前五 小蘭、四人組の阿呆さにつくづく呆れる

 翌朝。夜も明けやらぬ黎明の時刻に、入り口の戸が開いて小蘭たちの薄暗い部屋に声が響いた。

「さあ皆さん、一日の始まりです! 起きなさい!」

「んんん~、一体何なんですの?」

「あ~?」「う~……」「んあ……」

 例の四人組は明らかに寝ぼけていた。

 小蘭は眠りが浅い性質たちだったので、部屋の外の通路を大勢のひとが移動している気配に気付いていた。そして彼女は上半身を起こして、声のした方を見る。


 部屋の入口には髪を後ろで綺麗に纏め、眼鏡をかけた狐目の女官と、彼女の背後に宦官がふたり控えていた。

 もそもそと布団でうごめいている秀麗たちを見て、その狐目の女官は言った。

「さっさと起きないとクビにするわよ」

 ”馘”という単語に反応した四人組は、すぐに跳ね起きた。梓明はすでに立っていて、小蘭はゆっくりと寝台から下りた。


 小蘭はじめ部屋の皆は女官の目前に、背筋を伸ばして一列に並んだ。狐目の女官が口を開く。

「内侍尚婦人局の若荏ルオレェンと申します。見習い期間中は私があなたたちの指導を行いますので、どうぞよろしくお願い致します」

 そう言ってぺこりと頭下げる。

「あ、はいご丁寧にどうも……」

 ぽかんとしている皆に代わって小蘭が返答する。


 そして顔を上げた若荏は、

「これからひと月の間、貴女方にはまず最下層の奴婢ぬひたちの行っている仕事を体験して頂きます。その為の服装も用意してきました。ただちにこれに着替えて廊下に整列するように」

 背後の宦官が前に出て、替えの服を小蘭たちに手渡す。渡したあとはすぐに若荏のうしろに控えた。

 その間、一言も喋らない。

 そうして三人は無言で部屋を出ていった。あとには服を手渡されて突っ立っている六人が残った。


 最初に反応したのは秀麗である。

「ぬ、奴婢ですってえ~? この私に、そんな卑しい真似をしろって言いますの⁉」

はかりごとの匂いがする。もしくは私たちは、かつがれているのかも知れない……」

「なるほど、前途有望な若者に嫉妬したき遅れの指導官が、いびりを始める展開ですか。通俗小説では主人公たちの共感を得る為の、いささか使い古された手法だけどね」

「事前情報は入ってこなかったケド……協定違反かしら?」 

 そんなわやわやと駄弁っている四人を尻目に、小蘭と梓明は黙って用意された服に着換えた。そうしてふたりで頷き合うと、戸を開けて廊下に出た。


 小蘭たちが泊っている宿舎は巨大である。三十丈(約百メートル)もある長い廊下には、各部屋から出てきた同輩たちが整列を始めていた。彼女らの前には担当である女官ひとりと、同じように宦官がふたり、後ろに控えていた。


 大分時間が経ち、大方見習い宮女たちが整列を終えたと思われる頃になっても、小蘭の部屋の例の四人組は、まだ外に出てこなかった。狐目の若荏のまなこがわずかに開く。

「ま、まずいよお春蘭~。六人揃ってないの、私たちの組だけだよお~」

 泣きそうな小声で梓明がつぶやいてくる。そう聞いても小蘭は、

(どないしろっちゅーねん)

 と、半ば諦めの境地で突っ立っていた。


 しばらくしてから若荏は息を吸い込むと、良く通った張りのある声を発した。

「では皆さん、決められた手はず通りに仕事に取り掛かりますよう、お願いします」

 それを合図に宮女見習いたちは、指導役の女官らとともに三々五々散って行く。どうやら全員が、同じ仕事をする訳ではないようだった。

 そうしてだだっ広い廊下には若荏と無言の宦官がふたり、向かい合って小蘭と梓明の五名だけが残された。


 若荏は冷ややかな瞳をきらりと光らせると、こっこっこと足音を響かせて小蘭の脇を通り過ぎ、部屋の戸の前に立った。そして中から聞こえてくる四人の話し声にじっと耳を傾ける。

 再び梓明が小蘭に耳打ちしてきた。

「ほ、ほんとにまずいよお春蘭~。若荏様ってどうやら指導係の女官のひとのまとめ役みたいだよお~」

 そうみたいだね、と気のない返事を小蘭は返した。


 小蘭は廊下に並んだ指導役の女官を一望してみたが、権勢が最も強かったのが若荏だったので、おそらくはが頭だろうと見当をつけていたのだ。

 だから梓明の言葉にも特に驚きはなかった。

 しばらく中の会話を聞いていた若荏は、静かに戸を開けた。そうすると、四人組の話し声が小蘭と梓明の耳にも届くようになった。


「ですからこの様な不当な待遇は、お父様を通じて抗議させていただくのですわ!」

「真っ向から当たるのは猪武者のすること。ここは謀をもってすべきところだと思う」

「通俗小説ではいけ好かない上司は、ぎゃふんといわすのが定石だけどね」

「協定の組み直しが必要なようね。早急に話し合いの場を設けなくちゃ」


 わいわいがやがやと、若荏の存在も気づかずに話し続ける四人のことを小蘭は、

(もしかしてこいつらって底なしの馬鹿なんじゃ……。試験の成績は良かった筈なのに)

 と、つくづく思った。

 大体にしてこの四人は、一見お互いに話し合っているようでいて、実は全く内容が噛み合っていないのだ。小蘭は隣にいる不安そうな顔をした梓明をちらと見て、助ける価値があるのはこのだけだなあと、心の中で密かに決めたのだった。


 無表情で四人を眺めていた若荏は、両手を合わせてぱあん! と拍手した。

 そこでやっと四人は若荏の存在に気付き、口を閉じる。若荏は抑制の効いた声で言った。

「はい貴女たち、もう良いわよ。荷物を持ってここから出ていきなさい」

 四人はその言葉の意味を掴みかねた。秀麗が代表して若荏に言葉の意味を尋ねる。

「ど、どういう意味ですの?」

 その問いに若荏は冷然と答える。

「馘ということです。貴女たちは」

「‼」

 さすがの四人組も、その厳然たる単刀直入の申し渡しに言葉を失う。

 若荏は彼女らから目線を外してくるりと背を向け、その場から立ち去ろうとした。

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