第16話諸悪の根源がやって来た!




 朝食を終えると、セレネーはカエルをフードに入れてホウキを飛ばせた。

 大きな森の上を見渡しながら進み、ぽっかりと木々が生えず穴を開けている所を見つけると、そこへ向けてギュンッと加速させる。眼下に広がるのは、日差しを浴びて青く輝く広大な湖。セレネーはひとり頷き、ほとりへと降り立つ。


「さあ到着したわよ王子。ここなら思う存分に泳げるわ」


 声をかけるとカエルがペタペタと肩を上り、湖を一目見て「わあっ」と嬉々とした声を漏らした。


「なんて美しい……! 見ているだけで体がウズウズ……ゲコ……ケロロロォォンッ」


 唐突に鳴いたと思いきやカエルは大きく跳躍し、湖へボチャンと飛び込む。

 ブクブクブク……ぱちゃっ。水面から顔を出したカエルが、照れ笑いを浮かべる。


「……すみません、体が勝手に……お恥ずかしいです」


「カエルの本能が疼いちゃったのね、このまま呪いが解けなかったら、完全にカエルになっちゃうかも……」


「えええっ! そ、それは困りますっ」


 本気で慌てふためくカエルを見て、セレネーは小さく吹き出した。


「冗談よ、冗談。何年も野獣やら白鳥やらになっていても、ちゃんと人としての理性はあり続けてたから、王子の呪いが解けるまでは大丈夫だと思うわよ。アタシがついているんだもの、何年もかからないわ」


「ケロロロロロ……頼もしいです。ありがとうございます、セレネーさん」


 水に塗れたカエルが活き活きと鳴きながら、体を緑に輝かせて礼を告げてくる。信じ切っているその様子を見て、セレネーは表情を緩める。


(しっかり期待に応えてあげなくちゃね。そして王子から最高の笑顔をもらわないと……)


 今まで様々な者に請われて力を貸したり、時には自ら出向いて術や知恵を与えたりしてきたが、こうして長く一緒にいながら力を貸し続けることはなかった。


 何度も繰り返し挑んでも報われず、正直しんどいと思う。けれど呪いが解けない当の本人が一番苦しいだろうし、ここまで来たら放ってなんておけない。それに苦労するからこそ、元に戻った時の喜びはひとしおだろう。きっと最高の笑顔が見られるに違いないと思うと、最後まで頑張っていこうという気が満ちた。


 セレネーは魔女のローブを脱いで木の下に畳んで置くと、湖の縁まで歩き、ゆっくりとしゃがんだ。


「さーてと……それじゃあアタシも泳ごうっと」


「えっ、その恰好でですか? 服を着こんで水に入るのは……ああっ、べ、別に裸が見たいとかではなく、服が水を吸って大変だろうと――」


「期待した? でも残念……アタシは魔女。こうすれば問題ないわ」


 軽く片目をつむって見せてから、セレネーは腰に挿していた木の枝を手にして、その先端を自分に向ける。そして光の粒を振りかけた。


 するとセレネーの姿がみるみる内に縮まって光球と化し、チャポンッと湖へ飛び込んだ。

 ブクブクブク……ぱちゃっ。水面から顔を出したのは、灰色の蛇だった。


「せ、せ、せ、セレネーさんっ?!」


「フフフ……案外と蛇って泳ぎやすいのよね。あと、これならカエルの天敵から守れるから、一緒に心行くまで泳げるわよ」


「そ、そうですか……すごく嬉しいですが、緊張します。見つめられるだけで体が強張ってしまいそうで……」


「ああ、蛇に睨まれたら固まっちゃうものね、カエルって……分かったわ、なるべく見ないようにするわ。さ、泳ぎましょ」


 そう言ってセレネーは湖の上を気持ち良さそうに泳ぎ出す。カエルもそれに続いて水を掻き、並んで泳ぎ出した。


 思うままに湖を進み、時折潜ってみたり、縁に上がって体を休めながら談笑したり――カエルと蛇という奇妙で緊張感のある組み合わせのまま、穏やか時間が流れていく。


 間もなく日が真上に差しかかろうとした頃だった。


 急に雨雲が空へ広がり、優しくそよいでいた風が荒れ始める。


「いやあね、急に天気が変わっちゃった……残念だけど、今日はこれで終わりね」


「そうですね……名残惜しいですが、陸に上がりましょう」


 もう少し泳いでいたかったのにと残念に思いながら、セレネーとカエルは並んで泳いでいく。間もなく陸へ着こうとしたその時だった。


 二人の頭上に大きな影が被さる。各々に顔を上げれば、湖のほとりに漆黒の塊が佇んでいた。


 真っ黒で地面に届くほど伸びたワンピースに、腰まで伸びたうねりの激しい黒髪。前髪は胸元まで伸び、手にはこれまた黒々とした手袋をはめている。肌を一切見せないその風貌はあまりに不気味で魔物かと思いたくなるが、背格好は細身の女性。かろうじて人と認識することはできた。


 立ち泳ぎでその場に浮かんでいたカエルが、口を戦慄かせる。


「わ、私をカエルに変えた魔女……なぜここに?」


 掠れた声の呟きを聞き、セレネーは庇うようにカエルの前へ出て漆黒の魔女と向き合う。


「アンタが王子に呪いをかけた張本人……一体なんの用? 踏み潰しにでも来た?」


 セレネーは口を大きく開いて蛇の牙を見せて牽制する。と、漆黒の魔女は急にブルブルと身を震わせ、「ぉぉぉぉぉ……」と唸り始めた。

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