第21話・世話の焼ける弟とお節介な姉の一幕

 身内に色恋沙汰であれやこれやと口を挟まれるというのが、いかに気まずいものか次郎は身を以て知った。

 理不尽なのは、自分に口を挟んだ方に全く後ろめたさが無いらしいことなのだが、もうこの際それが鵜ノ澤吾音という個性の持って産まれた度し難いズルさということで、自分を納得させる他あるまい。

 そう考えながら次郎は、重い足取りで隣の二組の教室へ向かうのだった。




 「ちーす。隣組の次の字さんじょーしましたー。うちのアホ姉…じゃねえや、会長いるっすかー」


 隣なのだから歩いて何分もかかるわけがない。

 のだが、自分の席を離れてから二十メートルも歩かない隣の部屋の出入り口に到達するまで、軽く三分かかった。というか、かけた。

 その上で呼びだす人物を間違えるどころか長姉をアホ呼ばわりするのだから、吾音の性格を知る者には命を捨てにかかっているようにも見えなくもない。が。


 「誰がアホ姉よ、不肖の弟。ちなみに伊緒里なら自治会室でお昼中…って、ちょっと次郎。あんたいくらなんでもやる気なさ過ぎじゃない?」


 標的となる人物が不在と知り、見るからにホッとしている次郎を見て苦り切った顔で弟を睨むだけに留める吾音だった。


 「そんなこと言ってもよー、あんな無茶なオーダー通るわけねーだろうが…」

 「どこが無茶だっつーの。かぁわいぃ弟の無垢な恋心(笑)を影ながら応援してあげよーっていう、優しい姉心じゃないの」

 「…もうどこからツッコんでいいのやら……。あとこんな人目のあるところでウカツなこと言わんでくれ」


 言われて自分の背中を見渡す。

 吾音自身がとかく目立つ存在である上に、次郎も姉ほどではないにしても主に女子にはお馴染みの顔である。

 その二人が揃って人目が集まらないわけがないのだった。

 ちなみに三郎太も揃うと一斉に目が逸らされて三人まとめてただの人、になるのだが二人とも流石にそれを口にしたりはしない。


 「…ま、そんなことはどーでもいいわ。ほら、いくわよ」

 「え、ちょ。姉貴、どちらへ?」

 「どちら、じゃないでしょーが。伊緒里のトコに決まってんでしょ」

 「なっ…おい、おいって…引っ張…ひぎゃぁ?!」


 次郎の後ろ襟を引っ掴んで歩き出す。


 「…あんた、首弱かったのねー。十六年姉弟やってて初めて知ったわ」


 だいぶ低い位置から引きずられてくすぐったがる次郎を後ろに見ながら、場違いな感慨に浸る吾音だった。




 「伊緒里ー、いるー?」


 自治会室でお昼、とは言ったが伊緒里が別に食堂代わりにしている、というわけではなく、自治会業務を昼休みにこなしているだけのことなのだが、吾音にしてみれば「そんなもん他の役員連中に割り振ればいーだけでしょうが」………てなものである。

 なので自治会室の引き戸を開けての第一声も、「いーおーりーちゃーん、あーそびーましょー」的なニュアンスに満ち溢れ、伊緒里には苛立ちを、役員たちには困惑を、それぞれもたらすのだった。


 「……遊びに来たんならまた来世にしてくれる?」

 「来世でまたあんたの顔拝むなんてご免こうむるわねー。ほら、お届けもの」

 「ちょまっ?!」


 ここまでずっと引きずってきた次郎を、満面の笑顔で室内に放りこむと自分はさっさと出て…。


 「ほら、次郎」

 「え?…っとお」


 行き際に、少し重みのある巾着袋を次郎に放り投げてから行く。

 受け取った次郎はそれが何かすぐに分かったようだが、さんきゅ、と言う声が届く前に姉の姿は掻き消えていた。


 「…まったく。見事な逃げ足ね」

 「本人に代わって、お褒めに預かりきょーしゅくですわ」

 「嫌味に決まってるでしょう、バカ」


 一人取り残された格好の次郎に、吐き捨てるように、というには大分優しい口調で伊緒里は文句を言う。

 しかし吾音の入室から退去まで一分足らず。その間、唖然呆然しっぱなしだった自治会役員たちは、尊重すべき会長の遠慮の無い物言いに、何故か今は生暖かい視線を注いでいた。


 「阿方、行ってきていいぞ」


 その中の、三年生と思われる男子生徒が二人に近付くと、やけににこやかな表情で告げる。


 「こちらは大丈夫だ。いつも忙しい真似をさせて悪いからな。たまには青春の真似事でもしてこい」

 「ええっ?!……って、居村先輩、私とコレはそういう関係じゃあ…」

 「コレ呼ばわりは流石にどーよ?」


 うるさい、とウンザリした顔で言われる。

 しかし、伊緒里が忙しい…と言われてもあまりピンとこない次郎だった。その割には結構管理部室に出入りしたり、まあ、付き合い良く自分と下校したりもしてたもんだが。


 「…あのさ、会長。もしかしてー…」

 「ああはいわかりました、お言葉に甘えてちょっと外してきますね、あとお願いします居村先輩じゃあ鵜ノ澤くん行きましょ」

 「っておいおいおいぃ、姉貴に引きずり回された後は会長にって俺今日どんだけ制服の襟やら袖やら伸ばされんの…」

 「うるさい、いいからついて来いっ!!」


 余計なことは喋るな。

 まるで警察に捕まったチンピラの面会に来た組の幹部のような形相で睨まれ、物言う口を精神的に封じられた次郎は、憤怒の足取りを崩さぬ伊緒里に、文字通り連行されてゆく。


   ~~~~~


 「…しかし、どういうつもりなんだ姉さん」

 「んー、似合わない真似してるって思う?」


 自治会室から出て教室に戻る道すがら、吾音は三郎太と合流した…というより、吾音が次郎を引きずっていく光景をずっと見ていた。

 それで声をかけもしなかったのは、姉には何か考えがあるのだろう、と考えてのことだったが、昨日次郎をけしかけるようなことを言ったにしても、少々深く首を挟みすぎ、なのではないだろうか。


 「今まで色恋沙汰なんぞに関わろうとするところを見たことがなかったしな。先年の…次郎と会長女史のいざこざを思っても、ちと奇異に見える」

 「そーね、ちょいと悪巧みを、ってとこかしらねー。大筋では昨日の話の通りではあるけれど…」


 偽悪的なことを言いながら顔は割に真剣で、しかし次の瞬間。


 「本当のトコ、じれったいったらありゃしなくて。次郎もさー、女の子に対してはいつも手が早いくせして、伊緒里にだけはああも慎重なんだもん。本音がどこにあるのか、バレバレだっつーのよ」


 心の底から、楽しそうな表情に変わる。

 その、豹変とも言えそうな吾音の変貌には三郎太もポカンとするしかなかったが、ふと思って問いかける。


 「…弟としては心配が一つあるのだがな。姉さん自身は、そういう話はどうなのだ?」

 「ん?わたし?……あー、そゆこと。無い無い。わたしにコナかけるよーな男いるわけないじゃん」


 そうでもないんだがなあ、とはおくびにも出さなかったが、考えてみれば姉弟でこのような話をした記憶が無い。

 今この場に居ない次郎にかこつけて、姉の立場というものを確認しておくのも悪くない、と三郎太はアゴを撫でさすりながら、続ける。


 「その、なんだ。逆に、姉さんに気になる男…とかいうものは、居ないのか?」

 「いや、居ないもなにも。わたしにはねー…」


 と、先に立って歩いてた吾音は立ち止まり、振り向いて、言う。


 「…手の掛かる弟が二人いてね。コイツらが姉離れしたらわたしも自分のこと、考えてみるわ」


 その一言に何の曇りも疑いもなく、にっこりと笑む。

 まったく。時に俺達がいないと、と思わせることもあるというのに。

 三郎太は、最早不敵とさえ言っても過言では無い吾音の笑顔を、負けじと悪党の笑みで迎え撃とうとし…。


 「さぶろーたー。あんた、やっぱ悪ぶるのは似合わないわよ。そーいうとこ、ほんっと次郎もあんたもそっくりよねー」

 「なっ…」


 しかし、何やらアイデンティティーに痛恨の一撃を食らったような心持ちになった。


 「なに心外なこと言われたみたいな顔してんの。自覚無いってのは別に悪いことじゃないわよ。わたしは次郎のことも三郎太のことも大好きだと思ってんだしね」


 そして一際、これは家族以外には向けられることのない飛びきりの笑顔。


 「…そうか。まあ、それならばいい」


 何がいいのかは分からないが、三郎太はこんな姉の笑みを向けられることに喜びを覚え、と同時にいつか姉のこの優しい眼差しを独占出来る男が現れるだろうことに、生産性の無い嫉妬を抱くのだった。

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