第3話・わるだくみ、開始

 「次郎、おかわり」

 「へいへいっと。砂糖は?」

 「二つ」


 吾音からマグカップを受け取ると、次郎は自分のデスクから立って、部屋の隅の給湯室に向かう。視聴覚室に給湯室、という似合わない設備は当然、吾音がこの部屋を接収すると同時に作らせたものだった。


 「…あのさー、姉貴。皖子ちゃんのことだけどー」

 「あん?まだその話するの?あんたにいいことなんか一つも無いってのに」

 給湯室から聞こえてくる次郎の声に、吾音はウンザリしたように応じる。

 三郎太は今度は我関せず、とばかりに今時珍しいゲームブックを手にしている。

 「いや、それはもう終わってっからいいんだけど。あんさ、そのー、二股の件以外に危ないネタあった?」

 「危ないってかねー、経研のヒモ付いてたから伊緒里にチクっといたけど」


 うげぇ…という声が給湯室から聞こえてくる。


 「次郎、あんたさー。体よく利用されるとこだったんだからね。あんたは手が早いくせに女の子疑うってことしないんだから、気をつけなさいよ」

 「あー、分かった分かった。自治会に妙な借り作るような真似させちまって悪かったって」


 チクったことで相殺はされているだろうが、一応次郎も謝っておく。この辺りの機微が、家族内をなんとなく円満に納めておく空気というものだった。

 それきり二人とも何も言わず、三郎太も押し黙ったままゲームブックから目を離さないので、次郎が紅茶を持ってくるまで静かなものだ。


 「ほれ、お待たせ」

 「ん」


 電気ポットを再沸騰にしてから来たためか、紅茶一杯としては時間がかかって次郎が戻って来る。


 「三郎太よ、そっちゃどーだい」

 「…14へ行け」

 「あちゃー。それクソだよな」


 吾音はマグカップを受け取って二人を見るが、自分に分からないことで通じていたので何も言わず、添えられていたスティックシュガーの封を二本まとめて切って入れる。

 自分の分は冷蔵庫に入れてあるペットボトルのお茶で済ます次郎は、ぬるくなったグラスを一息であおると、猫舌に苦しんでいる吾音に向かって声をかけた。


 「…んで、話としちゃあどうだったんだよ、姉貴」

 「いほひのはなひ?…ん、伊緒里の話?まーあいつも融通きかねーっつーか堅物っつーか…」


 吾音は舌を出してひーはー冷ましてから、視聴覚室の一角にパーティションで仕切られた執務スペースを見渡す。

 ここには机が三つ。それも事務用のスチール製のものではなく、なんだか古めかしい木製の、仰々しい大きさのもの。

 つい先刻自治会長の机を揶揄した身で使用するのはどうなのかと、心温まらない会話を共にした相手が見れば文句をつけそうなものだったが、あいにくと自治会長はこの部屋を訪れたことがなかった。嫌いな相手の顔をわざわざ見に来る者もいるまい、と勝手な計算を繰り広げる吾音らしい所業である。


 「いちおーはさ、途中経過は報告して役員候補の中のあやしーヤツを上げておいたワケよ。それがまあ、あの石頭め…冤罪で有望な役員候補の前途を閉ざすわけにいかないから、再度詳細な調査をするように、だとさ。だったら自分らでやれっつーのよ!」


 雄叫びだか雌叫びだかを上げる吾音を前に、次郎はやや冷や汗をかきながら、三郎太は平然と、それぞれの姉が大股開きで憤慨する様子を見ていた。

 …実のところ、どうせ紐付きだと後でバレるくらいなら、問題無い者を問題ありで処理しといた方がまだマシだろうと三郎太が提案し、次郎も大いに賛成した結果だったのだが。

 その内容で整えた体裁を吾音が持っていった時には、これで時間稼ぎくらいなら出来るかね、と思っていたのだが、まさかその場で突っ返されるとは思っていなかったわけだ。


 「あのネタは効果無かったわけ?」

 「あー、あれ。伊緒里のクソ真面目っぷりを正直舐めてたわ。自分の問題を自治会の連中に負わせるよーな真似したくないんだってさ」

 「へぇ…」


 次郎は我知らず、感心の唸りを洩らす。

 三郎太も本から目を上げて吾音をチラと見たところをみると、何かしら感じ入るところがあったのだろう。



 学監管理部は、阿方伊緒里が言っていたような高等部自治会の外郭団体、というものとは若干色合いが異なる。

 正確には、自治会側の認識としてはその通りなのだが、実態としては鵜ノ澤姉弟が入学早々に、いかに自分達が快適に高校生活を送れるか、という命題のもと好き勝手したい場所を確保するためにでっち上げた団体である。

 その時に組織としての立ち位置を適当に確保するため、自治会の汚れ仕事を請け負いまっせー…ってなことを言ったがための現状なので、有り体に言えば今の吾音の愚痴なぞ自業自得なのであった。

 加えて、去年一年で自治会が期待していた以上の成果をなまじっか残してしまったものだから、いいように使われるようになってしまい、自縄自縛的な状況に陥っている三人だ。


 …もっとも、リーダーの吾音は何やら四苦八苦してはいるものの、次郎はとにかく学内の様々な生徒と接触する機会が多い今をしっかり楽しんでいる。


 「…ま、姉さんが危なっかしい真似をせんのであれば、俺としては言うことはないさ」


 三郎太は吾音のナイト役を以て任じているので、荒事が起こるまでは黙しているというのが、学監管理部の今なのだった。


 「三の字、姉の要領の良さを甘く見ないことね。自分の処理能力を超えそーならさっさと伊緒里に丸投げしとくわよ。まあ見ててちょうだい」


 三郎太がもう一度、本から目を上げて吾音を見る。

 別に吾音のわけのわからない行動力を信用してないわけではないのだが、それが要領の良さと言えるかどうかはまた微妙なところで、そこのところを危惧しての視線だった。


 「…ん?」

 「いや。それでこれからどうするつもりだ?」


 そんな内心を察せられるのを避けるためか、三郎太は手にしたゲームブックを机に置き、聞く。


 「そうね…正直言ってこんな間諜みたいな仕事飽きたし。次郎、あんた何か伊緒里のネタ他に無いか掴んでおきなさい。もーちょい弱みの一つ二つ掴んでおけば、他の時にも使えるだろうし」

 「げー…また仕事増やすのか?」

 「自治会の押しつけの方はとりあえずいいわよ。わたしがやっとく。三郎太、あんたどーせヒマしてんでしょ?わたしの方を手伝って」

 「分かった」


 フレームレスのメガネを外して三郎太が頷く。

 無表情、三白眼、細面の狂気すら印象づける容貌を和らげるためのダテ眼鏡なので外すと凶暴さが余計に増すが、姉弟は慣れたものだ。

 そしてノートPCを開いて吾音の指示を待つ体勢になった三郎太を置き、次郎は「んじゃ行ってくらぁ」と一人立ち上がって、ブースの間から出て行く。


 「次郎。今日はとーさんもかーさんも帰らないし、わたしが晩ご飯作るからね」

 「ん。たまには肉食いてーな」

 「はいはい。帰りの買い物は手伝いなさいな」


 何かと凝り性の吾音は、作る方にかけては母親をも凌ぐのでその腕前に疑いは挟まず、次郎は管理部のスタッフジャンパーを羽織って出て行った。


 「…じゃ、始めましょか。三郎太、まず文化部会の方だけど…」


 その背中から、やることを始めてしまえば何ごとにも手を抜かない吾音の声がしていた。

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