第45話・兄と妹とし、姉と弟とす

 後に伊緒里が吾音に文句を言ったことによると、「私をいい加減便利使いするのはやめなさい、このおバカ!」…だそうなのだが、ともかく段取りとしては、こうだった。


 三郎太は、自分を付け狙う…いやその実、三郎太を舐めて大物ぶってるグループのリーダーを気取る平幹靖を連れ出す。

 恐らくは、彼が仲間と称して薄っぺらい同輩意識を共有するグループが、平を救いにだかなんだかで現れる。現れなければそれはそれでいい。平が恥を掻くだけのことだ。

 そしてグループが現れたならば、三郎太はこれ以上悪い考えを起こさないようセッキョーなり成敗なりすればいい。

 まさかセッキョーした上で殲滅するとは思わなかった、と吾音は後に呆れていた。


 そして、その場に吾音が未来理を、次郎が神納典次を連れて来て、彼ら彼女らを取り巻いていた問題の、その一端の結末なりを見せれば、兄と妹の会話の取っかかりくらいは作ってやれるだろう。

 伊緒里がこの段取り関係してやったこと、といえば、一年五組の誰かが教員に訴え出た時に、その介入を遅らせることだ。学内に悪くない印象のある高等部自治会長にはうってつけの役割だった。三郎太のケツを持ってやると言った吾音は、こういう役にはむいていないのだから仕方ない。




 「おにいちゃん…」


 次郎から二歩ほど遅れて未来理の前にやってきた神納典次は、自称頭脳派の不良グループにいいようにされるような気弱な少年には一見して見えなかった。むしろ、女の子が騒ぎそうな整った顔立ちの美少年風な面持ちだ。

 だがその分、どことなく芯の弱さ、頼りなさを覚えて、吾音などは手に入れて確認した写真だけの印象で「未来理ちゃんの兄としてはちょっと任せられないわねー」と勝手なことを言っていたものだ。


 「おに、いちゃん……ごめ、ごめなさ…」

 「なぜお前が謝るのだ?」


 怯えながら謝る未来理に声をかけたのは、兄ではなく三郎太だった。


 「だっておにいちゃんは、未来理がいるからおうちにかえってこないっていってたです…」

 「そのようなふざけた事を言うのは誰だ」

 「クラスの、みんな、です…」

 「あでっ?!」


 三郎太が半ば怒りながらなのは察していただろうが、そんな三郎太に気後れもせず未来理が言うと、二人の背後から無様な悲鳴が聞こえる。多分、吾音が力なく座っている五人のうち誰かを蹴ったのだろう。


 「姉貴ー、捕虜虐待はジュネーブ条約違反だぜ」

 「うるっさいわね!どうせこいつらが未来理ちゃんのクラスの子に吹き込んだんでしょ!未来理ちゃんに辛い思いさせた報いよ!」

 「…すません」

 「…っす」


 複数の謝罪の声が吾音怒りの咆吼の後に聞こえてきたところを見ると、吾音のうがった見方は正解だったのだろう。

 年上の女子に蹴られて妙な性癖に目覚めなければいいがな、と苦笑する三郎太。まあ、自覚があって謝罪するくらいなら問題はないだろう。

 今はそれより、神納典次が妹にどう相対するか、だ。

 臆しもせずに三郎太の前に立った度胸は買うが…いや、むしろ無気力というものか、これは。


 「それで、神納典次。お前の妹はこのように言っている。兄としては、どうなのだ」

 「………スイマセン」

 「すいません、じゃないだろう貴様!どういうつもりなのだ!」

 「ひっ?!」


 平幹靖に対してさえ怒鳴り声をあげなかった三郎太が、我慢出来ずに叫んだ。

 体の大きさに比例して声の大きな三郎太だったが、普段声を荒げるようなことはない。ケンカの時でも淡々と、という態でいるのだ。

 その三郎太が、だった。

 いつの間にか、三郎太のシャツの裾を握るようにしていた未来理が、呆然とその顔を見上げている。

 兄を叱る自分が怖いのか。三郎太の胸はチクリと痛んだ。そして、そんな経験の無いことに動揺する自分がいる。

 けれど、止められはしなかった。

 自分自身が思い悩んだことと全く同じではないにせよ、未来理の兄もきっと向き合わなければならないのだから。


 「…妹が、貴様のことで気に病んでいるのだ。兄として言うべきことは無いのか。いや、お前に言いたいことがあるなら聞かせてみろ」

 「だって、未来理が悪いんです!僕はちゃんとやってるのに未来理がいるから…」

 「妹がどうしているのではない。お前自身がどうなのか、と問うている。お前は妹に気にかけられて、それを無下にするのか?そういうことだ」

 「別に頼んだわけじゃありません!」

 「兄と妹だろうがお前達は!何がどう変わろうと、親と子の関係と同様、兄妹の関係は生涯断ち切れない繋がりなのだぞ。全て受け入れて仲良くしろと押しつけるつもりはない。だが、向き合うことから逃げるな。妹は、お前を厭うているわけではないのだから、尚のことだ」

 「……僕は…未来理、お前……」


 言葉は強く、けれど静かに語った三郎太の言葉を、典次がどう捉えたのか。

 三郎太と、その傍らの妹を何度か見比べる顔に、三郎太は自分がかつて抱いた迷いのようなものを見てとる。


 生まれた時、自分には妹がいた。

 妹は家族の思惑の中で姉として育ち、彼女は時に必死に、あるいは飄々とそう振る舞ってきた。きっと、自身はそうあるのだと自分に言い聞かせて。

 いつしか、姉は自分にとって妹になった。そう聞かされた。それで何が変わったのか。妹が姉として二人の弟を庇護せんと在る姿を、大切に思うことが変わることはなかった。

 だから、守ることに違いなどないなのだと思う。

 神納典次は神納未来理の兄。そのことをあるがままに受け入れて、この兄妹は家族になる。認めることから逃げているこの少年を、神納未来理の兄とは認められない。

 けれど、未来理の願いはどうなのだ。兄がいないことを気に病み、「おにいちゃん」と呼ぶ存在を前にして、立ちすくんでいる。

 不憫だ、と思うのは傲慢なのだろうか。身内でもなく、深い関係に踏み込む覚悟もないままにそう思うのは、不遜なのだろうか。

 けれど、そのために何かをしてやりたい気持ちは、三郎太の偽らざる願いだ。

 優しい姉と、小賢しい兄と、両親と祖父母。家族を除く者から向けられてきた視線に倦み、自覚無く腐っていた自分に懐に飛び込んできたこの少女を大切にしたい、悲しまずに済むようにしてやりたいと思うのは、姉となり妹となった少女を大事にすることと相反するものではないのだろう。

 ならば。


 「……神納。いや、未来理。兄に言いたいことがあれば言ってやるがいい。俺が肩を支えてやろう」

 「え?」


 言葉通りに、三郎太は未来理を典次の前に出し、その後ろから両の肩に手をのせた。

 身を屈めて未来理の耳元に口を寄せ、声が聞こえるようにする。

 そして、三郎太のことを語る。


 「俺にもな。物わかりが悪く、何をしでかすか分からないきょうだいがいる。けれどそれで俺は楽しかった。今も楽しい。きっと、未来も楽しくなるだろう」


 認めてしまえば、あるべく願う姿など自然に見えてくるものだ。

 ならば、まず願ってみるのも悪くない。願いの形を確かめて、そこに至る道を探すことだって出来ようというものだ。


 「未来理。お前には、兄がいるのだろう?家族がいるのだろう?話してみろ。案外、迷ったことなどバカバカしくなるかもしれん」

 「……でも、未来理はおにいちゃんが、こわいです」

 「そうだな。知っても、怖いことがあるかもしれん。それは誰にも分からんよ。だが…」


 兄の姿から目を離せずにいる未来理の肩にかけられた手が、ふと軽く強く、優しくなる。未来理にはそう思えた。


 「なに、頼りないだろうが、俺が手伝おう。俺はこうして背中に立っているだけしか能の無いデクノボウかもしれん。けれど、まあ、お前のために最後まで立っているくらいのことなら、出来なくはないぞ?さっきも見ただろう?」

 「……はい。さぶろーたせんぱいは、未来理のためにたっていてくれました」

 「うむ。なら、言ってこい。待っていてやろう」

 「……うん。さぶろーた、せんぱい。未来理は、いってくる、ね」

 「おう」


 結局一度も、未来理は背中の三郎太を振り返り見上げたりはしなかった。

 未来理は自分で歩き、そしてその肩から三郎太の手が離れても歩みを止めず、兄の前に立ち、想いを、乞うた。


 「…おにいちゃん。いっしょにいたいです。おうちにかえってきてください。おねがいします」


 ぺこり。


 そんな具合に深々と頭を下げた未来理のちいさな頭を、夏の夕暮れの日差しが照らしていた。

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