第22話漆黒の魔女の透明な涙




 ――シュンッ! と再び音が聞こえると、もう風景は宿屋の部屋に戻っていた。


「はい到着。王子、お疲れ様」


 セレネーが声をかけると、手の平の上でカエルがパチパチと瞬きをする。それから辺りをキョロキョロと見回したと思ったら、ベッドの上に置いた水晶球を凝視した。


 未だ水晶球は呆然と立ち尽くすジスレの姿を映し出していた。


「……ジスレのことが気になるの?」


「ええ……彼女は非常に繊細な方ですから……心配です」


 呪いをかけた挙句、不自由な思いをさせられて、良かれと思った真心を拒絶されたというのに、怒るどころか心配しかしないカエルにセレネーは息をつく。


「王子のことだから、ジスレも他の娘たちと同じように仲良くしようと接していたのは見ていて分かったけど……このまま一緒にいても解呪は叶わなさそうだし、ジスレのためにもならなさそうだと判断させてもらったわ」


「ジスレさんのため……?」


「ただでさえ思い込んだら止まらない性格なのに、さらに視野が狭くなっちゃってたし、あのままだったら今まで以上に周りから距離取られて、王子の心も得られず、余計に孤独な魔女になってたでしょうね……もしかしたら脅威と見なされて、討伐される対象になったかもしれないわ」


 ジスレが人々を恐怖に陥れたいとか、悪事を働きたいという人間でないことは様子を見ていて十分に分かった。ただ、あまりに視野が狭く、周囲にどれだけの迷惑がかかるかを考えずに魔法を使っている。悪気がなかったからといって、迷惑をかけていい理由にはならない。


 うまく自分を見せられない、伝え下手で不器用な魔女。それがジスレだ。

 しかしほとんどの人間からは、不気味でいつ災厄を降らせるか分からない危険な魔女と思われているだろう。今までよりも周囲が見えなくなってしまえば、より大きな被害を周囲に与えてしまい、脅威として討たれる将来がセレネーには見えてしまった。


 そこに王子がいたら巻き添えを食らうだけでなく、道連れにされる可能性もある。そんな未来に王子を進ませる訳にはいかなかった。そして――。


「あと、もしジスレの気持ちが変わって王子にキスしても、解呪はされなかったでしょうね。だって恋心の塊しかないんだもの。解呪に必要なのは愛。その人のすべてを受け入れたいっていう想いが大切なのに、自分の想いを押し付けるだけしかできないなんて……」


 セレネーの話を黙って聞いていたカエルが、手の平からピョーンと降りて水晶球に触れる。


「このままでは彼女が誤解されて……というのは、私も一緒にいて肌で感じました。少しでもジスレさんが良い道に進めるよう、何かできることはないでしょうか?」


 どこまでいってもお人好しなカエルに半ば呆れつつ、セレネーは薄く口端を上げた。


「……仕方ないわね。彼女の誕生日だし、特別に――」


 手にしていた杖の先端を水晶にかざし、小さく空に弧を描いて光の粒をまぶしていく。

 すると床に散らばっていた砂糖や卵黄ボンボン、入れていたスープ皿が空を舞い、弾き飛ばされる前の状態へと戻っていく。そしてコトンとテーブルの上に乗った。


 時戻しの魔法。ジスレが落としてしまう前の、カエルの真心が詰まった誕生日の贈り物。


 目の前の時戻しを、大きく肩をビクッと跳ねさせて驚いていたジスレだったが、元に戻った卵黄ボンボンを見て小さく体を震わせる。


 しばらく眺めた後、手をプルプルとさせながら卵黄ボンボンをひとつ摘まみ、前髪を掻き分けて自分の口へ放り込んだ。


「……美味しい……ゥ……ひっく……王子様ぁぁ……っ」


 次第に嗚咽が零れ出し、ジスレの頭が謝るように垂れていく。

 ぱらりと散らされた前髪の隙間から覗くジスレの顔は、セレネーが想像していたよりもあどけなく、猫のような釣り目をした可愛らしさのある顔。


 初めて見たその目には大粒の涙が溢れてポロポロと落ちていたが、それは怒りや恨みで濁ったものではなく、どこまでも透明で純粋な美しい涙だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る