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  • 寒椿、一輪への応援コメント

    うおーーーー!!!
    実は去年のちょうどこの時期のちょい前、長崎に行ってきました。
    母親(もカトリックなのですけど)がどうしても「天主堂に行きたいの!!」と言ってですね、カトリック信者の母が、息子の名前に仏教用語をつけるくらい仏教好きだった父を引きずって行ったのに同行したのですが……

    隠れキリシタンが小屋に入れられて拷問されたというやつを聞いて家族一同「は……?」となりました。人間はやってしまうものなんだなあと。
    もちろん当時の江戸幕府や明治政府はキリシタンがヨーロッパとつながることを恐れていたし、だから鎖国したのでしょうが、そこまで拷問する必要ある?といいますか。
    虐殺みたいになっちゃいますが、キリシタンが法を犯しているなら、そして邪魔なら、ただ彼らを一思いに斬殺したり幽閉したりすればいいだけなのに。
    えげつない拷問に、人間の野獣の部分を見ました。幕府のためとか言っているけれど、本当は人を痛めつけるという「甘美さ」にとらわれてしまったんだろうなと。

    でも、ばんばはたぶん気づいてしまったんでしょうね。それで自責したんでしょうね……人間の野獣の部分をめざめさせてしまったことに……。
    たぶんばんばは浄土に行って友達に会いに行こうと、海に行ったのだろうなあと仮定すると、涙が出てきます。

    作者からの返信

    えへへへへ、この話は結構前に書いたものなのですが、こうしてご高覧していらだけてとても嬉しいです。それに、長崎に来てくださったことも、とても嬉しい(*^▽^*) 

    この話は私の幼少期のエピソードを基にした話で、キリシタンが閉じ込められていた小屋の小ささに、幼少期の私は絶句しました。ガチで物置小屋レベルの小ささで、何十人も入れるとか絶対に無理なはずなんですよ。ついでに、こんなに小さな島で何百年も共に暮らしてきた、同じ言葉をしゃべる人々でも、「そうしていい」と上からお墨付きを貰ったら容赦なくいたぶった人間の残酷さにも絶望しました。
    もっとも、私の地元は私が前にツイッターで述べてたような煮詰まった閉鎖的な状態で、その上藩主からは歴史書にガチで「悪政」と記されているレベルの支配を強いられていたそうだから、色々と限界だったのかもしれません。当時は、育てられない子供は捨てられていて、その窮状は後にやってきた宣教師がどうにかしないといけないと行動を起こすレベルだったとか。仏教的には西方浄土の島であるはずの私の地元は、決して浄土ではなかったのです。あらゆる意味で。

    ……こうして書いてみると、「北〇の拳の世界かな?」という感じなので、数百年前の私の地元が特にアレだったのかもしれないのですが。……それでも、キリシタンに罪悪感を覚えた人はいただろうし、いてほしいというのが私の願いであり、この話を書いた理由になります。その想いを感じ取っていただけて、胸が熱くなりました。本当に、ご高覧してくださってありがとうございます<(_ _)>

    編集済