

「助けてえっ」

「こ、殺されるー!」

 この阿鼻叫喚に耳をふさいで逃げ去るのは。

(少々、夢見が悪そうだよなあ)

 うう、とうなりながら彼は剣を持ち上げた。

「俺はまだ、死にたくないんだが」

「何をする気なの」

 ミラッサが彼の腕に手を置いた。

「群れと言われているのを聞いたでしょう。無理をしないで逃げるのよ!」

 もっともな意見だ。

「しかし……」

「こんなところで死ぬつもり!? 馬鹿げているでしょう!」

 まさしく、彼自身も考えたことだ。そんなのは馬鹿げている。

「死ぬ気は、ない」

 彼はそっとミラッサの手を払った。

「警備隊連中が腰を上げるまで、少し時間稼ぎをするだけだ」

「無茶よ」

「僕も行こう」

 レイヴァスが言う。

「火をつけるのはもう難しいが、転ばせるくらいならまだできる」

「お前は駄目だ」

 シュナードは首を振った。

「ミラッサと逃げろ。いいな」

「待て、シュナード!」

 制する声を聞き流して戦士は獣人がいると指された方角へ駆けた。ちょうどそのとき一体目の獣人が角から姿を見せ、近くにいた町びとに襲いかかろうとした。

「ちっ」

(間に合わん!)

 悲劇は、しかしやってこなかった。

 一本の矢が、正鵠を射るが如くに、魔物の額を貫いたのだ。

「……お?」

 彼は目をぱちくりとさせた。

「――シュナード!」

 聞き覚えのある声がした。

「お前は」

 それは昼間に出会ったばかりの相手だ。

「カチエ!」

 女剣士は彼を認めて走ってきた。

「お前、じゃないな、いまの弓は」

 彼女の手に弓はない。

「僧兵団だ」

 短くカチエは答えた。

「神殿の兵さ。普段は目立たないが、訓練はしているし団結力も精神力もある。ここは任せるんだ」

 その言葉と同時に反対側から聖印の描かれた鎧を身にまとった男たちが姿を見せ、槌を片手に魔物たちに立ち向かった。

「お、おお」

 ほうっと彼は息を吐いた。

(どうやら、無駄死にをせずに済んだようだ)

「お前たちは安全な場所を探せ。……そんなものがあるかどうかは判らないが」

 眉をひそめてカチエはつけ加えた。

「何だと。まさか」

「そうだ。ここだけじゃない。町中に魔物が現れている」

「んな、馬鹿な」

 と反射的に言ってしまったものの、今更それが有り得ないことだとは言えない。

「警備隊や町憲兵隊も総出だ。任務ではないなどとは言っていられない」

「そうか」

 なかには逃げ出すのもいるだろうが、町全体の危機となればあとでの報酬も期待できる。そういう計算で動く戦士もいるだろう。

「よし、俺も戦おう」

 シュナードは言ったが、カチエは首を振った。

「お前は引っ込め」

「馬鹿を言うな、手を貸す――」

「レイヴァスを守れと言っている」

 静かに、だが力強く、その言葉はやってきた。

「判っているんだろう。この襲撃はほかでもない、アルディルムの血筋を狙ったものだ」

「馬鹿な……」

 彼の声はかすれた。

 考えなかった訳ではない。むしろ、そうではないかと思っていた。だがまさか、町中が襲われる事態になるなど。

「本当に関係ないと思うのか? ああして彼のもとに獣人が飛び込んできた、今日の今日なのに?」

 カチエは言った。シュナードは知っている。それが一度ではなかったこと。

「きゃあああっ!」

「ミラッサ!?」

 はっとして彼は振り向いた。上空のあの魔物が彼らを――それともレイヴァスを認め、そちらに飛んでくるところだった。

「くそっ」

 彼は急いで踵を返した。

「レイヴァスを守って逃げろ! いいな、〈狼爪〉!」

 その名で呼ぶな、と返す余裕もないまま、シュナードはこれでもかと力強く地面を蹴った。

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