エルフの森

 は肩の力を抜いて、深々とため息をついた。

 弓の構えを解いて、木の上から飛び降りる。


 この死んでいる神父をどうしようか、考える。

 立場的には、エルフ少年は境界の番人なわけだから、仕事の一環で殺しちゃったことにすればいいのだ。

 この神父が強引に入って来ようとしたんです、とか適当なこと言っておけばなんとかなるだろう。


 うんうん、と一人で頷いていると、後ろから声がかかった。


「おい、マズロー。どうしたのじゃ?」


 現れたのは、エルフの少女だ。


 うっわ。俺は思わず若干のけぞった。

 エルフってのは大抵が美形だが、この少女はエルフの中でもさらに別格だ。


 銀色に輝く艶のある長髪を、頭頂部でまとめている。いわゆるポニーテールというやつだ。

 やや幼さが残るが、少女から女性に移り変わる危うい魅力がある。筆舌に尽くしがたい美貌だ。


 年の頃でいえば、成人はしていないだろう、というくらいしかわからない。

 日本人的感覚が抜けないので、この世界の人たちの年齢を当てるのは難しいのだ。とくに人間以外の種族は難しい。


 さて、どうしよう。

 どうやって言い訳をしようかな……そもそも、このエルフ少年マズローはエルフ美少女とどういう関係なんだろうか。

 それを探るところから始めなければ。

 リーナになったときのダンみたいに、幼馴染とかだったら、大抵すぐ変だとばれてしまう。


「マズロー……ではないな! 貴様、何者じゃ!?」


 とか考えてる間に速攻ばれました。

 え、なに!? 本人じゃないってバレるの、これが最速記録じゃないか!?


 一目で俺がエルフの少年マズローではないことに気がついたらしいエルフ美少女は、弓をつがえて殺意を向けてくる。


「お、ええ? なんでわかった?」

「マズローの姿形で儂を惑わそうというのじゃな、この、汚らわしい魔物めが!」


 限界まで引き絞られた弓は、今に矢が放たれそうだ。

 二連続でエルフの弓矢で殺されるのはさすがに勘弁願いたいぞ!


 殺される間際になって思いついた言い訳は、こういう感じだった。


「俺を殺してもマズローは戻ってこないぞ!」


 我ながら最低最悪。


「なんじゃと!? マズローをどこにやったのじゃ!」

「まあまあ、まずは話し合いといこうじゃないか。話も聞かずに俺を殺すと、マズローがどこに行ったかさえわからないぞ」


 言い訳というよりは、ほぼ脅しである。


 まあ、実のところ俺を殺そうが生かそうが、もう二度とエルフ少年は戻ってこない。

 俺を殺した時点で、彼はもう死んでいるのだ。悲しいけど。


 俺の脅しは効果てきめんで、エルフの少女は悔しそうに弓を収めた。

 敵意を向けてくるものの殺そうとはしてこない。


 よ、よかった。エルフ少年マズローがこのエルフ美少女に嫌われてなくて、本当によかった。



 そんなこんなで、俺はエルフ美少女に睨まれつつも、エルフの村に入ることができたのだった。







 それからしばらく、俺はエルフの少年マズローとして生活することになった。

 うん、なんだかんだでたぶん、3ヶ月くらいたった。


 のんびりエルフライフ、悪くないね。

 春から夏に季節が変わり始めるくらいで、かなり暖かくなってきた。

 いやー、このくらいの気温はとっても過ごしやすくていいよな。


 周りは美形ばっかなんで目の保養だし、仕事は周囲の警戒だけだし、飯は素朴であんまり凝った料理ではないが、腹一杯食べれるし。

 この生活、かなりいいぞ。


 そうそう、エルフ美少女はテアというらしい。

 聞いたら増悪のこもった声で教えてくれた。


 美人の怒った顔ってめちゃくちゃ怖いのな。

 めげずによく話しかけているんだが、相変わらず殺気を向けられる。


 テアの話によると、俺がマズローではないとすぐにわかったのは、「魂」が違うかららしい。

 なんだそのスピリチュアル、と思ったが、実際わかってるんだから信じるしかないだろう。


 俺の魂は色が汚く、形がいびつだという。

 魂が不細工って報われねえよなぁ!

 だから「汚らわしい魔物め!」とかひどい言葉を投げつけられたみたいだ。


 魂なんて見れるんだったら村に住んでるエルフにも、俺がマズローじゃないってばれちゃうだろと思ったが、そうはならなかった。

 どうやら魂を見る、というのはテオだけがもつ能力らしい。

 たしかに、今まであったきたどんなエルフにも、そんなことはできなかった。


 この世界に生きる全員がその能力持ってりゃ、俺は誰に殺されようが、ヒイロ・マツオカとして生きていけたかもしれないのになあ。

 残念だ、本当に。


「……おい」


 今日も今日とて境界の番人として、エルフの村に近づく不届きものがいないか見張っていると、テアに話しかけられた。

 テアはいつも通り眉間にしわを寄せてしかめっ面だ。それでも美人なんだからすごいよな。


「なにか用か?」

「なにか用か、ではない。話があるのじゃ。いい加減降りてこんか」


 木の枝から飛び降りて、テアの隣に立つ。

 テアは2歩ほど後ろに下がり、俺から距離をとって木に寄りかかった。


 未だに警戒を解いてもらえてない。

 彼女にとって俺は、マズローの体を乗っ取った魔物だからしょうがないだろう。

 その認識大体間違ってないし。


「貴様がこの村に潜入してから、我はずっと見張ってきた」

「そうだな……俺がこの村の文化に戸惑っていると、すぐ教えてくれたもんな」

「ばっ、違うわボケ! お主が勝手に聞いてくるからであろう」


 でも聞いたら必ず答えてくれるんだよなあ。根はとってもいい子だ。


「儂はお主が妙なことをしないかと、見張っていたのじゃ」


 生暖かい目で見ていると、テアはいつもより殺気3割減くらいで睨み返してきた。

 彼女の長所は根がいいところと、殺気にキレがあるところである。

 その目で見られるとマジで鳥肌が立つ。


「聞きたいのは、お主の目的じゃ。お主を見ていても、ようわからん。何が目的で、この村に来た?」

「目的?」

「村を攻撃する準備を整えるでもない。権力を乗っ取ろうとするわけでもない。一体、何がしたいのじゃ」


 何がしたい……って、ずいぶんとまた、哲学的な質問だよな。


「うーん、特に何も?」

「特に何も!?」


 俺がこの村に来て、マズローになってしまったのは不可効力だ。


 普通に生きてたら普通に殺されたんで、もう一度普通に生きようと努力している、みたいな。

 何がしたいって言われたら、生きたいとしか答えられないんだよな。


 いや、むしろ、の方が正解か。


「貴様、大した目的もなくマズローを誘拐し、姿を借りてここにいるというのか!?」

「誘拐?」


 あ、テアは俺がマズローを誘拐したと思っているのか。

 魂がみえるから、俺がマズローではないということはわかるが、俺が使っているこの体が、たしかにマズロー本人のものだということはわからないんだな。


 本当のことを言ったほうがいいんだろうか。

 友達が死んだ、っていうのを知らないままに過ごすって、そんな酷なことをさせるのも、心苦しいよなあ。

 ただ一つ、確認するべきことができた。


「なあ、君って魂見れるだろう。もしかして、言ってることが嘘か本当かもわかったりしないかい」

「噓を吐けば魂が濁る。真実かどうかは見ればわかる……だからこそわからぬのだ」


 何がわからぬのだお嬢さん、言ってみなさい。


「お主はここに来てから嘘をほとんどついておらぬ。ならばなぜ、かように魂が歪で、濁っておるのか」


 ——本当ならすぐに言うべきことか。

 せっかく彼女から聞いてくれたのだし、俺は正直に答えることにした。


「君にはお世話になったし、俺は本当のことを言おうと思う。信じるか信じないかは君に任せる」

「前置きはいらぬ。とっとと話すが良い」


 俺はテアに全てを話した。


 俺にかかっている呪いのこと。マズローが俺を殺したこと。

 そのせいで、俺がマズローを殺す成りかわることになったこと。


 テアは全てを静かに聞いていた。

 話が終わった今でも、静寂を保っている。俺は口を閉じて、腕を組んで宙を睨んでいた。



 すっげえ気まずいんだけど、俺はどうすればいい?



 マズローが亡くなって残念だ、とか言うのもおかしいよな。

 不可抗力だけど俺が殺したんだし、そもそも今はマズローって俺だし。


 マズロー(体)からマズロー(魂)が死んだことを伝えられるって、そんな状況、俺だったら絶対受け入れられないね。

 発狂して狩人に狩られてるわ。


「そうか」


 俺にとっては永劫かと思えるほどの静寂を経て、テアはぽつりと呟いた。


「マズローは死んだか……」


 テアの頬を伝って、涙が一粒こぼれ落ちる。


 俺はぎょっとした。

 今まで、テアの敵意や警戒に満ちた顔しか見てきていなかったからだ。

 美人って怒った顔だけじゃなく、泣いた顔も心臓に悪いんだな!?


 本格的にどうしていいやらわからなくなって、俺は手をわきわきと動かした。


 いまめっちゃ切腹したい。すいませんでしたぁ! って言いながら腹かっさばいて詫びたい。

 ああー、美人を悲しませるなんてうおー! 全世界に申し訳ねえ!


「殺されたものの体に乗り移る呪い、といったな。あの場で死んでいた神父、あれがマズローの死体ということになるのか?」

「あー、どうなんだろう」


 呪いは誰かが俺を殺すと発動する。


 俺は俺を殺した誰かの体に入り、残るのはさっきまで俺だった死体だけだ。

 俺を殺した奴が、殺された俺の体に入るのかどうか、確かめる術がいままでなかった。


「死体と喋ったことはないから、わからんな」

「そうか。もしそうなら、あの死体を葬ってやらねばならんと思ったのだがの……」


 そういえば、あの神父の死体はずっと放置されているのだったか。

 申し訳ない気もするが、しかしリーナちゃんをあっさり殺したわけだし、そのくらいの報いを受けても、仕方ないような気もする。

 まあ、俺は体の盗人のようなものだし、何もいう権利はないか。


 とりあえず、村に入ろうとした不届きものの死体は放置するという、エルフの掟に従っただけだ。

 個人的な恨みのためにそうしたわけじゃない。


 俺と話すテアの声色に、先程までの増悪は見られない。あるのは悲しみだけだ。


 ああ、これだったら、「のうのうとしていられるのもいまだけじゃぞ。魔物め、そのうちむごたらしく殺してやる……」とか言っていたさっきまでのテアのほうが、マシだったぞ!

 罪悪感がすげぇえええもういっそ俺を殺してくれー!


「んで、テアは俺をどうする? 殺すか?」

「そんな意味のないことはしとうない。お主を殺しても、マズローは戻ってこないのじゃからな」

「その通りだが、そこまで冷静に考えられるのもすごいな」

「親友が死んだというに、大して悲しまない冷血漢とでもいいたいのかの?」


 テアがマズローのために泣いているのを見てるし、そういうわけじゃない。

 ただ、何度か同じような状況で、こうして呪いのことを話した時には、話を信じる信じないに関わらず、みんな俺を殺したものだから、少し意外だっただけだ。


 やりきれないのは、殺されても俺は死ねないということだ。


「いや……テアとはもっと別の形で会いたかったなと思ったよ」

「儂は、お前とは会いとうなかった」


 涙を拭うと、テアはまっすぐに俺を見た。

 そこには増悪も殺意もない。


「お主の名は、なんというのじゃったか」

「ヒイロ・マツオカだ」

「ヒイロ。珍しい響きじゃな」

「異世界のネーミングセンスだからだろ」


 本当に久しぶりに、きちんと人と知り合えた気がする。

 リーナのふりをして村で生活したり、マズローのふりをしてエルフの村で生活したりと、俺は人の真似をしてばかりだった。


 そもそもヒイロ、と自分の名前を名乗ったのは、いつぶりだろうか。

 妙に感動していると、エルフの鋭い聴覚が、ガザガザ動く茂みの音と、金属の擦れる音を捉える。


ほとんど反射的に、俺はテアの腕を掴んで引っ張った。


「何を!?」


 俺はテアと立ち位置を反転させる。


 それはさながら舞踏会でのワンシーンにみえたかもしれないな、なんつって。


 戸惑いの声をあげていたテアだったが、俺がそうしてようやく目に入ったのだろう。


 迫ってきているのは、剣を持った男だ。

 それも、俺にとっては非常に慣れた感情をびしばしと向けてくる。


 その感情は、殺意という名が付いていた。


「ヒイロッ!?」


 かばうようにテオを抱きしめて、俺は目をつむった。

 テアの叫び声をBGMに、俺は背後から男の剣を身に受けることになる。


 見知らぬ男に袈裟斬りにされて、エルフの少年マズローは死んだ。

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