第5話・あくやくとーじょー

 「…それで中に誰がいたのだ?」

 「それ聞くの二度目な」


 人心地ついたのは学食前の自販機コーナーにたどり着いてからだった。

 紙コップのジュースを一息であおり、ゴミ箱にカップを投げ捨てると、次郎は周囲をはばかるように一眺めし、そしてその様をじっと見ていた三郎太に胡乱な視線を投げかけた。


 「…で、おめーは何してんだよ」

 「姉さんの手伝いがあっさり終わったのでな。次郎の監視に行けと言われた」

 「監視て。そこまで信用無いんか俺は」

 「能力の問題ではなかろう。会長女史とのいざこざを思えば当然の配慮だと思うが」


 あっさりと言う三郎太に、次郎は「やってられんね」と頭を搔く。単に能力を信用されていないよりもキツく思えてしまう。


 「姉貴は?」

 「嬉々として部会に向かったぞ。いじり倒す相手が見つかって嬉しい、という態だったな、あれは」


 そいつは結構なこった、と口とは裏腹に吾音の標的になった相手に同情を禁じ得ない。


 「んじゃ戻るか。その話だと姉貴もすぐには戻らんだろーしな」

 「うむ」


 手に持っていたジャンパーを羽織る。

 部室に戻る道すがらは、出かけるときとは逆に誰にも声をかけられることはなかった。

 原因はもちろん、後ろを歩いている三郎太だ。その存在感だけでまるで自分が舎弟を連れて歩いている若頭のように見られているように思えて、この三つ子の弟がえらく不憫に思える次郎なのだった。

 (こう見えて案外人懐っこいヤツなんだがなあ)

 三つ子といっても、多卵性だかなんだかで、顔面容姿については正反対のように生まれついた三郎太を、長姉の吾音がやたらと可愛がる気持ちも分からないではなかった。

 といって自分が姉に可愛がられていない、という自覚も無い。どちらかと言えば相撲部屋で言うところの可愛がり方のようにも、時に思えるのだったが。


 「…って、鍵かけてねーじゃん。不用心だな、三太夫」

 「三太夫ではない。三郎太だ。…いや、締めて出たはずだが」

 「あん?いや現にこーして鍵開けなくても開く………どちらさん?」


 鍵のかかっていなかった部室の扉を開いて入ったその先には、部屋の中央部にある長机を固めたテーブル席の中央でパイプ椅子に腰掛ける、来客の姿があった。

 後ろを振り返り、家族にしか分からない困惑した表情の三郎太を見て、また厄介ごとが向こうから押しかけてきやがったな、と嘆息する次郎だった。


   ~~~~~


 「噂の『燃える赤』にお目にかかれないのは少々残念だがね」


 そう前置きして男は名乗った。


 「経営研究所の佐方だ」


 そんだけかい、と内心で毒づきながら名刺を受け取る。

 研究二課主任、佐方同徳さかたどうとく、とある。聞いた名前ではないが、研究二課なら嫌でも知っている。

 次郎は後ろの三郎太にも名刺を回すと、その眉がぴくりと跳ね上がる。

 姉貴のいない時にクソ面倒な、と思うと同時に、いなくて良かったと心の底から思うのであった。相手が二課研とあらば間違いなくケンカ腰の対話にしかならない、というかそもそも対話にまずなるまい。


 経営研究所、とは嘉木之原学園において学究機関として最上位に位置するが、組織の内部といえば高等部以下には馴染みのあるものではない。

 だが、研究二課、となると話が別になる。その主立った研究内容が教育に及ぶため、どうしても学内の下位機関との関わりが深くなるためだ。

 そして二課研と一部で言い慣わされるこの部署のやっかいなのは、その性質上高等部以下に対する介入の度合いが、当事者からすると過剰な程に深刻になる点だった。

 自治会が警戒する経研のヒモ、とはこの二課研の影響が強い-例えばその研究に組するためにその意を汲んで、学内の自治組織に関与する、といった協力活動を行う-ことを指す。


 ただし二課研にしてみれば、あくまでも研究対象としてしか見ていない高等部以下の自治といったところで、「子供が何を大きな事を言っているのか」程度の見方が支配的なのが実態で、付け加えるならば二課研の特徴として、外部の研究者の比率が高いこともその風潮を助長している。

 つまるところ、自治の名の下に関与を嫌う下位機関と、子供と舐めて勝手をさせたがらない上位機関、という救いのない対立に陥っているのが現状なのであった。


 「…んで、二課研の人が俺らみたいな自治会の使い走りに何の用スかね」


 こっちゃ話すことなんかねーからとっとと帰れ、という空気を一切隠さない口調で次郎が話を切り出す。

 当然茶も出さない上に、次郎も三郎太も立ったままでいて、一人鷹揚に応じている佐方という男だけが座っているという図だった。


 「そう卑下したものでもあるまい。研究所にもキミらの噂は届いているよ。部長の鵜ノ澤吾音を筆頭に、少数精鋭の部隊が自治会の面目を潰す程の活躍をしている、とね。私個人としても、その活動内容には興味を持っているのだよ」

 「あー、どうも。お褒めに預かり恐悦至極に存じます。で、何の用かと聞いてるんスけど」


 佐方はいかにも研究以外には興味ありません、という様相の一切飾り気の無いくたびれたスーツ姿で、ネクタイすらしていない。

 髪もボサボサ、流石に風呂くらいは入っているだろうが、デートしたい相手では全くないだろうな、と今し方わかれた伊緒里のしかめっ面を思い浮かべながら考える次郎だった。


 「…あまり歓迎されていないのは理解しているがね。大人にあまりそう突っ張らない方がいい。特にこの学校にいるうちはね」


 ならあんたは高校生の時分にゃあさぞかし従順な学生だったんだろうな、と言い返しかけて次郎はやめた。当たり前だろう?と不思議そうな顔で見られたらかえってこっちが恥をかく。


 「ご高説どーもですよ。けどそういうのは相手を選んで言った方がいいッスけどね」

 「ふん、それこそ余計なお世話というものだ。まあいい、どちらにしても長居するような時間はない」


 そう嘯いて佐方は、一枚の写真を懐から出し、机の上に置く。


 「…………手に取って見たらどうかね」


 それを一瞥もせず、相変わらず自分の方を胡散臭そうに見ている次郎に苛立ったように佐方は言う。

 次郎にしてみれば、こうも勿体ぶった物言いにまともに付き合う気にもなれず相手の思った通りには振る舞わなかっただけなのだが、存外効果的ではあったようだ。

 しかし、促されてプリントされた写真を、手に取って表情が変わらなかったのはいっそ自分をほめてやってもいいくらいだった。


 「……ほれ」


 そのまま三郎太に手渡すと、そこに写っていたのが誰なのか分からない風の三郎太の顔だけを確認する。


 「見ましたよ」

 「…それだけかね?」

 「それだけですがね」


 写真の人物にある心当たりからの動揺と、つまらなそうな顔をさせてやったという自身への喝采のどちらも呑み込んで無表情を貫く次郎。

 一方三郎太は、何かしら次郎には含むところがあるのだろうと踏んでか、口出しもせず写真をテーブルの上に置いていた。


 「…どうも少し君たちを買いかぶっていたように思えるのだが」

 「俺らをどう評価しようがそちらの勝手ですがね。あんまり他人が自分の思う通りに動くなどと思わない方がいーすよ。で、このヒトがどうかしたんですかね」


 ふん、と鼻白んだ様子の佐方。


 「……こちらの手の内を一方的に開示する気にはならんな。この男のことを君らがどう見るかも分からんのでは話をする価値もない。これで失礼させてもらうよ」


 勝手にやってきといて随分な言い草だ、と次郎は三郎太から受け取った佐方の名刺を突っ返す。それが大分失礼な行為だとは知っているが、まあそれくらいは意趣返ししても構うまい。

 佐方は机に置かれた写真を懐にしまうと、捨て台詞の一つも口にするような可愛げさも見せずにただ一言、「邪魔したな」とだけ言って部室を出て行った。

 こちらに内心を測らせるほどの態度が最後まで無かった辺りは、歓迎されざる客としては見事だったと、一応その程度には評価する次郎だった。


 「………さて、帰るとするかね」

 「姉さんが戻ってくるまで待つのではないか?荷物持ちを任されていたのだろう」

 「あー、そういやそうか。しゃーないねえ、あの鉄砲玉娘は。いつになったら戻ってくんだ?」

 「言っていたことをそのまま伝えようか?」

 「それは勘弁。こっちに鉄砲玉をぶち込まれるわ」

 「…それも重ねて伝えるとしよう」

 「三太夫、兄に対する敬愛の念というものは無いのか?」

 「もちろんあるさ。姉さんに次ぐものではあるがな。長幼の順は正しく守らねばなるまい。それと三太夫ではない。三郎太だ」

 「家庭内の平穏もついでに守ってくれると助かるんだがな…」

 「余計な口を利かなければいいだけの話だろうが」

 「ま、その辺は性格ってことで」


 会話しながら次郎は扉の方を右手の親指で指し示し、三郎太はチラとそちらを見て頷いた。

 それを折に、次郎ははぁ~と肩を下ろし、三郎太はスマホを操作して吾音に現況の連絡を開始する。

 よもや、とは思ったがとりあえずすぐそこで今し方の来客が聞き耳を立てている、などということは無さそうだった。


 「……また面倒くせーことになりそうでやんの」

 「先程の写真のことか?心当たりがあるようだったが」


 スマホを弄りながらの三郎太の問いは、ひどく次郎を疲れさせるもののようであり、結局口にしたのはただ、


 「…二度説明すんのがうざってぇ。家に帰ってからにしようぜ」

 という、自分本位のもののみであった。

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