後二 子宇、事態打開の為にひとり動き出す

 子宇はその報を聞いて一時茫然とする。が、すぐに立ち直って指示を与え始めた。

 内侍尚員全員に非常呼集を掛け、素早く部下を散らして、情報の収集を最優先事項としたのだ。

 その結果、いくつかの事実が明らかとなった。


 上妃十二名と皇后が、各々の宮からいなくなっていること。

 帝の所在も不明。同時に替玉ふたりの居場所もわからないこと。

 内兵尚の兵士のおよそ半数が、訓練の為に現在後宮内にいないこと。

 内侍尚長の陶悳は、今夜は『外』に出ており、明日まで後宮に帰ってこないこと。


 子宇は今夜が最悪の夜になる予感がして身震いした。

 この中で最も深刻なのは、帝が行方不明になっていることだ。これは国を揺るがすほどの一大事だと言ってもよかった。明日の朝になっても問題が解決していなければ、この椋の国に劇震が走るだろう。

 忠誠篤い帝の保介たち,及び影は、全員が離れに待機させられていた。その為に彼らは帝がいなくなったことを知らなかったのだ。


 子宇はこれが玄単の仕業であると確信した。

 彼は替玉の立場を存分に利用したのである。でなければ第三者が行ったことになるが、その場合はとてつもなく高い難易度になるであろうことが予測された。全くの部外者が、誰にも気づかれずに帝を拐かすなど、ほぼ不可能なことだと断言出来るのである。

「玄単……あの不忠者がっ! とうとう本性を出したな!」

 子宇はだん! と激しく机を叩いて、怒りをあらわにした。

 だが、まだ謎は残っている。

 一体どういう状況で、帝、皇后その他上妃たちがいなくなったのか――そして彼らは何処に行ったのか。


 子宇は、上妃たちの住まう宮に残っていた侍女たちを詰問する為に、自ら乗り込んだ。そして若き美貌の宦官を見た侍女たちは、皆一様に恐れおののいた。

 子宇が強烈な殺気を放っていたからである。

 それでも彼女たちは震えながらも、頑なに口を閉じて自分の主の居場所を言おうとはしなかった(その理由はのちに判明する)。

 子宇は静かな憤りを含ませつつ、彼女たちに向かって言った。

「主上の行方が不明だ。お前たちはその陰謀に加担しているとみなしてよいのだな?」

 それを聞いた彼女たちは顔面蒼白となった。

 帝に害をなした者は例外なく九族誅殺である。侍女たちは力なく座り込む者や、または失禁した者もいた。

 そうして幾ばくかのときが経ち――遂に彼女たちは重い口を開いたのだった。


 一通り彼女たちから話を聞き終えた子宇は、さらに怒りを募らせた。

 上妃たちの母親としての心情を弄んだそのやり方に、無慈悲で巧妙な罠を嗅ぎ取ったからである。

 子宇は身をひるがえすと、再び内侍尚の執務室に戻った。各所に散らばせた部下たちが情報を持って帰ってくるのを待つためである。


 しばらくして情報を収集してきた部下たちが、方々から戻ってきた。

 集めたそれらの情報を分析してみると……。

「西?」

 帝の行方は未だにわからなかったが、上妃たちはどうやら、日が暮れてから西に向かったようであった。彼女たちの足取りは、何人もの警備の兵たちが目撃していたのだ。

 そして後宮の西側にあるのは――

「炎龍帝後宮の荒廃地区かっ!」

 子宇は魑魅魍魎が跋扈すると噂される西地域に、足を踏み入れる必要があると判断したのである。


 子宇は内侍尚長の陶悳、それと後宮内の各部門の長、そして慶文に宛てた文を急ぎしたためて、部下に届けるように手渡した。

 それから彼は、執務室の奥の物入れから剣を取り出して、腰に下げた。

 異国の剣である。

 かつて西方の砂漠を越えてやって来た商隊が持ってきたもので、かなりの高額だったにも関わらずに子宇が大枚をはたいて購入したものだった。

 それはセイバーと呼ばれた片刃の剣で、つばは半円形で持ち手をすっぽりと覆った。剣の真ん中ほどから刃が反っており、半曲刀に分類される武器だった。


 子宇は部下ふたりを従えて、後宮内を西に向かった。

 夜空は雲ひとつなく、満月は中天を過ぎて時刻は間もなく子夜しやに差し掛かる頃であった。どの宮も堂も極めて静かであり、今夜のことを知らない中妃、下妃たちは既に休んでいると思われた。


 やがて子宇たち三人は西門に達した。

 そこには四名の門衛たちが警備にあたっていたが、子宇は内侍尚の印璽を掲げつつ訊ねた。

「今夜、この門を通り抜けた者はいるか?」

「いいえ、おりません」

 と門衛の隊長格の兵士が答えた。子宇はここではないどこからか、上妃たちが抜け出した可能性もあると、推測の幅を拡げざるを得なかった。


 門が開かれ、子宇ら三人はそこをくぐり抜けた。

「ん?」

 ふと、子宇は足下を見て、何か違和感を感じた。彼はしゃがんで地面に手をはわせて、あることを確認する。そして気付く。

「おい、これは――」

 振り返った子宇の目に映ったのは、ひとりは胸から剣を生やし、もうひとりは首筋から血しぶきを上げて倒れる部下たちの姿だった。

 四名の門衛らが突如、後ろから襲ってきたのだ。


 子宇は振り向きざま剣を鞘から抜き、剣を大上段に構えてまさに振り下ろそうとしていた兵士のひとりをそのまま斬り上げてたおした。

 その反対側から飛び込んできた二人目の兵士の斬撃を半身になって皮一枚の距離でかわすと、子宇は相手の肩口に剣を叩きこんで右腕を付根から斬り落とした。

 三人目の兵士は、味方の陰に入った子宇に一瞬の戸惑いを見せ、そのわずかな間に首を突かれて仰向けに斃れた。

 最後の隊長格の兵士は鋭い横なぎの攻撃を放ってきた。子宇は自剣を合わせて絶妙な角度でその剣筋をそらすと、そのまま勢いを殺さずに兵士の腹部を斬り裂いた。斬り裂かれた腹から鈍色にびいろの臓物がにょろりと溢れ出し、隊長格の兵士は「ぐう」と一声うめくと地面に丸くなって、そのまま動かなくなった。黒い液体が彼の周りにみ出てきて、ゆっくりと広がり続けている。


 子宇は剣を鞘に収めて、彼の周囲に転がっている六つの死骸を眺めつつ考える。

 今から内侍尚に戻って出直すべきだろうか? だが。

 上妃たちがこの門をくぐってから、大分経つ筈である。その時間的な余裕はあるのだろうか?

 さらに、陰謀に加担した内兵尚の兵士たちが玄単に付き従っているとすれば。

「三百名の兵士を相手に、私ひとりで何が出来るというのだ?」 

 子宇は半ば自嘲した笑いを浮かべた。

 先ほど子宇が気付いたのは、大量の足跡である。新しく踏み固められた地面は、大人数が西門を通過したことを示していた。


「まさか、反乱容疑の派閥と玄単が組んでいたとはな」

『表』の不満分子と『裏』の替玉が合する。荒唐無稽な話ではなかった。

 兵士を訓練と称して手元に確保しておいたのも、また内侍尚長の陶悳がいないときを狙ったのも、子宇にこの計画の用意周到さを感じさせたのだった。


 子宇はふと夜空を見上げて、そこにある煌々と輝く満月を見た。

 子宇は今、このときが紛れもなく自分の生と死の境目であると、はっきりと自覚したのだ。

 そうして、深く息をつくと、上妃たちの行方を追って、ひとり炎龍帝後宮の荒廃地帯の奥に進んでいったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る