第52話・悪役の暗躍


 「それは伊緒里が悪い」

 「なんでよっ」


 下校時。次の会長選挙を控えて残務の整理以外にやることのなくなった自治会は早々に今日の業務を終えたため、さっさと家に帰ろうとしていた伊緒里は次郎に誘われて帰り道を同じくしていた。

 そしてその日の昼休みに吾音とやらかした話を持ち出すと、一頻り聞き終えた次郎はまた難しい顔になってそんなことを言ったのだった。

 当然、伊緒里は面白くない顔つきになって。

 だってなー、と次郎はどう説明したらいいものやら、と珍しくも思案に迷った顔になり、そしてそれを幼馴染みから隠そうとその反対側に向けたのだったが、同意を得られず少々むくれた様子の伊緒里は前に回り込んで、そんな曖昧な態度を許さないかのように次郎を見上げていた。胸先が接してしまいそうな近距離から。


 「近い近いっ!…ちょっと離れて」

 「…あっ……ご、ごめんなさい」


 近頃、次郎は伊緒里の自分に対する距離感にやや戸惑いを覚えていて、この時も冷静な顔をしてはいたが内心は結構一杯一杯である。そっと両手で伊緒里の肩を押しやる動作も至極ゆっくりで、こんな場面に吾音が居合わせていたら口笛ではやし立てるくらいはしそうだった。


 「…でも、この話で私に悪いところなんか無いと思うわ。次郎くんは私より吾音の肩を持つっていうの?」

 「そーいうことじゃないんだけど」


 言外に「めんどくせーなあ」というニュアンスを漂わせつつも、自分と弟の間での取り決め、それを姉に隠していることの後ろめたさから、幾分引きつった顔ながらも隣の位置に戻った伊緒里の機嫌をうかがうように、無駄に優しげな声をかける。


 「まー、俺も三太夫もな?こお、いろいろ思うところがあるわけよ。そこんとこ汲んであんまり姉貴を苛めないでやって欲しいナー…とかなんとか」

 「要するに自分たちばっかりいいひと見つけたものだから、吾音のことに口出し出来なくなった、ってだけのことじゃない。いばるようなことじゃないでしょ」

 「ぐ…」


 図星である。図星なのだが、伊緒里の言い分が正しいとなると次郎にとってのいいひと、というのは自分自身のことになるのだが、そこに気がついているのか。


 (気付いてねーんだろーなー)


 むしろそんなことを意識もしなくなったのかもしれないが、それはそれで次郎としても線引きが曖昧になっているようで、気にはかかる。


 「…でもそれはそれとして、もう少し手加減っつーか、手心加えては欲しいと思うわけなの。身内としては」


 といって、その点を突いて伊緒里をいじれば、また面倒くさいことになることは確実であるから、次郎としては下手に出る他ないのだ。


 「……吾音の肩ばかりもって。少しは私のやることに手を貸してくれてもいいじゃない」

 「それで姉貴の機嫌損ねるとこっちに矛先向くから勘弁してくれよぉ。大体、伊緒里ってそこまで姉貴を弄り倒すほど悪趣味じゃなかっただろーが」

 「いじる?違うわよ」

 「そうなん?」


 立ち止まり、きょとんと小首を傾げた伊緒里。てっきり日頃のウラミというかおちょくられている件について仕返しでもしようとしているのかと思ったら、どうも違うらしい。


 「私は単に、吾音にだっていいひと見つけて欲しいなあ、って思っただけ。そうすればあの騒がしいコも少しは大人しくなるんじゃないかしら」

 「そうすりゃ伊緒里の気苦労も減る、ってことか」

 「そこまでは言わないけど……ううん、そっちの方が主な理由かもね」


 私と次郎くんの邪魔もされなくなるだろうしね、と密かに吾音が次郎たちをくっつけようと画策してたことなど知らぬように、悪党じみた笑みを浮かべる伊緒里。正直似合っているとは思えないが、この真面目な娘がこんな表情を浮かべるのも吾音が相手ならでは、ということでそこには目を瞑る次郎だった。


 「つーか、伊緒里としては俺とこーすることの邪魔はされたくない?」


 代わりに、意外なことを言われ驚かされたことの報復とばかりに、本音と期待が三割方を占める問いかけなぞやってみるが。


 「そうね。私たちにちょっかいかける暇も無くなって欲しい、って思うわね」


 などと、次郎としても反応に困る返事が来るだけである。

 なので、それから後は新学期らしくこれからの話などを何の気なしにしてみたりしたのだが、その中で気になったことがあるとすれば、伊緒里が自治会長選にまた出るのかどうか、という話だった。

 鵜ノ澤姉弟と、阿方伊緒里の間に刺さった、トゲのような事実。

 それを蒸し返すようで居心地の悪さを覚えながらの会話だったが、次郎としては「今年は選挙に出るつもりはない」という伊緒里のあっけらかんとした物言いに、ホッとしたような、どこか据わりの悪いような、曖昧な気持ちが別れた後も残っていた。



   ・・・・・



 「うるせーんだよ!!少し静かにしろ色ボケヤロー!」


 …と、隣室の妹には壁越しにギャーギャー言われたが、そんなことはお構いなしに浩平は自室の床の上で、部屋の端から端まで三往復、横になって転がった。奇声を上げながら。ついさっき入手した、鵜ノ澤吾音の連絡先を登録したスマホを握りしめつつ。

 相変わらず友人連中には呆れ顔で悪食というか、趣味の特殊さを揶揄を通り越して本気で心配されているのだが、そんなことは知ったことか。当初は「あんた誰?」みたいな顔で見られていたものが、遊びに行く約束をしてもらえるところまでこぎ着けたのだ。向こうがどう思っているのかはまだ判別つかないとはいえ、手応え皆無というわけではない、と信じられもする段階に至れば、健全な高校生男子として歓喜の雄叫びの一つもあげよーというものなのだろう。


 「あっはっはーっ!よぉぉぉぉしぃ………やるぞーっ!!」


 転がることで幾分目も回り、身の内に籠もって行き場のやりようもない激情の漏れ出るに任せて大声を張り上げると、いい加減妹も諦めたのか、壁を蹴る音だけがしてそれきり。勿論、浩平は意にも介さず、仰向けで顔の上に掲げたスマホの画面に映る、吾音の連絡先をじーと見つめた。

 それだけで顔がにやけてくるというのも、これが本気の恋情だという証しなのだろう。気持ちが通じたわけでもないのに、そのことの喜びを人類全てと共有したくさえなっていると不意に照れが襲い来て、頭を冷やそうかと外に出てひとっ走りして来ようかとも思った時だった。


 「…うぉっ?!……な、なんだ?誰だ?」


 両手の中にスマホが突如鳴動し、電話の着信を知らせる。今どき珍しい、固定電話の番号だった。もちろん、心当たりなどない。


 「……んだよ。もしもし?」

 『やあ』

 「誰だ?てめー」


 寸刻前までの浮き立った気分などあっさり吹き飛ぶような、怪しげな声色。

 年齢までは分からないが、少なくとも自分と同じ、あるいは年下とも思えない。老いてしわがれた、には聞こえなかったから、青年から中年というところか、と見当をつけて浩平は横柄な口調で応じる。


 『はっはっは。あまりそうぞんざいな口を利くものではないよ。君にとって損では無い話をするのだからね』

 「そいつはどーも。損か得かはこっちで決めるから、とっとと話しな」

 『そう警戒しなさんな。いやなに、君がお熱をあげている少女のことでだね』

 「………」


 警戒度がマックスに高まる。どこの誰か知らないが、浩平自身の個人的な事情を知り果せているだけでも問題なのに、ことが敬慕する娘のことにも及ぼうというのだ。俄に渇いていく口元をひと舐めして頭の中で三つ数え、浩平はなるべく緊張を察せられぬよう心がけつつも、固いことは否定出来ない声で応じる。


 「何のことだか分かんねーんだけどな。オッサン、電話する相手間違えてねーか?」

 『おやおや。こういう時はだね、少年。多少なりとも話を合わせて情報の一つでも引き出そうとするものだよ。覚えておきたまえ……いやなに、これくらいで授業料は要らんよ。これは君より多少長く生きている人間として、当然の義務なのだからね』

 「そいつぁありがとよ。もう用事は済んだな?んじゃな、二度とかけてくんじゃねーぞ」

 『待て待て待て、慌てるナントカはもらいが少ない、と言うだろう?少しくらいは話しをさせてくれたまえよ』

 「うっぜぇなあ……で、何だよ」


 起き上がって、スマホを当てていない側の耳をほじった。

 浩平としては、このごく短い会話の間だけで、ナルシシズムに充ち満ちた大仰な物言いやらそしてやたらと勿体ぶる話の持って行き方にげっぷの出る思いがして、すぐにでも通話を切ってしまいたいところなのだが、腹立たしいことにこの男の言うことにも一理あることは認めざるを得なかったのだ。僅かでも情報を引き出すものだ、という言葉に。

 そう思わされてしまったのも、続いて男が口にした人物の名前による。


 『鵜ノ澤吾音。知っているね?』

 「………おお、まあ有名だからな、あの先輩も」

 『うむ。我が慶事のように言祝ごうというものだよ。かの女帝の高名が響き渡るのは』


 ジョテイ?何のことだ?…と、ここでは思うだけに留める。何にせよ、浩平の心の内を最近特に占めている名前が出たのでは、無視を決め込むことも出来ない。恐らくそんな浩平の内心の葛藤を見抜いての男の言葉に、些かならずムカつきつつも。


 「で、何が言いたいんだアンタは」

 『いや、なに。君が最近かの女傑に接近していると聞き及び、一つ忠告を、と思ってね。悪いことは言わない。彼女に接近するのはやめておきたまえ』

 「………で、何が言いたいんだ、アンタは」

 『…ほぉ、そこで調子を崩さない辺りはなかなかいい度胸をしている。私好みというものだよ』

 「どなた様かは知らねえけどよ、オッサンのファンはお断りしてんだ。俺に言うこと聞かせたいってんなら女の子でも連れて来いってんだ」

 『ふむ、若い娘の言うことであれば話を聞こう、というのだね。それなら……ふむ、そうだ。今君の部屋の隣にいる娘からでも話してもらおうかね?』

 「…………いま、なんつった?」


 隣の部屋の若い娘…妹のことだろうか。

 自分が鵜ノ澤吾音に想いを寄せていることを見透かしたような物言いといい、その程度の特定なら出来るということか。

 ……その上での、脅し、としか捉えられない。

 通話中の電話番号を見る。市内局番からするとそう遠くないところだ。後で番号をググってみるか、とだけ決心し、先年三郎太に向かって凄んだものとは異なる、虚勢を含まない本気の怒気が胸に沸く。


 『解釈は任せるよ。それに、だねぇ。君は知らないだろうがかの少女には敵が少なくないのでねぇ。君自身の身の安全も考えると…ま、深入りはせぬ方がよい。それだけは伝えておこうか』

 「ふん。それも授業料は不要かい?」

 『いやいや、これは衷心からの親切だ。君もかの姉弟とはいろいろあったのだろう?その身であまり関わりを持つというのも、双方に要らぬ気遣いを生んでしまうのではないのかね?ま、それだけだよ』

 「………」


 浩平の方にもう何も言うことがないと取ってか、男は最後に「妹さんにもよろしくな」と余計な一言を付け加えて、通話は終わった。

 浩平はいつの間にか握りしめていたスマホを放り投げ、隣室との間にある壁を見、それから気取らない態度で浩平と連絡先を交換していた背の低い先輩の少女の顔を思い浮かべる。

 腹の立つことは二つあった。

 妹の存在をちらつかせてこちらに言うことを聞かせようとする恫喝的な態度は勿論のこと、浩平にとっては痛いところになる、三郎太を襲った件、のこともあるのだ。

 本人は特段気にもしてない様子であるし、浩平の方もそれを踏まえた上で、というよりそんなことがあったからこそ心服もしてはいるが、吾音にそのことを責め立てられて返す言葉のある立場でもない。


 「……くそ、結局テメエ自身の責任てわけかよ」


 仮に、吾音も弟に対する暴力的な行為を寛恕していたとしても、だ。浩平がそれに甘えて、何も無かったかのように三郎太の身内に心を寄せていられるものなのだろうか。


 「出来るか、そんなみっともねえ」


 徒党を組んで一人を囲むような真似をした割に、浩平は男気とも呼べる性根が心底にはあった。

 とかく身内以外には比較的冷淡な三郎太が、浩平には目を掛けるようなところがあるのもそれが理由なのだが、当人にそんな自覚は無く、ただ見知らぬ人物に痛いところを突かれた、という悔しさが、帰宅した時の浮き立つような気分など何も無かったかのように鬱屈した感情の泥流に、浩平を押しやっているのだった。 

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