第二幕

前一 小蘭、ルームメイトと再会を果たす


                  *


 私が書簡により、主上の血を引いていると知ったのは、成人(十六歳)する二年前のことだった。差出人は不明で、当初は質の悪いいたずらだと思って放置していた。その後私が成人し、官僚登用試験を受けて合格の通知が届いたときに、かつて謎の書簡を出したその当の本人が、お忍びで私に会いに来たのだ。そのひとは内侍尚長、つまり宦官の頂点トップである陶悳タオドゥーであった。その時点でその話は真実であると、私にはわかった。彼はもし実親に会いたいならば、官僚よりも宦官になった方が早く容易であると言った。官僚は中央だけでなく、地方にも赴任しなければならない場合がある。その点宦官になれば、その出仕先は後宮であり、四六時中かたわらにいられるのだ。父親である主上については正直どうでもよく、ただ生母に会いたいという強烈な欲求が芽生えていた私は、一も二もなくその提案に飛びついた。後悔はない。


                  *


 見習い実習も日を重ね、季節はいつしか初夏に突入していた。

 朝食後、秀麗、雨依、珊妙、涛瑛、梓明の五名は、内侍尚のいつもの仕事部屋に到着した。

「さあ、今日も頑張りますわよ!」

 秀麗が張り切って掛け声をかけた。おー、と他の皆もそれに合わせて声を出す。

 その中で梓明だけは浮かない顔をしていた。突如部屋からいなくなった小蘭のことをまだ気にかけていたのだ。

「春蘭、何してるんだろう……ちゃんとご飯食べてるのかな……」


 それに対して他の四人は、

「梓明、過去は過去ですわよ?」

「そう、春蘭は自ら謀に落ちた。仕方ない」

「通俗小説に照らしても、あれは本当に意味不明な行動だと思うわー」

「彼女は協定の重要性を知らなかったのですわ。不憫なことです」

 と、割とあっけらかんとしていた。


 そのとき、入り口に子宇が現れて、

「皆、今日も課せられた仕事を着実にこなして欲しい」

 と、彼には珍しく爽やかな笑顔で挨拶をした。

「ももも勿論で御座いますわ! 私たち一同、全力で事に当たらせていただきますっ!」

 と秀麗が顔を紅潮させて答える。他の皆もまた、直立不動でぽ~っと頬を赤らめていた。梓明だけは何となく腑に落ちない表情だったが。

「期待している」

 そう言って子宇はひとつ頷くと、後ろを振り返る。その表情はいつもの不機嫌そうな顔つきに戻っていた。

「何をしてる。さっさと来んか」


 皆が「?」という表情で見ていると、頭を掻きながらばつが悪そうに入って来た少女がいた。

 春蘭こと、小蘭である。

「あーーーっ」

 皆が一斉に声を出した。小蘭は「あ、ども……」と恥ずかしそうにもじもじしていたが、

「お前はこっちだ」「あううっ」

 と子宇に襟首をむんずと掴まれて、彼個人の執務室の中にずるずると引きずられていった。

 そして姿が消えたと同時にばたんと扉が閉まる。


 ――。

 つかの間の沈黙。

 残された皆は、そのふたりの一連の動きを茫然と眺めていたが、秀麗の目と口は徐々に大きく開き始め、ついには、

「ほああああああああーーーーー?」

 と奇声を上げるに至った。


 子宇の執務室に入った小蘭は、椅子に座って身じろぎもしなかったが、居心地が悪い様子がありありと見て取れた。

「お前には色々と手伝ってもらうからな」

 そう言う子宇に、何か言いたそうな小蘭だったが、側に寄ってきた侍従の慶文から隠すようにして、一枚の紙をさりげなく渡される。小蘭がそれをちらと覗くと、


『休憩時間には甘いお菓子が出ますよ』


 という文字が書かれており、慶文はと見るとにこやかに笑っていた。

 小蘭は甘いお菓子を想像して、にやにやと頬を緩ませていたが、ふと前に座っていた子宇が人の悪そうな笑みを浮かべていたので「?」と不思議に思った。

 その子宇は、ゆっくりと噛みしめるように言った。

「やはりお前、文字が読めたのだな」


 小蘭はぽかんとしたあとに、手で頬を押さえてみるみる顔を青ざめさせた。

(し、しまったあーーー!)

 ”そういう設定”にしておいたことをすっかり忘れていた小蘭は、心の中で絶叫した。

 だがもう遅い。

 ふたりの宦官のうちひとりはにこにこと、もう一人はにやりという擬音が相応しい笑みを浮かべて小蘭を見ている。

 彼女の顔から、だらだらと汗が流れ落ちた。

「お前はまだ隠していることがありそうだ。私から逃げおおせられると思うなよ」

 そう告げると子宇は書類に目を落とし、てきぱきと処理し始めた。


 そして汗を掻いている小蘭の前に、処理すべき書類がどさりと置かれた。

 主人の忠実なしもべである慶文は、

「大丈夫ですよ。仕事のやり方は私が教えてさしあげますので」

 と言ってにこりと笑う。

厳罰方式スパルタでいけ慶文。その方が覚えるのが早い」

 と机の向こうから、子宇が(小蘭には)余計な指示を出す。

「大丈夫ですよ。私は優しいですから」

 と小蘭の方を向いてにっこりとほほ笑んだ。


 小蘭は本能的に、このひとには逆らわないようにしようと決めた。姐とは違うのだが、何か似た匂いを感じるのだ。

 それで彼女は、

「よ、よろしくお願いします!」

 と叫んで、慶文に対して深くお辞儀をした。

 それを傍目で見ていた子宇は、何故か面白くない感情が湧き上がってきた。

(何だあいつ、私のときとは態度が違うではないか!)

 

 内侍尚の執務内では、汗を掻きつつ書類と格闘している小蘭と、それをにこにこしながら監督している慶文と、いらいらしながら事務処理をしている子宇が、三者三様

の様相を呈していた。

 途中で報告に来た宦官は、その三人のおかしな雰囲気に、早々に部屋から退散するのだった。

  

 日がれた。

 慣れない書類仕事に小蘭はくたくたになった。暗くなってやっと解放された彼女は、ふらふらになりながら執務室をあとにした。

「まだ仕事すんの……おかしいよ、あのふたり……」

 背後の明かりのついた執務室を振り返って、小蘭はつぶやいた。子宇と慶文はまだまだ仕事を続けるらしかった。

「まあいいや。アタシはもう寝よう……」


 とため息をつきながら、とぼとぼと通路を歩いていた彼女の前に、見知った人影が進路を塞いだ。

「ちょっとツラ貸しやがれ、ですわ!」

 小蘭は、あーあ、また面倒な奴らに絡まれたよと、かつての同室の者ルームメイトを見てうんざりとするのだった。

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