第7話・十重二十重に猫かぶり

 地方都市の郊外に居を構える嘉木之原学園は、その規模に応じた広大な敷地を備える。

 幼稚舎から大学部、または大学院にも相当する経営研究所まで含めると、数千の人間が常駐していることになり、それは当然のことと言えるのだったが。


 「…それにしたって無駄に広すぎない?」


 高等部校舎から経営研究所に向かう長い道程を歩きながら吾音は、同行する三郎太に、言わずもがなな愚痴をこぼすのだった。


 「だから言っただろう。学内バスを使えばいいだろう、と」

 「そうは言ってもさ、本数少なすぎるのよ。ボケーッと待ってるくらいなら歩いた方が無為な時間が少ないって思うじゃない」

 「それでかえって時間がかかっているだけに思えるのだがな、姉さん」

 「こまけーこたぁいいのよ。手持ち無沙汰の三十分より、ただ歩いてるだけの一時間の方がこの際人生には大事だわ」


 そんなものかね、と合理主義的な三郎太としては思う。

 とかくこの姉は、無駄なことが好き…いや、無為は嫌っても無駄なことなど無い、と考えているのだろう。

 そういった考え方は三郎太にとってはうらやましいものと思え、またこの姉に敵わないと考えさせられる所以になっているともいえる。


 「ん?どしたー、三の字」


 余人が見たら特に変化も覚えないだろう表情にも、何かしら困惑を見て取ったのだろう、吾音は二十センチ以上背の高い三郎太を見上げて訊く。


 「いや。姉さんのポジティブな所は羨ましいな、と思っただけだ」

 「………んふふ、三郎太は素直ないい子だね」


 そこで次郎と比べたりはしない辺りがまたこの姉の優しいところでもある。

 仏頂面に喜色を微かに浮かべて、三郎太は忠実で優秀な護衛の任を果たすべく、上機嫌な吾音の背中を追っていく。


   ~~~~~


 経営研究所はいくつかの棟に分かれているが、目的の研究二課が入っている建物がどれかは分かっている。何かと因縁深い部課ではあり、喜び勇んで訪れるような場所ではないにせよ、居室くらいは把握して然るべき、という心構えによるものだ。


 「…そろそろ殴り込みかけてもいい頃合いかしらねー」

 「姉さん、関係者に聞こえそうな場所で物騒なことを言わないでもらえないか」


 まあ吾音が言ってる分にはいいところ通りすがりの白衣姿に顔をしかめさせるくらいのものだ。三郎太が言えば警備員が出張ってくるだろうが。

 いかにも金のかかっていそうな、天井の高いエントランスホールに入る。

 正面にあるのは今時珍しく、係員の詰めている受付カウンター。

 席にいる女性は比較的若く、化粧っ気も少ないのでやはり研究員なのか、それとも研究所全体がそういった気風なのか。

 吾音は数十秒前に物騒な述懐をしたことなどおくびにも出さない愛想の良さでそのカウンターに歩み寄り、子供が何の用なのかしら、と首をかしげつつも笑顔を絶やさないその女性にニッコリと問いかける。


 「…えっと、高等部の鵜ノ澤と申します。研究二課の佐方先生にお会いしたいんですけど。お願いできますか?」


 『先生』ね…と苦笑を禁じ得ない三郎太だったが、そこは生来の仏頂面。気配で察した吾音が踵で脛を小突く以外は何事も無く、受付の女性は場所にそぐわない来客を手順通りに受け付ける。


 「はい、アポイントメント…お約束はありますか?」

 「…えっ?それが無いとお会いできないんですか?」


 動揺と不安を露わにした吾音の反応に、カウンターの中の女性は可愛い子供のおつかいを見守るような柔和さで微笑む。


 「はい。ですが一応ご来意をお聞かせ下さいますか?佐方に問い合わせてお通しして構わないか確認してみます」


 吾音はそれを聞くと、わぁ良かった、と殊更に満面の笑顔になる。もちろん、両手を胸に当てるのも忘れない。

 それを黙って見つめる三郎太は相変わらずの無表情だった。存在感を示して女性に警戒心を抱かせてはなるまい、との判断だ。

 …吾音が次郎ではなく三郎太を同行させたのはこの辺の空気の読め方に因る。この場にいるのが次郎であったならば、間違いなく吾音の演技にたまらず吹き出すくらいはしただろうからだ。


 「えっと、それじゃあ学監管理の鵜ノ澤吾音です、昨日来てもらったのに不在で失礼しました、って言伝えてもらうと助かります」

 「はい、承知しました」


 そう答えると内線電話で連絡を取り始めた女性を見つめる吾音の口元が、いくらか邪気を帯びて歪むのを三郎太は見逃さなかった。言葉にすれば「チョロいわ」とでもいうところなのだろう。


 「……はい、ではそのようにお伝えします。はい…」


 連絡はすぐに済んだのだろう。だが女性の表情は些か不審を伴ったものであり、視線が無邪気な女子高生を見るものから、その挙動を些細なものまで見逃すまいとする門番のものになる。


 「佐方からお通しするように、と知らせがありました。六階の研修室でお待ちしている、とのことです」

 「…わぁ、ありがとうございます!えっと、どう行けばいいんでしょうか?」


 一瞬間を置きはしたが、吾音は願いがかなって嬉しい、という態を崩さず、今度は笑顔もどこか表面的なものになった女性に道順を教えてもらうと、礼儀正しく何度もお辞儀をしながら、三郎太と並んでその場を後にした。




 教えられたエレベーターに乗り込む。


 「…姉さん」

 「なぁに?」


 声色は朗らかに吾音は答える。だが目は笑っておらず、目配せのみでカゴ室の天井隅にある半球状のプラスチックカバーを示してみせた。


 (監視カメラ、か…)


 吾音の様子からして盗聴マイクも警戒しているのだろう。素に戻らずにいる姉に調子を合わせて、三郎太は疲れたようにぼやいてみせる。


 「…長くかかりそうか?」

 「三郎太、失礼のないようにしてよね。せっかく通してもらったんだから」

 「分かった」


 こればかりは本心から、三郎太はため息をつく。

 場所柄と相手の立場を思えば荒事にはなるまいが、吾音だけは無事にここから出さねばならない。

 今頃部室でダーツ遊びでもやっているだろう次郎のことを思うに、代わっておけばよかったと、思わないでもない三郎太だった。

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