06 学者の卵

 それから数旬が経った。

 シュナード・イーズは何の変哲もない日常を送っていた。

 いや、少しだけいつもと違うこともあった。

「ああ? アストール?」

「そうそう」

 リィの足をほおばりながら彼はうなずいた。

「ガキの頃、聞かされたことないか? 魔術王を倒した英雄の話」

「そう言えばそんな話、聞いたことがあるようなないような」

「俺、覚えてるぜ。確か魔術王ってのは魔法を使う悪い王様で、そいつを倒したのが英雄だよな」

「んで、アストールってのは?」

「その英雄様の名前だよ」

「そんなんだったか?」

「知らんなあ」

 仕事を終えたあと、教官仲間の戦士と食事に行ったシュナードは何度かふとその話を出してみた。だが誰も彼も記憶は似たり寄ったりで、「英雄と魔術王の話は知ってるが、詳細は忘れた」もしくは「知らない」。シュナードが一番よく覚えていたくらいだ。

(ま、そんなもんだよなあ)

 幼い頃に耳にした寝物語。当時はわくわくして聞いていたようにも思うが、いまとなっては文字通り「子供だまし」。本当にあったことだと言われても首をひねってしまう。どうせ子供が喜ぶように脚色したか、それとも「本当にあったことだ」というのが既に脚色なのかもしれない。

(お嬢ちゃんは何とか言う昔の王国の話だと言ってたな)

(確か……)

「古代王国ドリアーレですね」

「そうそう、それそれ」

 顔を上げて彼は相手を指差し、そこでぽかんとした。

 戦士仲間たちはもう席を立っている。戦士というものは大酒飲みであるかのように思われがちだが、たいていは「今日も生きていた」ことに感謝して羽目を外すのだ。シュナードたちのように危険のない場所で活躍している「戦士」は、「あまり飲んでは明日の仕事に差し支える」と、別に剣を振るわない人間と同じように考えるものだ。

 考えごとをしていた彼はひとり残っていた。

 そう、ひとり。

 誰もいないはずだった。

「酒場のおやっさんから話を聞きました。ここしばらく、あなたはよく英雄アストールと魔術王エレスタンの話をしているようですね?」

「はあっ?」

 にこにこと彼の横に立っていたのは、二十代半ばほどと見える青年だった。赤みがかった茶金の髪をしていて、濃紺のローブを身にまとい、書物などを抱えている。小さな丸い眼鏡と、首筋に巻いた赤い布が特徴的だ。

「嬉しいなあ、アストールとエレスタンの戦いについては、子供の寝物語だと思って馬鹿にする人が大半なんです」

「あ、いや、何だ、その」

 シュナードも正直、そのように思っている。

「失礼しました。僕はライノンと言います。学者セリンの卵です」

 さっと手が差し出された。思わずシュナードは素直にそれを取る。

「シュナードだ。シュナード・イーズ」

「わあ! シュナード王ですね!」

「そのことは言うな」

 苦々しく彼は手を振った。

「すみません。でもいい名前ですよ」

「ありがとさん」

 「いい名前」だから目立っていまいち好きになれないのだが、本気で怒るようなことでもない。彼は肩をすくめた。

「見たところ、戦士の方でいらっしゃるようですけど」

「見た通りだ」

 彼は――彼なりに――丁寧に答えた。

「もしかしてあなたは、アストール・アルディルムの血筋を探していらっしゃるんですか?」

 その問いかけに彼はもうちょっとで酒を吹き出すところだった。

「な、何だと?」

「すみません」

 ライノンと名乗った眼鏡の青年はまた謝った。

「これは、秘密、でしたか」

 真顔で囁かれる。

「阿呆。そういうことじゃない」

 しかめ面で彼はまた手を振る。

「血筋だ? 何でそんなことになる」

「いえ、僕と一緒かなと思いまして」

 にこにこと学者の卵は言った。

「そろそろ伝承の時が近づいていますからね」

「伝承の? 時?」

「おや、ご存知ないですか?」

「ご存知ないね」

 彼は答え、それから迷った。

 そして二トーアで腹をくくる。

「ライノンさんよ、よかったら座ってくれ」

 シュナードは向かいの椅子を指した。

「少し、話を聞かせてもらいたいんだ」


 若い学者の卵から聞いたのは、だいたいこんな話だった。

 英雄は魔術王を退治したが、魔術王は散り際に「必ず蘇る」と捨て台詞のような予言ルクリエのような言葉を残した。

 魔術王の身体は禁術を使った代償か灰のようになってしまい、蘇ることができるとは思えなかったが、それでも英雄はそのままにはしておけなかった。と言うのも、灰の触れた場所は穢れてしまって草木の一本も生えなくなり、生き物が触れれば長い患いの原因となってしまったからだ。

 アストールは学者の助言――助言者は魔術師だという話もある――を聞いて、魔術の壺に入れた灰を深い山奥に厳重に封印した。

 しかし封印は永遠ではない。アストールは自らの子孫にその灰の在処と、そして新たに封印をし直す術を口伝した。

 二度と魔術王が復活することのないように。

「しかし、予言をした者がいたのです」

 ライノンは指を一本立てて真面目な顔をした。

「『やがて血筋は見失われ、封印の解ける日がやってくる』と」

「見失われ……」

 少なくともシュナードはこれまで、アストールの子孫がどうとかいう話を聞いたことはなかった。そうした人物がいるなら、誇りにして喧伝するだろうに。

「その『日』というのは、エレスタンが封じられた日と同じ星巡りがやってくる日のことです。実は、それが間近だとされているんですよ」

 あくまでも真剣にライノンは言った。

「……魔術王の復活、ねえ……」

「あ、もしかして、信じてないですか」

 青年はがっかりしたようだった。シュナードはそうだとも違うとも返さなかった。

(お嬢ちゃんが言ってたのは、このことか?)

(魔術王の復活が近いから、英雄の末裔が危ないと)

(……いやいや)

 彼はぶんぶんと首を振った。

(まさか! そんな話、あるもんか。このご時世に「魔術王」なんて子供のお話みたいな)

 かつては存在した、ということにしてもいい。英雄の子孫が封印を続けているというのが事実でもかまわない。だが魔術王が――何百年だか何千年だか知らないが、とにかく退治されて、つまり死んで灰になった者が蘇るなんて、あるはずもないではないか。

「よかった! 信じてもらえるんですね」

「あ?」

 シュナードは目をしばたたき、はっと気づいた。首を振ったのが勘違いされたらしい。

「あー、間近だとか言ったな。具体的にはどんくらいなんだ?」

 ふと尋ねてみたのは、ミラッサが「時間がない」と言っていたことを思い出したためだ。

 信じては、いないのだが。

「そうですね……三月くらいの間になるんじゃないでしょうか」

「何だ。結構あるんだな」

 今日明日という話でもないようだ。彼女がほかの戦士を探す時間は充分あったのではないか。

 信じては、いないのだが。

「間、ですよ」

 しかしライノンは首を振った。

「今日明日の可能性も、ないとは言えません」

「何だそりゃ。ずいぶんいい加減じゃないか」

「す、すみません」

「謝らなくていい」

 シュナードは手を振って、ライノンを責めた訳ではないと示した。

「僕は特異点と言われるものについて調べてるんですが」

「とくいてん? 何だそりゃ」

「場所であったり、モノであったり、ヒトであったり、いろいろなんです……そうですね、たとえばヒトの場合。端的に言って『特殊な運命を持つ人』です」

「特殊な運命、だあ?」

「ええ。ですから」

 ライノンはにっこりとした。

「英雄アストールのような」

「成程」

 特殊だな、とシュナードは納得した。

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