YイコールaXの二乗(数式の打ち込み方がわかりませんでした)



 「やばい」という言葉を良い意味で使うと答えた人の割合が、十代二十代の若者層で半数を越えたとかで、国語の乱れを憂う声が聞こえる。わたしは現在、その世代の若者と話をすることなんてまず滅多にないので、実際に耳にすることはほぼないのだが、六年前にわたしの兄が京都の今宮神社で結婚式を挙げた際、境内でかわいらしい白無垢姿の義姉を見た修学旅行生が口々に「やばーい! 花嫁さんだよー!」「ホントだ! やばーい!」といって騒ぐのを聞き、ああ、今世間はそういうことになってんのね、と思ったものだ。


 それで思い出されるのは大学時代、講義で読んだ偽書のことである。教授曰く、「『偽書』とは、その作品を作った人が、成立時代や作者を偽ってこしらえあげたもの」で、「モデルとなる人物や作品があることが多い」。例えば、『清少納言松島日記』という、清少納言のフリをした誰かさんが江戸時代に書いた本がある。そういうののことね。


 講読した書物の名前は忘れた。たぶん、それも江戸時代に書かれた偽書だったのだと思う。その下敷きになっていたのは平安後期に成立した『今昔物語集』で、二つ並べて、どこにどういう変化が見られるかを読み比べた。


 「ゆゆし」という言葉がある。中古の時代には「畏れ多い」とか、「忌まわしい」とか、あまりよい意味で使われることはない言葉で、元ネタの方の『今昔物語集』を読むと、実際そのように使われている上に、どうも「重い」言葉らしく、「程度がはなはだしい」ことを表す、よほどの場合しか出されない言葉と見てとれた。ところが江戸期の偽書の方を見てみると、ばんばん「ゆゆし」が使用されているのである。もんすご軽いタッチで。しかも時代を下って、既に兼好法師の時代には「ゆゆし」は「素晴らしい」という意味をも表す言葉になっていた。


 「やばい」に似ている。


 ことばの「含み」というのは不思議なもので、簡単に反転する。YイコールaXの二乗のグラフを思い浮かべて欲しい。あの、十の字の座標軸上にUの形のヤツ。乱暴に行くが、横のX軸はプラス方向に「よい」、マイナス方向に「悪い」の価値観を示すとして、縦のY軸は程度、プラス方向に上がるほど「すごい」としよう。Xに入るのが正数ならば、それが大きくなるほどすげー、ということになるのはまあ当然として、Xの値が負数だった場合もまた、「負け」が込んでくればくるほど、すげー、ということになる。ダメすぎてすごい、低すぎて高い、みたいなことになるのだわね。


 「ゆゆし」ということばが元来孕んでいたものも、時が経つにつれて、畏れ多すぎてすげー、というYイコールaXの二乗の流れで変質していったのではなかろうか。だったら「やばい」も同じだろう。ことばの乱れというか、人間の感覚というのは昔から結構そういうふうに出来ているんだぜ、ということなんじゃないのか。


 と、わたしなんぞが思いつくこの程度のことは既に学者が言っているであろうと思う。


 でもまあ、何ものかが「ダメすぎてすごい」というような評価を受けるまでに、中途半端にダメなヤツはやっぱりダメ、っていうか中途半端であること自体がダメよりさらにダメと、完全に無視されたりするのが世の中で、わたしは先ほど大雑把にYイコールaXの二乗と言ったが、実社会のグラフはそんなにすっきりしたものではないのだ。当然。そういえば「女の子は少しダメな方がいいの」と昔キョンキョンは歌った。さすればこと女の子に関しては、ダメすぎではイカンのだろう。程好いダメが高評価。グラフはぐにゃぐにゃになる。ややこしいなあ。

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