・・・・・・・・・最後のドア

zero

第1話 私は

私には夢があったのかもしれない。


「おい!新入り、いい加減仕事覚えろや」上司の影山さんは今日も私のことをさんざんいびりたおしていた。ほかの人たちや影山さんはあんたを育てようと必死になってるんだからねと言っている。が、そもそもバイトの自分をどう育てようと思っているのだろうか?



私のアルバイト先は介護施設のデイサービスである。仕事は毎日毎日高齢者の送迎から入浴介助、トイレ介助、果ては高齢者の人に喜んで貰おうとレクリレーションもしないといけない。


「おい兄やん、今日のレクリレーションは全くおもんないなーー」


「だからおっさんはだめなのよ」


「女性の職員に変わってください」


苦情のオンパレードだった。仕方ない。もともと女性の職場みたいなものなのだが、私の職場は現在男性1人だった。


ほかの男性職員も多数いたのだが、他の職員は全員半年もたたずに辞めてしまっていた。3kとは覚悟していたのだが、3kどころではなかった。きつい、汚い、給料安い、もっと私の意見を言えば、厳しい、細かい、帰れないなどもいえるだろう。厳しいや細かいとは、ほんとに利用者一人一人の対応を見ないといけないし、うっかりしていたらすぐに転んだりして事故につながってしまう。そして保護者に怒られるし、クレームはくるし、他の職員から怒られるし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・キリがない。帰れないのも一緒である。一人一人のニーズに合わせないといけないので保護者がいなかったらそのままデイサービスにいさせないといけないこともある・・・稀にだが。ほかにも掃除に洗濯に、明日の予定や送迎表など正社員でもないのになぜこれだけのことをしないといけないのか?そしてこれで時給900円なのである。ほんとに年がら年中応募していてもこないはずである!そしてなぜ私がこんな仕事に就いたのかというとハローワークの職員に勧められたからである。それだけ、そうそれだけなのである。


紹介がまだであった。私の名前は灰原れいじ。これといってさえない中年男性である。昔から冴えない男性がそのままさえない中年になった。そしてさらにだめなのは今まで正社員で働いたことがないのである。リーマンショックという不況があってからそのままアルバイトや派遣をしていたらいつの間にか私は中年になっていた。ほんとにほんとにそのまま夢がなかった。したいこともなかったしただただ不況だから仕方ないと思ってなんとか非正規で働いていた。そして不況が終わって好景気になったあと、またしても不況になった。楽だった事務の仕事の契約を切られてまたしても私は失業保険を貰いながらハローワークで仕事を探した。


「で、またしても仕事の紹介ですね」すっかりハローワークの職員とも仲良くなっていた私はいろいろよくしてもらったのだが・・・・・・・・・年齢も年齢でこれといって資格も経験もない私には選べる仕事がなかった。



「・・・・・やっぱり灰原さん。さすがに事務とかのホワイトカラーの仕事はもうないかな」


「・・・・そうですか」私はため息をこぼしながらハローワークの職員さんと対面しながら座っていた。ほかの人たちも見渡すと一面に人だらけだった。


「やはり、不況になるとしかたないよね。私も非正規ですし」ハローワークの職員さんも大体は非正規なのである。


「ですよね」


「灰原さん、介護なんてどうですか?」私とハローワークの職員が座っているところに若いハローワークの職員の女性が声をかけてきた。


「介護なら今からでもキャリア形成できますよ」そう言ってその女性職員は私にパンフレットを差し出してくれた。


「これ、私も行ったことがあるのですが、介護初任者研修のパンフレットです。昔はホームヘルパー2級と言われてまして・・・・」そうして彼女はいろいろ私に介護業界のことを教えてくれた。私は流されやすいタイプだった。そして流されるままに介護初任者研修を取りにいった。そして介護初任者研修を受けながら介護の仕事をそこの講師の先生方が紹介してくれた。



私は夜勤が苦手だったので日勤だけの仕事を紹介してもらったら今のデイサービスにきたのである。簡単にいえばこんな感じで今いる。一応介護初任者研修は取ったのだが、いざしごとに入ってみればひどいものである。ほんとに求人情報と仕事の内容が違っていた。



まあ、覚悟はしていたのだが、ほんとにきつい。


「お疲れさまでしたーーーーー」私はタイムカードを押して家に帰った。家はおんぼろアパートで築50年は立っているだろうというほどのひどいアパートだった。

アパートの住人は大半が外国人で何を言っているのかさえ分からなかった。




「よい、しょっと」私は玄関のドアを開けて窓をゆっくりと開けた。季節は12月に入ったばかりである。私は安い発泡酒を飲みながらスマートフォンで昔の曲をyoutubeで流していた。夕方の17時なのにもう夜に近いほど真っ暗だった。静かな曲を聞きながら発泡酒を飲んでいたら、隣の外国人が何やら笑いながら話していた。




うるさい。





最近人の声に敏感になっている感じがする。更年期障害になってきたのか?イライラすることが多くなった感じがする。



仕事もそうだが、最近は何も意欲がわかなかった。そのまま私はyoutubeを流しながら寝ていた。



『ここにはね昔、いろーーーーーんな建物があったんだよ。私もいつかはお父さんみたいなエンジニアになりたいな』


『・・・・・エンジニアって楽しいの?』


『わかんない。だけどお父さんの姿を見たらしてみたいと思ってるの』



目が覚めたら早朝の4時だった。まだあと3時間は眠れるな。


彼女は元気だろうか?



「だからーーーーーー何回も言わさないでよ」その日も私は仕事で細かいミスをした・・・・ようである。


「中年のおじさんには何言っても無駄よ無駄」そう言いながらほかの職員は私の悪口を言っていた。



「はあーーーーーーーーーーー、ほんとにこの仕事きちんと仕事する気ある。そもそも私もあんたなんかの指導なんてしたくないのよ。ただでさえ職員の出入りが酷いときに」そう言いながら私は影山さんの話を聞いていた。



「もう、いいからとりあえず現場に戻って」


「・・・はい」そう言われて私は現場に戻った。



私はその日、利用者の送迎が終わった後一人で泣いていた。



人の人生とはほんとに一秒一秒の積み重ねである。誰だっただろうか?どっかの担任の先生が言っていた。私は一秒一秒を真剣に生きていなかったのだろうか?


送迎の中、車の中で道路を横断している中年の会社員や若い新卒の会社員を見ていた。皆忙しそうだった。大変そうだった。だが、目がイキイキしているようにも思えた。私もあんな人生があったのかもしれない。ほんとは言い訳ばかりだったのかもしれない。挑戦しようとしなかっただけなのかもしれない。



もっとあんなことをこんなことを・・・・したらこんな風にはならなかったのかもしれない。車の窓にはぽつりぽつりと小さな雪の結晶が降っていた。ラジオ番組では懐かしい宇多田ヒカルの曲が流れていた。私が20代のころに聞いていた曲だった。あの頃の私はどうしたかったのだろうか?信号が代わりアクセルをゆっくりと踏んでそのまま横断歩道に車を突っ込んだ。信号の色は赤だった。


人生の最後なんてあっけないものだ。



それが私の最後の言葉になった。


















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