第27話

 今度タイセイがエラを誘ったのは、シンフォニーオブライツ・ハーバー・クルーズ。ふたりは尖沙咀から19:55発のスターフェリーに乗船した。


 シンフォニーオブライツとは、ギネスブックにも世界最大と認定された、港湾の街を背景とした光と音のショーである。このクルーズでは、そのショーを、香港の象徴であるスターフェリーからじっくりパノラマで堪能できる。漆黒の夜空と、ビル群を照らすライトやレーザーの美しい演出は圧巻であり、まるでひとつひとつのビルが生きて歌っているかのようだ。

 エラは、スケッチをすることも忘れ、すっかりこのシンフォニーオブライツの虜になっていた。

 一方タイセイはきらめくビル群への関心は薄いようだった。どうも彼が虜になっていたのは、都市に施された美しい演出よりも、ライトを反射するエラの潤んだ瞳のようだった。


 ザ・ペニンシュラ香港での時もそうだが、エラと会ってからというもの、美しいという意味が、今まで自分が使っていた意味と全く別の意味で感じられるのはなぜだろうか。

 かつて、妻であった女性も、それなりに美しい女性ではあった。しかし、目の前にいるエラは、それと同じ意味での美しさではまったくなかった。「美しい」という言葉は実に多様なものを表現する形容詞であることを、いまさらながら理解できたタイセイであった。

 ロンシャンのワンピースを華麗に着こなして、スターフェリーの木製のベンチに優雅に腰かけているエラ。その外見から、中環(セントラル)の公園で、デニム姿で抱きついてきたエラとは別人のようだと、人はいうかもしれない。

 しかし、彼は12時間彼女ともに過ごして気付いた。彼女はロンシャンであろうと、デニムであろうと、変わることもなく、人をやさしくするオーラをいつも発光している。それはきっと、一度光を失ったエラが、再び光を取り戻した奇跡を心から感謝するとともに、その感謝を周りの人たちにおすそ分けする無欲で純粋な生き様が、きっと彼に伝わってくるからなのだろう。このやさしいオーラこそ、エラの美しさなのだ。

 そして世の中には数多くの美しいものがあるが、今目の前にしている美しさほど、自分に好ましいものはないのだと、心に思うタイセイであった。


 彼女が夜空から視線を戻し、微笑みながら彼の瞳を見つめ返してきた。

タイセイは、はっとした。自分はどんな顔をしてエラを見つめているのだろうか。出会ったばかりの女性に対して、はなはだ不謹慎な表情をしていたのではないだろうか。


「クルーズのサービスについている軽食をもらってくるよ」


一生に出会えるか出会えないかの運命の女性を目の前にしていたのにもかかわらず、その女性から逃げるように、席を立ってカウンターへ向かうタイセイ。

 カウンターでチケットに印鑑を押され、パイナップルケーキとクッキー、そしてミネラルウォーターのペットボトルを手にして戻った頃には、タイセイも多少冷静な自分を取り戻していた。


 やがて、1時間のクルーズも終わり、Star Ferry Pier(天星碼頭)へ戻ると、二人は肩を並べて彌敦道(ネイザンロード)を北上し、iSQUARE(アイスクエア)へ。タイセイは、このショッピングモールの30階にあるルーフトップバー『Eye Bar』へと、エラをエスコートしていった。


 ここは、香港の100万ドルの夜景を堪能出来るおしゃれなルーフトップバーで、それなりにお値段は張るものの、カップルには随喜のナイトスポットである。

 絶景の夜景を眺めながらも、エラはもうスケッチブックを開くことはなかった。夜景もそっちのけでタイセイを相手に、おシャベリに余念がない。家族のこと、自分のこと。思いつくままにタイセイに話す。タイセイの前では、口から先に生まれた女性らしく振舞えるのはなぜだろう。エラは、しゃべりながらもそんなことを感じていた。一方タイセイは、もっぱら聞き役で、夜景とエラを交互に見ながら、それぞれの美しさを堪能していたのである。

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