前五 小蘭、子宇の要請をお断りする

 小蘭は西壁から抜け出したふたりの妃のことを思い浮かべていたが、子宇と慶文の視線を感じて顔を上げた。

「……何?」

「そこでお前の出番なのだ。お前の龍眼で失踪した下妃の居場所を――」

「龍眼?」

 小蘭が発した疑問に子宇は口を閉ざした。その顔にはしまったという表情が表れていた。


「アタシの邪眼って本当は龍眼って言うの?」

「……そうだ」子宇は渋々と認めた。

「何か強そうな名前だね。でもアタシ、いなくなったひとを捜し出せるような力はないけど」

「いや、お前のその力があれば、容易に見つけられる筈なのだ」

「やけに確信的だね。前例があるわけ?」

 子宇はつまった。前例はあった。

 だが、このことをこの少女に話すべきか迷ったのだ。その強力過ぎる能力故に。


 幾ばくかの逡巡ののち、意を決した子宇は口を開いた。

「龍眼の持ち主は、千里の彼方を見渡せるという」

「ふ~ん」

「また、意のままにひとを操ることが出来るという」

「ふ~ん」

「一睨みで敵を倒すことも、可能だと聞いた」

「……」

 それは図らずも、子宇を昏倒させてしまった小蘭には、あまり思い出したくない出来事であった。

「龍眼でひとの心を読むことも出来るし、真実を見通すことも易しいことだと聞いている。さらに――」

「待った待った待った!」


 小蘭の制止に、子宇は口をつぐんだ。

 やや奇妙な空気が執務室内に充満した。

 子宇、慶文、そして小蘭の三名はお互いを見るでなし、話しかけるでなし、皆何をしたら良いのか決めかねている風で、身を持て余した。

 そんな中、ようやく小蘭がおずおずと喋り始める。

「ちょ、ちょっと強力過ぎない? 龍眼って。大げさなんじゃ……」

「当たり前だ。この椋の国を建てられた高祖様と、中興の祖であられた炎龍帝陛下がお持ちだったと言われている能力ちからだからな」 

 

「……うえ?」

 小蘭は言葉を失った。その能力の凄まじさに。とはいえ。

 実は彼女は爺から聞いていたのだ、自分の眼の持つ力を。だがそれも全てではなかったことを今知ったのだった。

(だから爺はアタシに、は絶対に使うな知られるなと言ったんだ……)


 小蘭は爺から龍眼を発動させないコツを教わって、それを常日頃から実践していたのだった。要は相手に焦点を合わせないことである。

 つまり子宇が傾国級の美貌の持ち主だとしても、小蘭にはぼやけて見えるだけなのだ。それでも子宇が非常に端正な顔立ちをしていることは、わかってしまったのだが。

 

 小蘭の小さいときのこと。

 爺は小蘭に龍眼を使うなと厳命した。

 その言いつけを破れば、自分は爺に殺されるかもしれないと、そんな恐怖心を小蘭は抱いたのだった。それは単なる脅しではなく、実際に爺は小蘭に対して殺気を放っていたのだ。

 それで小蘭は龍眼が発動しないように、常に心掛けた。その甲斐あって、今では無意識にそのように出来るようになったが、彼女は当初は、爺に恨みを持ったものである。

 まあ彼女が成長するにつれ、それはむしろ、爺は自分のことを思ってそうしてくれているのだと理解したのだが。


 それだからこそ彼女は、爺に悪態をつきつつも感謝して、その言葉に従ってきたのだった。

 幸いなことに龍眼は成長する能力だということだった。

 つまり幼い頃の小蘭の力は、大したものではなかったのだ。その間に制御する術を身につけられたのは、彼女は運が良かったからだと言えるだろう。


 一方、子宇は目の前の少女の善性に賭けたのだった。

 もし彼女がその能力を悪用するような人物なら、自分が始末をつけようとまで心中では決意していたのだ。それが出来るかどうかはともかくも。

 片や慶文といえば、全然心配ないですよと言い切った。あの娘は良い子ですと。

 その言もあって、それで子宇は小蘭に頼ってみる気になったのだ。


「どうだ? やってみてくれないか?」

 その子宇の言葉を聞いた慶文は目を見張った。

 他人に弱みを見せることが大嫌いな子宇が、頭を下げていたからだ。龍眼持ちとはいえ年下の少女にである。


 今回のふたり同時に失踪、という状況は今までに一度もなかったので、前例は参考にならないと考えるべきであった。

 子宇は六年間で失踪した二十八名の下妃たちは、おそらくは何らかの罠に嵌められたのだと推測していた。もしかするとそのうちの何人かは、自分の意志でいなくなったかもしれないが、大方の者は誰かの悪意に絡めとられたのだ。

 彼女たちがどんな気持ちで後宮ここに入ってきたか、それと彼女らの末路(確定していないが)を思うと、子宇は陰鬱な気分になるのだった。

 

 現在、後宮の西側に人員を派遣して捜している最中だが、前任者も同様の処置をした筈なので、子宇は今回の捜索でもたいした成果が上がるとは期待していなかった。

 それで特殊な能力を持つ小蘭に期待したのだ。もしかしたなら、と。


 小蘭はしばらく黙っていたが、苦笑して子宇に答えた。

「陛下たちは特別だね。アタシのには、そこまでの力はないから」

 子宇は落胆した。

 目前にいる少女に、するりと逃げられたと感じた。

 彼は今初めて、自分は小蘭とそこまでの信頼関係を築いていなかったのだと思い知ったのだった。

(ずっと脅してこき使っていたからな。当然と言えば当然か……)

 外見は平然に見えていても、子宇は内心無力感に襲われていた。

 周りから才気煥発と言われながらも、少女ひとり動かせない自分の無能さに。


「そうか……」

 子宇は食い下がることなくあっさりと退いた。小蘭は拍子抜けした。

(もっとしつこく迫ってくると思ったんだけどなあ?)


 そのあと、小蘭はいつも通りの書類整理を命じられた。

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