10話:終息 後編


 塚原ヒフミは天を呪っていた。



「塚原さん、わたしの提供する武力を使ってください」

「……ははあ」


 上下の一張羅いっちょうらがズタズタに引き裂かれ、再生した肉体に血と肉の欠片がべっとりと張りついているのも些細なこと。

 こんなに動揺したのは、UHMA本部で異常性愛の疑惑をかけられたとき以来だった。

 えん罪という公的機関にあってはならない所業の被害をしかと味わい、塚原ヒフミが職務を真面目に実行しようと誓ったのが三年前のこと。

 つまりは、超人崇拝カルトと銃撃戦をしたり、大陸封鎖を無視して密航させたチンピラを拷問部屋送りにしたりする日常。

 走馬燈にも似た回想を経て、ヒフミは思う。


 よく考えると自他共に、いつも通りの不条理塗れだった。


 それにしても、唐突な上に衝撃的事態だ。

 無理やり爽やかに状況を整理すると、こうなる。



――初恋の女の子は一二年後、最終兵器になって僕を助けに来てくれました!



 あまりの不快さに、自分へ向かって、腹を切って死ねと言いたくなった。

 この状況はないだろ、ふざけんなと運命や神仏に文句をぶつけたくもなる。

 こうなってくるとクレーム対象を作るため、信仰に目覚めるのもありかもしれない。

 全世界の宗教者に笑顔でぶん殴られそうな思考も、所詮は現実逃避の産物だ。

 ヒフミは割りと一杯一杯だった。


「ボロボロ……ですね。大丈夫、でしたか?」


 そう言って由峻がこちらを気遣ってくる。

 耳を打つ心地よい音の連なりにわけもなく胸がざわついた。

 左手は肘から先が吹き飛んで、再生を終えた今も素肌が見えているし、胴体も度重なる被弾で血まみれである。

 内臓は言わずもがな、両脚の太股も銃創じゅうそうを塞いだばかりであり、とても無傷とは言い難い。

 つまり全身、無事の部分がほとんどなく、出血量からいってどう考えても死体の方が自然だった。


「ははっ、御覧のとおり五体満足ですよ」


 言い切ってからブラックユーモアですらないと気付いた。

 ヒフミは、胡散臭い笑顔と裏腹に頭を抱えたくなっていた。

 こうなるとポーカーフェイスも考え物である。


「……ここは笑っておくべき場面なのでしょうか。わたし個人としては、痛ましい思いで一杯なのですが」


 由峻はその頬を引きつらせている。

 この間、ラプトルとエクゾスケルトンの銃火は続いていたが、既にどうでもいい雰囲気だった。

 生身の人間の基準で殺し合いを仕掛けても、超人の側が真面目に取り合うとは限らない。むしろ片手間で片付けられてしまうから、両者の間にある種の隔たりは埋まらないのである。

 要するに死ぬほど気の毒だった。


 こんな馬鹿らしい場面すら、種族の違いが生み出す断絶の一端であった。

 人間を超越するとは、価値観の基準からして異なる生き物になると言うことだ。それが明らかになったからこそ、人間社会は亜人よりも超常種を恐れる。

 けれど、生者は望みを抱かずにはいられない。不要な害悪と切り捨てられても、安らぎを求めてしまう。

 浅ましい欲だけが、人間性の証明だった。

 塚原ヒフミは超人に生まれ落ちてなお、最低限の妥協で、ありのままに暮らせる秩序を夢見る。

 哀れまれるのは真っ平ごめんだ。

 だから由峻の提案も、安易に受け入れるわけにはいかないと思えた。


「導さん、君の助力には感謝いますし、その非を問うつもりはありません。敵の攻撃を防ぐ以外、何もしなくていい」

「それで、この状況が解決しますか?」

「万事滞りなくね。僕は君の提案に乗りました、指示には従って貰う」


 停滞フィールドの干渉によって、銃声すら耳に届かなかった。

 ここには、二人きりの言葉しかない。だからこそ、心の底から本音を言おうと思った。

 言葉以外で押し止めれば、彼女は昔のように自分一人で幕引きしてしまう気がしたのだ。


「君が誰かを殺したり、壊したりする必要はないんです。だから、君自身が傷つくような道は選ばなくていい」


 人類が家畜の如く買われる未来だろうと、塚原ヒフミは無感動に受け入れられる。

 人の命を守るため、その枠からはみ出した亜人やサイキックを殺すのも構わない。

 出来る限りすくい上げたいと思う一方で、胸に巣くう諦観が、義務的な殺意を後押ししてきた。

 けれど、大切なことを思い出せた。

 それは最初、たった一つの憧憬があって成り立つ道のりだったのだと。

 彼はただ、異種の生を肯定してくれた娘に誇れる生き方をしたかっただけなのだ。あのとき、賢角人の少女に身を差し出させたおのれの無力と無知を、繰り返さないために。



「今だけでいい、僕を信じてくれ」



 眼前の娘には、昔、儚い笑みを浮かべた娘の面影があった。

 マウンテンハットを浅く被った亜人の少女。

 彼女のような年端も行かない誰かが、半ば生け贄のように、救いのない選択をせざるをえないのが許せなかった。

 人ではないものとして生まれても幸せが許され、無償の献身を受け取っても、後ろめたくない世界が必要だった。

 ヒフミは、たとえ自分自身が地獄に堕ちていようと構わない。自分以外の誰かが救われているなら、代償行為として十分すぎる。

 熱い血流が全身を駆け巡り、心が決意に沸き立った。


「――あなたは、そういう人なのですね」


 ヒフミの言葉をどう受け取ったのか、由峻はこくりと頷いてくれた。

 決して否定的な意味合いでなかったのは、うっすら微笑んだ口元を見ればわかる。

 これでもし、二人が互いの内心を知ったら、その相似にどんな意味合いを見出したことか。

 このまま穏やかに一言二言、会話を重ねれば理解し合えたかもしれないが――幸か不幸か、そうはならなかった。



 ここで握手の一つもしておこう、とヒフミが要らない行動を取ったからだ。

 無効化されているとはいえ、一応、無人機やエクゾスケルトンの攻撃は続いているので、そちらに目をやりながら手を伸ばしてしまったのである。

 指先に触れた硬質のもの。その手触りに違和感を覚え、青年は手元へ目をやる。

 やはり先ほど、翼の亜人に脳を焼かれたのがよくなかったのだ、と後悔。

 迂闊うかつすぎた。

 真っ白な手ではなく、ついうっかり、由峻の左角をしっかりと握り締めていた。


「ひゃうっ」


 情けない声が耳朶じだをしかと叩き、ヒフミは本日二回目の己が失態に肝を冷やす。

 脳組織に根を張る角は、賢角人にとって敏感な部位である。

 由峻がどんな決意を固めていようと、刺激は刺激だった。

 ヒフミは超人災害対策官、超人災害の専門家である。

 知識として亜人の持つ異形器官のことは知っているし、その特性、効果的な破壊方法も心得ていたが、年頃の女の子の角を触るという行為のいやらしさについての実感はなかった。

 むしろ、とヒフミは刹那に思う。

 賢角人の角を触る、というのは、社会通念上、痴漢で逮捕されるほど破廉恥なのだろうか。

 乳房、臀部を撫で回す性的倒錯者のそれと比して、どれほど不味いのか把握できていないのだ。

 ひょっとすると想像以上に危うい立場かもしれない。

 結論。


「――僕はこの状況に対し、遺憾の意を表明します」

「ひとのっ、角に触って何を言っているのですか!」


 由峻が叫び、絶妙に気まずい空気が流れた。

 先ほどから無慈悲な銃撃を加えているエクゾスケルトンは、そのズレたやりとりを近距離で見せられていた。声は届かないとは言え、殺し合いの空気でないことは馬鹿でもわかる。

 しかも彼は、片足の膝から下を破壊されたため、撤退すら出来ない状態なのだ。

 決死の襲撃をするはずだったのに、まるで相手にされていない自分に気付き、独り言が零れる。


『……茶番だ』


 そこには、人生の無常さを悟った人種特有の悲痛があった。人類の明日を思って、保身を捨てた行為――所詮テロだが――に走った末がこれである。

 散々、肉体を破壊された禍根すら忘れ、微妙に同情の念すら湧いてくる姿だったが、彼の呟きは二人の耳には届かない。

 だから続くヒフミに言葉が噛み合ったのは偶然だった。


「……とにかく、もう安心です。こうも時間をかけた時点で手遅れですからね」


 刹那、黒煙が昇る青空の彼方が、灼熱地獄を思わせる紅蓮に塗り潰された。

 無造作に角を触られ、羞恥に頬を染める由峻も、その異様な光景に目を奪われた。

 琥珀の瞳に映るのは、燃え盛る炎の柱。

 柱のように見えるのは、超高温のプラズマ流体を用いた防御障壁だ。どれだけのエネルギー量があるのか定かではないが、地表すれすれにもかかわらず、火が燃え移る様子は無い。

 熱や光の伝播も異能によって完全に制御されているらしい。

 それはさながら、天を焼き焦がさんとする焔。


 由峻はおのれの目に映った存在が何なのか、理解できなかった。


 炎の柱の中心付近に、涼しい顔をして寝転がる女がいた。

 まるで、お茶の間で寝転がる専業主婦めいた気怠さがあった、

 そこには仲間を助けようという義務感や、使命感は欠片もなく、最低限の建前すら存在しないのは明白である。

 空飛ぶ炎の魔人は、下界などどうでも良いと言い切りそうだった。

 人間離れした絶技を見せつけられているのに、場違いな要素ばかりが際立つのも確かだった。


 あくまで勘に過ぎないが、由峻は、一つだけ妙に確信できたことがある。

 あの女の人は絶対に真人間ではない。

 最悪の初印象だった。


 基地上空に近づくにつれ、熱量の障壁は徐々に掻き消えていく。

 やがて紅蓮の壁が完全に消えると、人影はパラシュート一つ付けずも、ひょいっと地上へ降り立った。

 あまりに無造作な慣性制御。

 膝を断ち切られた外骨格の前まで歩いていく、妙齢の女。

 瓦礫だらけの地上施設にもほとんど興味を示さず、その女――UHMA最強のサイキック、進藤茜しんどう・あかねは脳天気な笑顔を浮かべた。


「UHMA《ユーマ》超人災害対策官、進藤茜です。抵抗は無意味だと思うから、そこで大人しくしててくださいねー」


 二人の救援にやってきた存在は紛れもなく、天災に匹敵する異形異能の超常種だった。

 レベル3、生命活動の完全な自己完結に成功したサイキック。

 続いて、彼女が率いてきた増援の本隊がその異様を晒していく。

 小粒のようだった機影は、すぐに真っ黒な壁に見えるほどの距離へ近づいてきた。

 上空三〇〇メートル、地表すれすれの低空を飛ぶ無人機運用プラットフォーム〈フライング=パーチ〉――二〇世紀の冷戦の産物、戦略爆撃並みの巨人的構造物が、ヒフミと由峻の頭上に浮かんでいる。

 全長五一メートル、全幅八〇メートルの平べったいマンタのような全翼機だ。

 重力制御機関による、巨体に見合わない滑らかな空中での静止。

 人類連合だけがその生産技術を保有する、異種起源テクノロジーの産物だ。

 攻撃目標と母艦が近すぎ、本来の運用法からすればナンセンスだが、今この状況では何の心配もなかった。

 あらゆる飛翔体を消滅させる超人が護衛である以上、外敵による撃墜は不可能だ。

 〈フライング=パーチ〉は翼面の上方と下方、すべてに無人機の格納ポッドを内蔵している。

 菱形の柱状、死者を収める棺にも似た格納ポッドが次々と展開され、二〇〇機を超えるUAVが切り離されていく。

 空中へ放り出される無数の機影が、止まり木から振り落とされた雛鳥のように見えて、由峻はそのおぞましさに眼を見開いた。

 しかし機械は下界の感想など意に介さない。折り畳まれていた翼が広がると、UAVの異形性が明らかになった。

 有機的な灰色の皮膜で覆われた機体は、まるで鳥類の骨格標本に皮を被せたように不格好で、悪夢めいている。

 その胴体は分厚く硬質化した被膜で覆われており、不吉な印象を周囲に振りまいていた。


 対地攻撃無人機バルチャー。


 その機種に収められた筒状の照射装置が、眼下を闊歩かっぽする陸戦無人機を捉えた。

 瞬間、肉食恐竜に似た機体が音もなく爆ぜる。高出力のレーザー兵器だ。集束した光は大量の熱へと転じ、対象を逃げる暇もなく刺し穿つ。

 先ほどまで数の暴力でヒフミを蹂躙していたラプトルが、次々と物言わぬガラクタへ変わっていく。

 由峻は呆気に取られ、思わず不作法な質問をしていた。


「宇宙戦争でも始める気なのですか?」

「圧倒的な武力による世界秩序、伝統的な平和の作り方ですね、ええ。平にご容赦を」


 これだけ巨大な兵器の開発、生産、運用も、その気になれば人間の経済活動は一切必要ないのだ。

 そんな夢も希望もない真っ黒な事情を伏せておこうと心に誓う。

 同じく、片足の膝関節をヒフミに破壊され、機動力を奪われたエクゾスケルトンに抗う術はない。


 抵抗の無意味さを悟ったのか、外骨格は、茜の武装解除に応じている。

 自分とて至近距離にあの女がいたら白旗をあげるに違いない。UHMAの介入という大事を経て、この事件はようやく終わる。

 まだ肩の力が抜けていない由峻も、いずれ安堵あんどしてくれるといいのだが。


 ヒフミは、自分がこの場で一番の馬鹿になろうと思った。

 しかし悲しいことに、口を突いて出る言葉は、間違いなく女性に聞かせるべき冗句ではなかった。


「これにて一件落着です。あとはまあ、思春期の男子みたいにガツガツしてる局員がたっぷり尋問してくれますよ」


 最低の決め台詞だった。

 そしてこのとき、端末は電磁パルス対策のセーフモードから復帰していた。

 それがよくなかった。通信越しにこの暴言を聞いた男――高辻馳馬たかつじ・はせまは、同僚としても友人としても慈悲のない男である。

 彼はどうでも良さそうな調子で、残酷な台詞を言い放った。



『お前さん、数年に一回しか息子が立たないのにそのたとえ使うのか?』



 別の意味で、空気が凍った。

 こういうとき黙っているだけで絵になる人種になりたい、とヒフミは現実逃避。

 冷ややかな半眼でそれを見やる由峻は、この人たち実は滅茶苦茶、頭が悪いんじゃないかと思案している。


「やめてくれ、僕の場合は言ってみれば生態。明らかに非はないんですよ」

『控えめにいって頭おかしいよな、お前』


 ひどい言い草だった。


「なあ、人間基準で何回か死んだ僕に対してその軽口はどうなんだ」

『いつもそんなもんだろ』

「馳馬、君には繊細さが足りません。日本的思いやり精神を補填すべきだ」

『今朝、便所で流してきた』


 二一三四年の地球がどれほど多様な異種を内包した空間だとしても、そこに生きる人間の品性は急に変わらない。

 つまり、塚原ヒフミと高辻馳馬の会話も、それ相応の低劣さが滲み出す。


『間欠泉みたいに噴き出す下痢糞も、お前さんに解説させると綺麗なもんに見えてきそうだな』

「見たことあるんですか?」

人生経験セックスだ』


 あまりにも惨い沈黙が舞い降りた。まさか友人の節操のない性生活の裏に、そんなトラウマじみた光景があろうとは。

 一体どんな過激な行為に及べば、汚い濁流を目視する状況が出来上がるというのか。

 ここで塚原ヒフミが友に抱いた隔意は言葉にしがたいものがある。何せ、評価はだだ下がり。

 女遊びが激しい山男から、変態性行為に勤しむポルノ野郎へ格下げである。

 かつて東京が崩壊する前、ソドムとゴモラの逸話にも似た惨状を呈したとき、都民の間で流行ったという差別的表現。


――スカトロ野郎。


 無論、前時代的デマゴーグであるのは言うまでもない。


「ははあ。大人になるって悲しいね」

『違う。市役所の屑共に憎しみを叩きつける機会を得ることだ』

「どんなに腹が立つお役所仕事も、重力に逆らう排便ほど汚らしくはないはずです」


 結論から述べよう。

 UHMA(人類連合調停局)の現場組に真人間がいる場合、それは断じて人類種ないし超常種ではない。

 普通人は精神か内臓を病むからだ。まともな精神を保った人材がいるとすれば、精々、良識派の亜人ということになる。

 由峻の予感は的中していたらしい。


『俺が求めるのは、ブロンドの巨乳と銀髪の尻のでかい女だ。種族は問わない、ヒューマニストだろ?』

「今までよく訴訟されてないよな……」


 導由峻、十代の終わりに差し掛かって醜い大人に遭遇する。

 思わず口から零れる、総括の一言。



「――最低ですね」

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