左記子はそれから毎晩、深夜の無料開放電車に乗ってくるようになった。


座るのは毎回ハツの隣だ。ハツにはどうも左記子の意図が汲めない。

ひょっとしてハツと仲良くなりたいとでも思っているのだろうか。こんなに冷たくしているというのに。

捻くれているんだから──。

ハツの母親はよくそう云う。半ば呆れて困ったように云う。

ハツには昔から、親しくなろうと近づく子に対して特に冷たく振る舞うようなところがある。一人の時間が脅かされるように感じるのだ。

ハツは賑やかさより静けさが好き。明より暗。

昼より、夜。

──捻くれているのか。

多分捻くれているのだ。

でも別に悲しくも寂しくもないのだし。 というよりそんなことどうでも好い──と思う辺りからもう歪んでいる。




三日連続で左記子が隣に座ってきた時、ハツはうんざりした。

「私の事、助けてるつもりなわけ」

左記子は不思議そうにハツを眺めて、え、とだけ云った。

「久貝さんから見て勝手に私が寂しいだろうとか決めつけて、優しくしてあげてるつもりなの」

左記子がきょとんとしたままなので苛々してくる。

「はっきり云って」

抑揚なく続ける。

「はっきり云って久貝さんがこうやって近づいてくるの、結構邪魔なんだけど」

断っておくが、いくらハツだって普段からこんなにきつい物云いはしない。一応、相当に破壊的な言葉だとハツが判断する単語──嫌いだとか邪魔だとか役立たずとか──は極力云わないよう気を付けてはいる。でももう三日にもなる。堪えられなかったのだ。

傷付いただろう、左記子は。

左記子はハツから視線を外した。

車内の蛍光灯の光を浴びた左記子の髪の毛先が明るく透けている。こんな人工的な光を浴びていても、どうして左記子の周りの色彩はやさしいふわりとした感じになるのだろう。

左記子は、まるで昼だ。

あかるく黄味がかった日だまりのように、いつの間にか周りをくるんでしまう。左記子がそこに居るだけで、そこの空間は左記子のペースで進んでしまう。

当然だ。 夜は昼に勝てない。

昼のような空気を携えた左記子は得体が知れない。

──だから。

だから仕方がないんだと、ハツは自分を説得する。こうでもしないと左記子はずっとハツに関わってくるだろう。


けれども、意外にも左記子は口を開いた。

「そうじゃ、ないよ」

唇の内側の湿った部分が淡く光っている。

「そうじゃないって、何が」

「梅渓さんが寂しそうとか、思ってないよ。そういう顔してないし。 助けようとも思ってない」

「じゃあ何で」

左記子はハツを再び見て、笑った。

「『理由とか必要?』」

「それは──」

今度はハツの方が言い淀んでしまった。隙を突くように左記子はハツの顔を覗き込んでくる。

「梅渓さん、電車好きなんでしょ。それから」

夜が好き──左記子は声のヴォリュームを落とす。

「私も同じ。だから同志」

夜にはほんとうに力があるんだよ──左記子はさも大事なことを告げるかのようにハツに囁く。

「古文の酒田先生が前に云ったの、憶えてる? 吉田兼好の話。あれは本当だよ」

不覚にもハツは左記子のペースに呑まれてしまっている。左記子の繰り広げる世界に取り込まれてしまっている。

左記子はこんな、

──こんな子だったろうか。

「怖い?」

「別に」

何に対して左記子が怖いかと問うたのか、ハツには分からなかった。

夜が怖いかと問うたのか。

左記子が怖いかと問うたのか。

それとも誰かと親しくなる事に就いて云っていたのか。

「もう好いよ。勝手にすれば」

左記子がハツを同志と思うのも、毎回ハツの隣に座るのも、それによって左記子が非行少女になっても寝不足になっても、もう好い。丁度夏休みだし、それならば学校に遅刻するという心配もないし、左記子の気の済むまで夜の電車に乗り続ければいい。

苛々するのも馬鹿らしくなってきた。

「うん。あのね、じゃあ勝手にする」


その接続詞は正しくないと応えると、そうだっけ──と、左記子の声がいっそう高くなった。

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