第5章 シャンソン歌手

 ゴールデン街も久しぶりだ。

 一昨年、友達から「ゴールデン街が燃えてる!」とLINEが来た時は本当にびっくりした。

「ゴールデン街は権利が物凄く入り組んでてね」異形氏はそこら辺の事情も詳しいようだ。

「とにかく又貸しに次ぐ又貸しで、誰がどこのオーナーなのか、どこまで権利を持ってるのか、書類見てもサッパリ分からないみたいでね。某芸能関係の会社がここに劇場作ろうと思って調べたけど、あまりにも複雑で諦めたらしいからね」

 そんな話があったのか!

「この前の放火も、最初はそういった人たちが強引に区画整理する為にやったんじゃないかって噂があったんだよね。30年くらい前にも同じような事があったみたいだし」

「異形さんはゴールデン街歴は長いんですか?」

「最初はその放火騒ぎのあった頃で、連れて行ってくれたのは某音楽事務所の人でね。その人お酒呑めないから『ママ、いつもの』って言うとフルーツカルピスが出て来てたね」

 つまり、異形氏も30年は通ってる訳だ。

「まあ、サブカル、アングラの世界じゃ、ゴールデン街通いは必須だった時代だしね。知り合いでお店出してる人も多かったし」

 そこから築かれた人脈も多いんだろう。

 異形氏はあまりお酒は強くないが、つきあいが良いし、徹夜にはすこぶる強い。明け方でも元気なのだ。

「ま、基本的に夜の住人だからね」

 そう言いながら階段を登り、異形氏は2階にある「裏窓」の扉を開けた。


 渚さんは、可愛くて小さいけどグラマラスな人だった。年は薫子より少し上くらいか。

「この前話してた、なんで露出しないのって説教されてたのが渚ちゃんなんだよね」

 異形氏がこっそり教えてくれた。つまり、一緒にフェティッシュ・パーティに行くくらい仲が良かったようだ。

「あなたが悠君ね? 薫子ちゃんからよく話は聴いてました」

 いきなり不安になる事を言う!

「それは良い話ですか?」

 渚さんは可愛く首を傾げる。

「んー、どっちとも言えないわね」

 どうやら渚さんは小悪魔タイプのようだ。

 僕は昔から「女の塊」みたいな人と相性が良くないので少し警戒した。

 こういった時は、異形氏に任せるに限る。

「渚ちゃん、最近はシャンソンの方はどうなの?」

「お陰様で、月一でいろんなシャンソニエで歌ってるわよ。異形さんもたまには顔出してよ」

「うーん、『ブルールーム』くらいくだけた場所なら良いんだけど、他は大人の社交場って感じだからなあ」

 ブルールームは渋谷の外れにあるライブハウスで、オーナーが有名なシャンソン歌手なのでシャンソンのライブもよくやるが、アングラなお芝居やアコースティックのライブも多いのだ。

「異形さんもイイ大人なんだから。いー加減自覚しなさいよ。今ならチャージ5000円なんて高く感じないでしょ?」

「いや、稼ぎとそういう感覚はまた別だから」

「じゃあ今度、異形さんのレーベルからCD出させてよ」

「何が『じゃあ』なのかよく分かんないけど、俺のレーベルじゃない方が良くない?」

「シャンソンのレーベル作ってよ」

「そんなにタマがある? 1アーティスト1レーベルは効率悪いよ」

「シャンソン界なんて、40代でまだ洟垂れ小僧扱いされるくらい上が詰まってるんだから、早く作品を残したいのよ」

「まあ、ライブ音源なら安く作れるから良いけどね」

「約束よ。今度打ち合わせしましょうね」

 やはり僕の苦手なタイプかもしれない…


「薫子ちゃんは、私がシャンソンやモデルの仕事でお店に出られない時の為にここで働いて貰ってたの」

 異形氏にCD制作の確約を取り付けた後、渚さんが語り出した。

「もちろん、薫子ちゃんのファンもいたしね。ロリータの子たちがゴールデン街で迷っちゃって『裏窓ってどこですか?』って聴いて回るようになっちゃったのは、私と薫子ちゃんの所為ね」

「ま、未成年じゃなきゃそんなに問題ないよ」

「薫子ちゃん、普段は昼間に入ってたしね。週末は夜も手伝って貰ってたけど」

 薫子は体質的にお酒が呑めない。梅酒一杯で頭痛がして寝込むくらいだ。

「結構長く働いて貰ったわね。去年までいたのよね」

「そんなに?」僕はちょっとびっくりした。

 薫子は基本的に同じところに長く居られる子じゃないからだ。

「私と仲良かったのよ。いろんな事を話したし」

 …ますます渚さんが嫌いになった。

「でね。せっかく異形さんがCD作ってくれるって言うし、とっておきの事を教えてあげるわね」

「なんですか?」もう、そうなっては好き嫌いは言ってられない。

「彼女、WEB上でずっと日記つけてたの。まだブログなんてものが存在してない時代から」

 初耳だ! 一緒に住んでた時も全く気付かなかった。

「そりゃあ、悠君には読まれたくなかったと思うわよ。もう時効でしょうけど」

「昔のWEB日記と言えば『大塚日記』とか『さるさる日記』かな?」異形氏は記憶を探ってるようだ。

「薫子ちゃんが書いてたのは『魔法のiランド』ね。アーカイヴはまだ読めるはずよ」

「あー、それがあったか! 確かに当時の若い女の子がケータイで書くんだったらそれだなあ」

「日記サービスは終了してるところが多いけど、ここは運営会社が代わっても未だに存在してるからラッキーだったわね」

「URLは分かる?」

「残念ながら、そこまでは」

「タイトルが分かれば日記内で検索出来るはずだから、そこは悠君になんとか推理して貰うしかないな」

 異形氏が僕を見つめる。

…嗚呼。


 薫子の日記は思い当る単語で検索するだけであっけなく見つかった。

 タイトルが薫子の好きな作品名だったからだ。

 一般公開ではなく鍵付きだったが、パスワードは薫子がよく使ってたものだったのですぐに解除出来た。

「異形さん、この日記って薫子が書いてるものですが、例えばこの鍵付きの日記をサイトの運営会社が勝手に出版したりも出来るんですか?」

「会員規約によると出来るんだよね。著作権は運営会社に帰属する事になってるから」

 異形氏はそこで笑った。

「でも公表の方法や時期を決定出来る著作者人格権っていうのは譲渡出来ない著作者固有の権利だから、会員規約そのものが著作権法違反になるだろうね」

 異形氏はそこら辺の法律関係にもやたら詳しい。

 とにかく、今は薫子の日記だ。

 まずは僕とつきあってた時、一番病んでた時期の日記から読んでみよう。

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