#04

「周吾郎、なんてことを言うんだ」

 そう答えた文太は、目を見開いて怒っているように見えた。

 実際に怒っているのかもしれない。他人の表情を読み取るのが、周吾郎はどうも苦手だった。不思議そうに首を傾げる春瑚の横で、文太は玄関に立つ周吾郎を見つめながら、言葉を続ける。

「間違いなく、ここは俺の……っていうと変だが、御子柴家の一室だ。こうして鍵を開けて二人をもてなしている以上は疑いようがないだろう。それを俺の家じゃないなんて……なんというか、周吾郎らしくないぞ」

「もちろん最初は露ほども疑っていなかったよ。ボロボロの橘家と比べて良いマンションに住んでいるなあ、いいなあ御子柴家は、と感じたのは事実だ。部屋に入ってしばらくの間も不審に思うことはなかった。ただ、僕は人見知りなところがあるから、他人の家に行くとどうしても緊張してしまう。だから失礼を承知で部屋の様子を観察させてもらっていた」

 どこから話そうかな――そんなことを小声で呟いてから、周吾郎は話しだす。

「そもそも文太が家に来ないかと言った時点で、ちょっとだけ珍しいなと思ってた。昔の話にはなるけど、文太は遊ぶなら外でというタイプだったし、お菓子が余っているなら学校に持ってきてみんなに配るような男だった。昔の話だけどね。でも僕は、人の性格ってのはそう簡単に変わるものじゃないと思ってる。だから文太が『お菓子が余っているから』という理由で家に招くのを不思議に思った。これがなければ疑いは持たなかったかもしれない」

「しかし、それだけで俺の家じゃないと疑う理由にはならないだろう」

「ごもっとも。ところで僕は文太の住んでいる場所を知らなかった。だから文太にメールで住所を教えてもらったね。そして僕たちは指定されたマンションへと向かった。マンションはオートロックがあるタイプだ。部屋に入るには暗証番号を入れないといけない。でも文太が中から出てきたから、入力する必要はなかった」

「そりゃオートロックだから、暗証番号を知られるのは困る。ああいや、周吾郎を疑るわけではないが」

「確かにそうだね。僕はてっきり、文太がからわざわざ出迎えてくれたとばかり思っていたけど、暗証番号を知られるのは僕も好ましくないと思ったから、この可能性は一旦頭から消したよ」

 舌の根が渇くのを感じた。再度腰を据えてから頭の内を明かすのも手だったが、今いる場所が文太の家ではないと疑う以上、もう一度靴を脱いでというのも憚られる。周吾郎は仕方なしに玄関に座り込んで続けた。

「部屋に入ってから、いくつか不思議に思う点はあった。たとえば紙コップ。食器棚にはガラスコップがあるのに、文太はわざわざキッチンから紙コップを引っ張り出していた。食器棚を開けるだけでも良かったはずだ。でもそうしなかったということは、食器棚を開けられない理由があるんじゃないかと思った。たとえば――の食器棚を開ける真似をしたくなかったとか」

 息を呑む音。誰が発したものかはわからなかった。周吾郎は小さく息を吐く。

「ただまあ、これは材料としては不十分だ。疑うべき点は他にある。……文太。僕がお手洗いを借りると言ったとき、お前は確か『左の扉を開けたら、右だ』と言った。ごく自然に」

 直後、文太の顔が強張る。周吾郎は春瑚を見た。

「小日向さん、お願いがあるんだけど、そこの戸を開けてもらってもいいかな」

「あ、はい」

「左右に扉があるはずなんだけど、どちらがお手洗いだと思う?」

 春瑚はそこでようやく、あっと小さく声を上げた。

「……私は、だと思います」

 周吾郎自身もよく覚えている。廊下の中程にある扉を開けると、左右には扉が備えられた脱衣所がある。周吾郎は用を足すのに、左の扉を開けた。右は見るからに浴室へとつながる扉だった。

「お手洗いは左にあったのに、文太は右にあると言った。僕たちと文太の間で左右の概念が違うということはない。ここに住んで間もないとはいえ、文太が自分の家の構造を把握していないとも思えない。そこまで来て僕はひとつの可能性に行き当たった。部屋の使い方はわかるのに、扉の方向を真逆で覚えているんだから」

 ふと、春瑚が手を打った。

「わかりました。しているんですね、他の部屋は」

「そう。マンションの部屋は同じ間取りが延々と続いているのではなくて、一室おきに反転しているというのが通例だ。建物の都合か、ガス屋の都合なのかは知らないけど、僕の知る限りではそういう構造しか見たことがない。だから御子柴家は、この部屋と同じ間取りでそっくりそのまま反転した――このマンションの他の部屋に住んでいるものだと……」

 ふと、周吾郎は頭の中に冷めていくものを感じた。視線が客観的になる。横に目をやると、身だしなみ用の姿見があって、ずいぶんとしかめた顔の男子高校生が見えた。周吾郎は肩の力が抜ける思いになって、ぷっと吹き出した。

「やめだやめ。追及なんてしても仕方がない」

 見ると、文太はこめかみに汗がにじんでいた。

 御子柴文太は実直な男だ。くそ真面目で仁義に厚く、嘘をつけない正直な人種。周吾郎は文太の性格をよく知っている。文太が適当なノリで嘘をつくとは考えにくい。にもかかわらず嘘をつかなければいけないという状況は、つまり「誰かに嘘をつかされている」と考えられる。文太と親交があって、「嘘をついてくれ」と頼み込むことができて、なおかつその対象が周吾郎になりうる人物。

「可愛い後輩が責め立てられているのは、なんとも心苦しい。そうは思いませんか」

 目の前のドアを見る。先刻の息を呑んだ音は室内から聞こえたものではない。誰かがすぐ近くで聞き耳を立てているに違いなかった。周吾郎は笑う。

「そこにいるんでしょう、山崎先輩」

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