4.ダンボール

『ワタシにはワタシなりの見方がある』というと、人はそれを屁理屈だと突っぱねる。目の前にある景色だけがすべてなのか、考え出すと止まらないし、そもそも止まろうとも思わない。


ワタシが生きる世界の真理は、ワタシだけが知っている。

それを言葉で表そうとすれば、思考回路はショートしてしまう。

人間がコンピュータに劣るポイントだろう。人は永遠には考えていられない。

 

手元の白紙を指でなぞりながら小さくため息をついた。

作りたいものがわかっているはずなのに、ワタシのなかの何かが邪魔をしている。

脳では理解していても指が動かない。


購買部で買った安物のシャープペンシルがペンケースの中からワタシを嘲笑っている。笑うな、シャーペン。ワタシが支えていなければ棒一本描けないだろう。ワタシは切羽詰っているのだ。そんな眼でワタシを見るな。




――きょうは木曜日。

平日のうち部活動が行われない唯一の曜日だ。誰もいない部室でただひとりパイプ椅子に座っているとなんだかノスタルジーな気分になる。

こういう感情に浸るのも創作活動を行う者にとって大事なことだ。


窓の外は夕日で赤く染まり一日の終わりを告げようとしている。

放課後のこんな時間が好きだ。目の前のまっさらな白紙に、のどに引っかかったイメージを乱雑に描いていく。まだ大きな塊が喉にひっかかっているような気がするがお構いなしだ。

小説でも何でも、下書きというものは人に見せられないとつくづく思う。


そのとき、部室のドアが音もなく開いた。


「ミサキ先輩! 」


「っ! 」


突然背後から声をかけられて、声にもならない悲鳴とともに軽く飛び上がってしまった。それを見たさつきちゃんも「ヒッ」と小さく驚いている。


「あっ、お邪魔しちゃいました・・・・・・? 」


「驚かせてごめんね。考え事していて不意を突かれたから」


「ビックリしましたよ~ 」


頬を膨らませながら眉をひそめる後輩の腕の中には数冊の本が抱えられていた。


「ミサキ先輩、やっぱり部室ここにいたんですね。先輩がこのあいだ『参考にしたい』って言ってた本、ようやく図書室に戻ってきましたよ」


「やっと戻ってきたのね。ずっと誰かが借りっぱなしで困ってたんだから」


「ありがとう」とお礼を言って皐ちゃんから三冊の本を受け取る。

一冊はとある古典作家に関する論文集。二冊目は西洋美術史について書かれた本。三冊目は部活動の資料ではなく、個人的に気になっていた本だ。


「ミサキ先輩もいつにも増して勉強熱心ですね。さすが部長です」


「書きたいものも形になってきたからその裏付けが欲しくてね。さてと、もうひと踏ん張り頑張るとしますか」



大きく伸び、のち、深呼吸。部活動終了時刻までのこり二時間と数十分。時計に目をやって、部室の端にあるパソコンの電源を入れた。


完全に起動するまで皐ちゃんが持ってきてくれた西洋美術史の本に目を通す。

当の皐ちゃんは右手にほうき、左手にちりとりを持って部室の掃除をしていた。

二つ結びの髪を揺らしながらせっせと働く皐ちゃんは本当によくできた後輩だ。

この子になら次期部長を安心して任せられる。この部の安泰は約束されたようなものだ。



「それにしても、そろそろここにあるダンボールも処分したほうがいいんじゃないんですか? 」


「そうね、たぶん先代の部が残した部誌とか資料だろうけど、夏休み前に大掃除しなくちゃ」


皐ちゃんが部室の後ろにある埃まみれのダンボールを指差した。

温州みかんをモチーフにしたキャラクターがでかでかと描かれたダンボールが四つ鎮座している。


覚えている限りでは、ワタシが一年生のころに入部したときにはすでにこのダンボールがあった。

中身はよく知らないが、過去にガムテープがとれていた箱の中身を探ったことがある。もちろん興味本位だ。


中には多くの授業用プリントが溜まっていて、要らなくなったプリントや原稿用紙を入れるゴミ箱代わりになっていた。


しかしなかには海外の風景を写真に収めた絵葉書や精巧に描かれた建物の間取り図があった。これらのものが授業で配られたとは考えられない。おそらく過去の部員が作品を書くために用いた資料だろう。




創作に必要なことは想像力と資料による根拠だ。想像力は物語を膨らませるため、根拠は物語を他人に理解させるために不可欠だと思っている。


創作の基本ともいえる「妄想」は想像力だけで事足りるだろう。むしろそこに根拠が入り込んでは絶望に打ちひしがれるだけだ。


ただ、ワタシが目的とするのは作品を作り出すこと、否、想いを他人に知ってもらうことだ。根拠がなければ観客に受け入れられない。

ワタシの創るものは一種の方程式なのだと導き出した。

ワタシと作品はイコールでつながれる。文字の羅列はいわば分身だ。



皐ちゃんが持ってきてくれた資料――分厚いハードカバーの本――のなかではビッシリと小さな文字が行儀よく並んでいた。カタカナばかりの紙面はワタシの眼をいやおうなく刺激する。

索引から目当ての項目を見つけ慣れた手つきで該当するページを開く。


「皐ちゃんはフラゴナールって画家、知ってる? 」


「フラゴナール……。うーん、聞いたことないです」


部室の掃除を終えて、鞄から数学の教科書を取り出した皐ちゃんは目を丸くして生返事をした。



ジャン・オノレ・フラゴナール。一言で言えばロココ美術の全盛期ともいえる十八世紀のフランスで活躍した画家だ。『恋人の戴冠』、『恋の成り行き』などの現代とは違うラブロマンス的な作品を数多く描いている。ワタシはこのフラゴナールが描いた『読書をする女』の解説を熟読した。



読書をする人間というのはとても綺麗だ。

ひとつの淀みもなく黙々と目線を上下させるシーンはひとつの絵画のようで、私はそれに釘付けにされる。

特に、最近の要くんから只ならぬ魅力を感じている。

うつろな目をしてページをめくる彼の姿はガラス細工のように繊細で、同い年とは思えない知的な色気を覚えた。でも要くんってあまり成績よくないんだっけ。


キーボードをずらして小さなメモ用紙に速記記号のような文字を並べる。

気がつくとパソコンが起動してからすでに五分を過ぎていた。


“かなめくん を モデル に“


喉に引っかかっていたモヤモヤをようやく吐き出せた。

ワタシの恥じらいともいえる心が、要くんを作品のモデルにすることをどこか拒んでいた。要くんをモデルにしてまで表現するワタシの想いは他人に理解してもらえるのか、理解されてよいのか。

その葛藤がいま無残にも音を立てて崩れていく。


この作品を作る資料は? 

根拠は? 

そんなもの、すべてワタシの独断だ。

いま持っているワタシの作家の生命力をすべて要くんにつぎ込もう。


原動力は、きっと恋心だ。



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