第20話 鈍感と天然の違い

小松基地航空祭への移動の前日の夜、わたしは朱夏さんと電話で話した。

いつも明るい声の朱夏さんは、雨木二尉や川嶋二尉から聞いたあんな事件に、幼い頃から遭遇していたとは思えない程で、却って申し訳ない気持ちになる。

本当なら朱夏さんはもっと怒っていいし、泣いていいと思う。

けれども、長い事抑えて仕舞い込んだ感情は、放出する方がきっと困難なのだろうーー朱夏さんと電話やラインでコンタクトを取る度に、そう感じた。

今夜の朱夏さんは、自分の事はあまり話さずわたしの話を聞きたがった。

「うふふ、一つ分かっちゃった。由奈ちゃんは雫ちゃんの事、とっても好きなんだねぇ」

わたしは慌てて否定しようとして、それも却って失礼と思い、混乱してスマホを落とした。

ベッドの上で良かった…。

「す、す、す、すみません」

「大丈夫?」

「は、はい。その…朱夏さん、わたし同じ隊の先輩として、雨木二尉の事はとても尊敬していますが、その、『好き』とかそう言うのとまた…」

「由奈ちゃん、あの…宙さんにも誤解されてたから話すんだけど、確かにわたしと雫ちゃん、一度デートはしたの。でもーーわたしがどうしてもそう言う気持ちを、雫ちゃんにもう一度持つ事が出来なかったから」

「もう一度…?」

思わず口から出てしまった質問に、朱夏さんはいつもより低いトーンの声で答えた。

「中学、高校生の頃の雫ちゃん、スポーツも出来たし、成績も良かったし、友達も多くてさ、男女拘らず優しくて、とてもモテたの。本人は全然自覚無いみたいだったけど。ーー幼馴染で妹分だったけど、自慢だったし、それ以上の気持ちで見てた事あったよ。代数なんて分からないフリして、テストのヤマ聞きに行ったりしてさ。でも──気が付かないんだよねぇ、彼。自分が誰かに特別に好かれるかもなんて、思ってもいないみたいだった」

朱夏さんの話には、今の雨木二尉の様子にも深く頷けるものがあった。

本当、他人からの好意に気が付かない人なのだ。謙虚でもあるんだろうけれど。

「その頃、本気で好きでね。でも告白してフラれたら幼馴染に戻れる自信もなかったし。家の事も辛かった時期で、誰かに嫌われたり離れて行かれたりするのは、怖かったんだと思う。なのに、雫ちゃんてば、他の友達からのデートの誘いの話とか持って来るし、本当に頭きちゃって」

朱夏さんはあははと笑った。

でも話している事が朱夏さんには、一時期本当に辛かったんだと、よく分かる。朱夏さんみたいに、近い間柄ならもっと辛いだろう。

「自分の中で、気持ちに一区切り付けちゃった。だから全く諦めが付いた時に、雫ちゃんがデートに誘って来て、何だか不思議だった。…わたしは諦めたけど、由奈ちゃんは諦めちゃダメだよ。わたしも応援してるから」

「ありがと…え?応援?」

朱夏さんはクスクスと笑った。

「由奈ちゃんが雫ちゃん好きなの、お話聞いてれば分かるよ」

「……」

「由奈ちゃんならガッツあるから、きっと雫ちゃんも気付くと思うよ。ただ──本当、バカだよね。由奈ちゃんみたいな美人がすぐ側にいるのにさ」

朱夏さんが何を言わんとしているか、良く分かった。

「朱夏さん、ありがとう」

「明日から小松に行くんだね。晴れるように祈ってる。宙さんが入間から後席に乗るって聞いたよ。雫ちゃんもそうだし、入間の時に、一度東京に帰ろうと思ってる」

それは先輩たちに相談した方が良いかもしれない。

航空祭前後では、わたしたちは朱夏さんを守ることが出来ないからだ。

「後で川嶋二尉や雨木二尉に話してみますね」

その日はそれで電話を切った。

雨木二尉と朱夏さん、二人の間柄が気にならない訳ではなかった。でもこうして聞いてみると、朱夏さんの言葉には嘘がなく、わたしが毎日見ている雨木二尉そのものだなと思う。

パイロットの人たちの多くは、自分自身に各々それなりの自信を持った人が多く、それが彼らのフィジカルやメンタルを上手く調整するのに役に立っているように感じる。

雨木二尉も勿論、自身の技術はその自信や判断力にも支えられているものだったが、何処か謙虚過ぎるところがあり、それが却って多くの人を受け入れる器になっているようにも見えた。



航空祭前日の午前中、ブルーチームは小松基地に移動した。

整備チームも、デブリーフィングが終わると予行や明日の準備が始まる。

宇部一尉に呼び止められた。

「皐月、お前は戦術教導隊の隊舎行け。先に雨木二尉が行って、てるてる坊主作らされてるから、手伝って来い」

「いいんですか」

「お前な、目上からの気の利いたプレゼントはちゃんと受け取っておけ」

呆れたように言って、宇部一尉はしっしっと追い払うように手を振った。

戦術教導隊の隊舎に行くと、雨木二尉と川嶋二尉が大きな白い布に詰め物をして、青いリボンでてるてる坊主の首の部分を締めていた。

わたしにすぐに気が付いた雨木二尉が言う。

「皐月三曹、こっち手伝ってやって。俺そろそろ戻らないと」

雨木二尉はわたしに目配せするようにして、にっこり笑顔だ。

ふと雨木二尉の背後の川嶋二尉を見ると、微妙そうな表情だったが、止める間もなく、雨木二尉は出て行ってしまった。

てるてる坊主を吊るす段階になって、川嶋二尉が申し訳なさそうに口を開いた。

「…ごめん」

「何故ですか?」

川嶋二尉が何の事に謝っているかは、良く分かっていた。

「雨木先輩、マジ鈍いよな」

「仕方ないです。お気持ちもないのに、気を使われても、わたしも困りますし」

「ーーだよな。アンタってブレない性格だね。案外パイロットも行けたんじゃないか。メンタル強いって言われるだろ」

「そんな事は──わたし背が小さいし、体力的にも追い付きません。それに好きな事だから頑張れるし待てると言うか。父には、お前は俺に似てるから、他の道は目指すなって言われましたし」

「親父さん、ひどいなあ。でも真理だな。…俺もそうだし」

川嶋二尉はやれやれとため息をついた後、笑った。

確かにこの笑顔を見ると、女子の隊員や基地の外柵の女子たちが騒ぐ理由は良く分かった。

無愛想なのはそのままだけど、最近の川嶋二尉は相手に対して共感を見せることは、積極的だ。

わたしは信頼されたんだな、と言うのが分かる。

一方雨木二尉はどうだろう。

雨木二尉は誰に対しても、人の良い所を見つけて信頼を示す。多分その能力ではブルーチーム一だろう。

でもそれは本当に誰に対しても揺るがない訳だから、わたしだけが特別な訳ではないのだ。

分かってはいたけれど、ふいに辛くなってしまった。

朱夏さんが諦めたと言った、その気持ち分かる。

「てるてる坊主作ったし、行くか」

頭にポンと手をおかれ、振り向くと川嶋二尉の背中が見えた。

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