09 僕のやることじゃない

「話したいのなら好きにしろ。ただし、僕が聞いているとは限らないからな」

 言い放つとレイヴァスはライノンの横をすり抜けて入り口の扉に手をかけた。がちゃがちゃ、と扉は開かない。

「ああ、そうか。カチエが鍵を――」

「面倒なことだ」

 呟くと少年はすっと姿勢を正した。そして何か囁く。かと思うと扉は施錠されていたことなどなかったかのように開いた。

「へえっ、鍵まで開けられるのか。お前、盗賊になれるな」

「なるか、馬鹿者」

「魔術ですか? 魔術ですね? わあ、すごい!」

「うるさい」

 苛々も最高潮という感じだ。もう少しおだてるなどしてやらないとならないかもしれない。

(面倒臭い奴だ)

(何でまた俺はこんな面倒臭いガキに関わっちまったんだか)

 ミラッサの依頼を受けたところまでは、仕方がない。だが気にしなければよかったのだ、あの娘の話など。「へえ、面白いお話ですね」で終わらせて、アストールとエレスタンの話など聞き回らなければライノンとも出会わなかったし、ライノンの話から再びレイヴァスの様子を見に行こうなどとも思わなかった。

 そうすれば――。

(……あとになって、レイヴァスが獣人に殺されたと聞いて)

(俺が通っていてやればと、後悔した訳か)

 ううん、とシュナードは頭をかきむしった。

「シュナードさん? 入らないんですか?」

 ライノンが隣で待っている。

「ああ、いや」

 ちょっとな、と意味のない呟きを返してシュナードは小屋に入った。

 あの悪臭はだいぶ薄くなっていたが、それでもまだ臭い。シュナードは顔をしかめた。

「何です?……この臭い」

 ライノンも気づき、鼻の辺りを手でふさいだ。すると眼鏡がずれたと見え、もう片方の手でそれを直すなどしている。

「実は、獣人が出てな」

「獣人ですって?」

「ああ。今日の昼間だ。たまたま俺がいたんで退治できたが」

「わあ! 強いんですね、シュナードさん! さすが〈狼」

「やめろ」

 素早くシュナードは禁じた。

「『王陛下』も〈狼爪〉もなし」

「どうしてです? 格好いいのに」

「恥ずかしいだけだ」

 ライノンは「そうかなあ」などと首をひねっていたが、シュナードはもうその話題を続ける気はなかった。

「どうだ、レイヴァス」

 彼は少年に声をかけた。レイヴァス「術師」はまた光の球を作り出し、本棚から書物を数冊引っ張り出しているところだった。

「手を貸せ」

「はいはい」

「わあ、明るい。すごいですね、レイヴァスさんは」

 学者はまた感心したが、少年は無視をした。

「いいなあ。こんなに明るくできるなら、夜の読書にも便利ですね。燭台では少々、目が疲れて」

(こいつもお勉強好き仲間か)

(学者なら当然だろうが)

 何となくシュナードは肩身の狭い思いを覚えた。

「これくらいの術を込めた品ならば魔術師協会でも売っている。買えばいい」

「本当ですか!? あ、でも、僕はあんまりお金がなくて」

「魔術品ってのは高いんだよな、確か」

 シュナード自身は買ったことなどないが、守護符の類を買おうとした知人がぼやいていたのを聞いたことがある。

「そうなんですよね。そりゃあ、魔力を持つ人は貴重ですし、なかでも魔術師と呼ばれるようになったり、品物に力を込められたりするのは更にごく一部ですし、技の代金と思えば当然ですけれど」

 高いです、とライノンは嘆息した。

「これを持て」

「はいはい」

 レイヴァスの「ご命令」に従い、彼は分厚い書物を数冊受け取った。

「あとは……これでいい」

 最後にレイヴァスが手にしたのは、ずいぶんと小さな一冊だった。シュナードが持たされたものは、持つだけなら片手でも可能だが、開こうとしたら卓が必要そうだ。だがその一冊は懐にも収まりそうな感じだった。

「そりゃ何だ?」

「お前に言っても判らない」

「ふうん?」

「あの、レイヴァスさん」

 ライノンは全く懲りずに明るく声を出す。

「あなたがアストールの血筋ではないということは、どうして判ったんですか?」

 これは、カチエと同じことを言っているのに近い。「違う」という証拠はあるのかということだ。レイヴァスの方でも女剣士の様子を思い出したか、じろりとライノンを睨んだ。

「だ、だって、問題の口伝ですとか手記ですとか、何かしらが伝わっていて『そうだ』と判るのならともかく、『そうじゃない』と言うのはどうして」

「何も伝わっていないんだから、そうじゃないに決まってる」

「えっ、それだけですか?」

「ほかに何が必要だ!『違う』証拠が必要ならお前が探せ、僕のやることじゃない!」

 厳しく少年は言い放った。

(何も伝わってない……それだけか)

 シュナードもまた思った。

(確かに、充分でもある。だが、普通ならむしろ「証拠はないが自分は英雄の子孫だ」とか言い張りそうなもん……)

(ま、こいつは普通じゃないか)

 他人の名誉で威張りたいなどとは思いもしなさそうだ。立派とも言えるが、可愛くないとも。

「うーん」

 ライノンは小難しそうな顔で両腕を組んだ。

「アルディルム姓って、あんまりないんですよ?」

「皆無じゃあるまい」

「それは確かですし、少ないと言うのも、このリンシア地方や隣接するミランド、ラスカルト地方辺りに限ってのことですけれど」

「あんた、そんなにあちこち巡って調べたのか?」

 半ば呆れてシュナードは尋ねた。ライノンは恥ずかしそうな顔をした。

「いえ、本に書いてあったんです」

「書いてあれば事実とも限るまい」

 レイヴァスは切り捨てる。

「でも僕にとっては少なくとも、初めて出会ったアルディルムさんがあなたです」

「お前の人生など知るか」

「たまたま巡り会った人たちじゃないですよ、調べてきてこれなんですから」

 えっへん、とライノンは胸を張った。自慢するところかどうか、シュナードにはよく判らなかった。

「ところで」

 ライノンはにっこりと笑みを浮かべた。

「――その、大事そうに持っている本は何ですか?」

「お前には関係ない」

 さっとレイヴァスはそれを懐にしまった。

「アストールの! 手記じゃ!」

「違う! 断じて!」

「それなら見せて下さいっ」

「断るっ」

 ライノンは一歩踏み込み、レイヴァスはその分退いて懐を押さえた。

「シュナード、こいつを何とかしろ!」

「何とかったって、別に襲われてる訳でもなし」

 彼は肩をすくめた。

「違うんなら、見せれば納得するだろ?」

「します」

 力強く青年はうなずいた。

「見せられないようなもんなのか? お前の赤裸々な日記とか、自作の詩集とか?」

「そんなものを書くかっ」

「ならいいだろうが。見せてやれよ。こいつも引けないんだろうさ、ただ『違う』と言われただけじゃな」

「引けません」

「見せる理由はない」

 少年は容易には応じなかった。

「変なところで意地を張るなよ」

 シュナードは諭した。

「お前は、アストールの血筋じゃない証明をする必要はないと言うが、それならこいつもカチエと同じように『証拠がない限りはそうだと考える』と言い出しかねないぞ」

「そうそう、そうです。そう考えます」

 こくこくとライノンは同意した。

「シュナードっ」

「俺のせいじゃない、お前がその本を見せないからだ」

「これは魔術書だ。魔力を持たない人間に見せるものじゃない」

「見たからって噛みつかないんだろ?」

「お前たちの心配なんかするものか。僕が気分が悪いんだ。魔力のない人間にこれを見せるなんて」

「このままつきまとわれるのとどっちがいいんだ」

「つきまといますよ」

 真顔でライノンは追従した。

「それは脅しなのか?」

「簡単に推測できる未来と、それに基づいた誓いだな」

 うんうんとシュナードは適当なことを言った。

「誓いです」

 引き続きライノンもシュナードに乗った。レイヴァスは憎々しげにふたりを睨む。

「これがアストールの手記ではないと判ったところで『子孫じゃない証拠にはならない』と言うんだろう。それなら見せたところで無駄だ」

「うっ」

 シュナードは詰まった。確かに手記かどうかが問題になるのは「子孫だと証明したい」場合であって、否定を確定するものにはならない。

「頑なに拒むのは、それが手記だからじゃないんですか?」

 一方、ライノンは諦めなかった。

「僕に見せた途端、それは『証拠』になる。もちろん、英雄の末裔であることの。あなたはそれを避けようとしているようにしか見えません」

「成程」

 それも一理ある。シュナードは納得した。

「やっぱり、見せておけ。とりあえずこの場は収まる」

「嫌だ」

「意地を張るなって」

 シュナードも一歩近づいた。

「力ずくで奪おうと言うんじゃないだろうな!?」

 また一歩下がりながら、レイヴァス。

「おおっ」

 彼はぽんと手を叩いた。

「その手があったか」

「何だと。本気か。そのつもりなら僕にも考えが――」

 すっとレイヴァスの手が上げられた。

「やめなさい! 何をしているの!」

 そのとき、鋭い声が走った。

「あなたたち、レイヴァスから離れなさい!」

「おっ」

「お前は」

 素早く飛び込んできた巻き毛の少女は、勇敢にもと言おうか、年上の男たちふたりの前に割って入って少年を守るように両手を広げた。

「ミラッサ」

 それは確かに、レイヴァスに剣を教えるようシュナードに言ってきた、あの少女だった。

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