07 学ぶことはいくらでも

 暗くなってきた町並みには、いつしか街灯がともっていた。

 彼らはぽつぽつと話をしながら先ほど歩いた道を戻った。

 話と言ってもレイヴァス少年が相手ではどうにも和気あいあいとはならない。何か尋ねればとげのある返答と皮肉がやってきて、シュナードは適当に受け流しながらまた言葉を返すという具合だ。

「貴重な本ってのはどんなもんなんだ?」

 たとえばこんなことを訊けば、返ってくるのはまず、こうだ。

「どうせお前には判らない」

 そうでしょうとも、とシュナードは思った。

「難解な内容を説明してくれ、なんてことを言ってる訳じゃない。魔術の書だとか、そういうことかって訊いてんだ」

「魔術書の一種ではある。だがそれほど危険なものじゃない」

「危険だって? 本が?」

 妙な表現だ、と彼は思った。

「ああ、危険な魔術について書いてあるとかってことか。はは、まさか噛みつくはずもないもんな」

 笑って軽口を叩いたが、レイヴァスはもちろんと言うのか、笑わなかった。

「そういうものもある」

 それどころか、そう返ってくる。

「はっ?」

 シュナードはぽかんとした。

「僕がいま『危険ではない』と言ったのは、そっちの意味だ。僕の持っている本は、お前が手に取っても噛みつかない」

「……噛みつく本もある、と?」

 冗談だろうかと思ったものの、この少年がそんな冗談を言うとも思えない。

「もののたとえだ。本当に書物が牙を剥いて人に噛みつく訳じゃない。だが魔術師以外が触れば文字通り痛い目に遭うよう術が編まれている書もある。魔術師であっても、許された者……端的には所有者以外が開こうとすれば死の魔術が作動するようなものも」

 案の定、真顔で少年は話した。

「ううむ」

 戦士はうなった。

「本を開いて死亡、なんてのは最悪の死因の部類だな」

「好奇心はいずれ死神マーギイド・ロードの鎌の切れ味をその身で知りたくなるところまで行く、などと言う。余計な興味は持たないことだな」

「本になんか別に興味はないさ」

「そうだろうとも。筋肉先生」

 ふんっと冷笑がきた。はいはい、と受け流してシュナードは、もしかしたらと思った。

(いまの「余計な興味を持つな」ってのは)

(アストール絡みの台詞でも、あるんかね?)

 英雄アストール・アルディルムの血筋がどうの、というような話には首を突っ込むなと。そうした意味合いが。

(いや、ないか)

 彼は考え直した。

(こいつが本当に英雄の子孫ならそうした台詞も出てくるかもしれんが、そうじゃないと言って……)

(待てよ。これだって、判らんのか)

 子孫であるのに、レイヴァス自身がそれを知っているのに、敢えて隠している、という可能性だってある。そう考えていたのだ。

(少なくともこいつの姓がアルディルムだってのは事実だ。当人もそれは認めてる)

(面倒だから名乗らなくなったと言ってるが、魔術王復活の予言を知って、姓を隠すことを考えたとか)

(いやいや、やめておこう)

 彼は思索をやめた。これは何も少年の忠告に従って「余計な好奇心」を抑えようとしたのではなく、判断材料が少ない状態で推測を重ねたってとんでもない方向に行くだけだと判っているからだ。

 町の中心から離れていけば、明かりは少なくなる。外壁にまで近づけばまた点々と松明があるが、レイヴァスの小屋の付近はなかなか暗かった。幸いこの夜は月の女神ヴィリア・ルーが東の空に輝いていたので、辺りが全く見えないということはなかったが、足下は少々不確かだ。

「宿で角灯を借りてくりゃよかったな」

 彼が呟けば少年は肩をすくめた。

「必要ない」

「お前は夜目が利くのか? そりゃ夜道歩きに便利でいいが、俺は」

 言いかけてシュナードはぎくっとした。

 レイヴァス少年がさっと手を振ると、そこに光の球が現れたからだ。

「ふほう」

 彼はおかしな感嘆の声を洩らした。

「やるもんだな」

「これくらい、大したことじゃない」

 謙遜のようにも聞こえるが「もっと『大したこと』だってできる」という自負かもしれなかった。

「まさかとは思うが、これを使って夜にも本を読んでたりするのか?」

「それがどうかしたか」

「いや、ずいぶん勉強好きだと思ってな……」

 文字を読めるというだけでも立派なことだ。十中八九、レイヴァスは書くこともできるのだろう。シュナードは、かろうじて店の名前などが判る程度だ。もっとも彼が愚かなのではなく、読み書きなどできない人間が大半である。

「知識はいいものだ」

 少年は言った。

「学ぶことはいくらでもある。――知識は僕を裏切らない」

「ふうん?」

 十六歳らしからぬ言いようだった。もとより、レイヴァスが十六歳らしい物言いをしたことなどないが。

「知らないことを知る……この喜びに勝るものはないな」

「そんなもんかねえ」

「筋肉には判らないだろう」

「放っとけ」

 いちいち人を貶めるところが実に可愛くない。シュナードが顔をしかめ、小屋に続く最後の角を曲がったときだった。

「ん?」

 何かが動いた。そう見えた。

「レイヴァス、待て」

「命令するなと言ったはずだ」

「ああ、もう、小うるさいな。なら『お待ち下さい、お坊ちゃま』と言えばいいか」

「貴様」

「誰かいる」

 言い合うのは――からかうのは――切り上げて、短くシュナードは告げた。

「何? 小屋にか?」

「ああ。付近でうろうろしてる。まだこっちに気づいてないようだな。その光を消せ……消した方がいいと思うんだが?」

 命令のつもりはなかったものの、仕方なく言い直した。無言でレイヴァスは手を振り、辺りは薄闇に包まれる。

「恥知らずな盗賊ガーラか。昼間の〈汚れ屋〉のひとりか」

「そういうことはない、とカチエは言ってたがなあ」

「ふん。神殿の仕事をしたところで卑しい人間の本性は変わらない。表面だけ覆い隠しているのをあの女や神官どもが見破れないだけさ」

「まあ、そういうことも、ないとは言えんが」

 こればかりはレイヴァスに同意だった。神殿の仕事をする者は罪を犯さないと信じているらしいカチエには悪いが、世の中にはいろいろな人間がいるものだ。

「だがあいつが何者かは、とっ捕まえてみないことには判らん」

 公正に彼は言った。レイヴァスも別に「絶対に〈汚れ屋〉連中だ」とは主張しなかった。

「さ、ここは俺に任せて少し待って」

 いろ、と言い終える前だった。少年はさっと手を振り下ろした。かと思うと、小屋の前の人影は面白いほどきれいにすっ転んだ。

「何か言ったか?」

「……いいや」

 天を仰いでシュナードはぱっと走り出した。不審者が地面に座り込んで、いったい何ごとが起きたのかときょろきょろしている間に素早く近づき、逆手を取った。

「うわっ、な、何」

「そいつはこっちの台詞だ。留守宅だと知って侵入しようたあ、ふてえ輩――うん?」

 シュナードは目をぱちぱちとさせた。

「ち、違います。侵入だなんて、とんでもない。あの、こちらのお宅の方でしょうか?」

「あんた」

 戦士は口を開けた。

「ライノンじゃないか」

 それは酒場で、英雄と魔術王の話を嬉々と語った学者の卵たる青年だった。

「あなた、シュナードさん」

 濃紺のローブの青年もまた丸眼鏡の奥の目を見開いた。

「あれっ、それじゃここはシュナードさんのおうちですか」

「い、いや、違うが」

「あの、すみません、痛いんですけど」

「お、すまん」

 彼は手を放した。

「おいっ、どうして放す!」

 不機嫌そうな声が飛んできた。

「こいつぁ盗賊じゃない。それに、逃げ出そうとでもすりゃ二トーアで捕まえられるさ」

 青年の奇跡的な鈍くささを思い出してシュナードは肩をすくめた。

「知り合いか?」

「まあ、ちょっとな」

「では、やはりお前は何か企んで」

「もうそれはよせ。飽きた」

 彼はさっくりと切り捨てた。

「少し考えれば判るだろう、賢いお前さんだ。俺が知り合いと何か企んでるなら、何で関係があることを明かす。だいたい、知り合いをここでうろうろさせてどうするんだ」

「……ふん」

 どう思うのか、レイヴァスは鼻を鳴らしただけだった。

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