第25話 学園祭、その後の、その陰で。


 図書館の1階で炎が上がっていた。建物の片隅からで、事務室からは離れている。

 野次馬の頭の上から見える限りでは、まだ大きな火柱にはなっていない。志戸がピョンピョン飛び上がって先を見ようと必死に頑張っている。

 俺は夢中になって野次馬を掻き分けて前まで出ると、全身ずぶ濡れになった金髪の女子が小柄な誰かを抱えて出てきたところが見えた。


「アッちん!!」「悦田!」

「来ちゃダメッ!」

 近づこうとした途端、悦田が鋭い声で制止した。


「ゴメン、先輩が……」

 悦田が言いよどむ。

 察した俺たちはその場で立ち止まった。

「先輩は大丈夫だから、今は来ないであげて」


 そこにSSマークを付けた警備員たちが駆けつけてきた。マークの色は……青。スプリンクラーで濡れた二人を抱えていく。

 俺と志戸は少し距離を取りながら、二人を追いかけた。



※※※


「みんなに心配かけてごめんなさいって何度も言ってたわ」

 しばらくして保健室から出てきた悦田が口を開いた。

 濡れた制服を袋に入れ、ウチの学校のジャージを借りた姿だ。濡れた長い金髪をタオルで押さえている。

 音成先輩は、特に怪我もなかったが、用心のため保健室で休んでいるという。


「アッちん! 先輩を助けてくれてありがとう! アッちんの身体は大丈夫?」

「間に合ったよ。無事でよかったよね!」

 大したこともなかったように答える悦田。

 身体は見ての通り! ありがと!! ……と、ビシっとピースをしている。

「ありがとな」

「どういたしまして」

 あまりに態度が違わないか? 俺が悪いのか? お礼の言い方が悪いのか?



 疲れた身体を休めた方がいいと言う志戸の勧めで、俺たちはいつもの部室兼、作戦会議室に戻ってきた。

 志戸が、悦田の濡れた制服をハンガーに掛けて窓際に干している。


「アヤトくん! プール!」

 志戸が急に声を上げた。

 すっかり薄暗くなった窓から見慣れぬものが見えた。


 上から見ると、プールが何かのプレートで覆われていた。周囲は立ち入り禁止にされている。

 50メートル全てをプレートで覆う? 1時間も経っていないのに?


「図書館は、ほったらかしだったわね」

 戻る途中で立ち寄った図書館の横手には、三角コーンが置かれているのみだった。

 いくら被害が殆どなかったボヤだったとはいえ、火が出たんだぞ?


「なんだか……プールはよっぽど見られたくないのかしら」

 ミミとファーファは、プールの方をジッと見ている。


「そういえば……」

 志戸がおずおずと口を開いた。

「走ってきた警備員さん、殆どの人が全然違う方向に走っていったような……」


「それって、プールの方か?」

 なんだか妙な予感がする。

「い、言われてみれば、そ、そ、そうかも……」

「そういや、出てくるのも遅かったな」

 こんな緊急時に、なんで警備員が俺たちよりも遅くに到着するんだ?


「ひょっとして――」

「やっぱり図書館の爆発って、プールから目を……逸らすため……?」

 俺の言葉に被せてきた悦田が不審そうに呟く。やっぱり?


「それって、プールから目を逸らせたいってだけ? それだけで……先輩を?」

 徐々に剣呑な調子を帯びてきた。

「おいおい、プールに関係するかもしれないってだけで――」

「許せないッ!」

 キッと綺麗な眉を吊り上げ、タオルを握り締めた悦田がプールに向かって叫んだ。

「いや、ちょっと待て」

「ナニ? あんた、腹が立たないのッッ?」

「あ、いや」

「アッちんって、こういう事には凄く怒るんです」

 神妙な顔をする志戸。

 こういう事には……って、こいつはとにかく怒っているように思うが。


「悦田、とりあえず深呼吸、深呼吸だ」

 今日会ったばかりの、しかも声を掛けた程度の人にここまで必死になるか?

 でも、思い返せば火事だって聞いた瞬間に飛び出していったな……。

 火が出ているというのにあのトイレに飛び込むし、ずぶ濡れになりながらも先輩を助け出した。


「なに、この学校! やっぱりおかしいわよッ!」

 よその学校のことにも関わらず、悦田はとにかくひどく腹を立てている。


「しかも、警備員が火事をスルー? それも自分達でボヤを出してッ!?」

 まずい。ヒートアップしている。

 まだ何も分かっていないのに。まずは落ち着かせないと……。

 ミミとファーファが机の上で正座をして、ジッと悦田を見ている。


「先輩が死んじゃったらどうする気よ! 火傷とか! おかしいわよっ!!」

 いやまあ、そうだけど……。

「あんた! ここの先生に文句言いにいくわよッ!!」

「え。俺!?」 なんで俺?

「あったりまえじゃない! あんたの学校で、先輩が危ない目に遭わされたのよッ?」

 顔をグイっと近づけて、ジロリとこちらを睨む。


 あたふたしている俺を見て、志戸が助っ人に入ってくれた。

「アッちん! もう暗くなってきたし、先生も居ないと思うよ。また、今度にしよ?」


「むぅぅ……すずが言うなら……」

 口をへの字に曲げながらもひとまず大人しくなった。志戸の言う事はすぐ聞くのな。



※※※


「着ているうちに乾くから、もう大丈夫だって!」 と言う悦田が、急いで制服に着替えるのを待って、俺たちは部室兼、作戦会議室を出た。


 廊下は既に蛍光灯が点き始めていた。

 並んで歩く志戸と悦田の後ろ姿を眺めながら、ジャージを返すために保健室に立ち寄ると――


「隠れて!」

 何かの気配を感じた悦田が、廊下を曲がる手前で俺たちを静止させた。とっさに反応できずに、悦田の背負った小さなリュックに追突する。

「なにすんのよっ!」

「お前が急に止まるからだろが!」

 悪かったな、俺はそんなに反射神経が良くないんだよ!

「あ、あの……誰かいますよ?」


 柱の陰、上から順に俺、悦田、志戸……いつの間にか俺と志戸の頭の上に乗ったファーファとミミも一緒に顔を出す。


 明かりの漏れている保健室からストレッチャーが出て行くところだった。

 誰か寝かされているようだが、こちらからは見えない。

 救急隊員の横に警備員が付き添っている。


「あの警備員さん、SSのマークが黒くて小さいです……」

 目ざとい志戸が小声で囁いた。


 偲辺市の様々な警備を請け負っているのが偲辺産業の警備部門子会社、シノベセキュリティーだ。この偲辺学園の警備も行っている。

 いつも見かける警備員の制服には青の地に大きく目立つようにデザイン化されたSSのマークがついているのだが……。


「たしか……あの日、すずをいじめた警備員って、黒地に小さくSSが描かれた制服だって言ってたわね?」


 そうだ、シノベセキュリティーには、どうやら違う制服があるようなのだ。よく見かける青のタイプと、先日初めて見たシンプルな黒のタイプ。

 黒SSの制服と聞いて、緊張感が走る。先日の夜中の事もあり、どうもきな臭さを感じる。ここはやり過ごすべきだろう。


 ストレッチャーの一団をやり過ごした俺たちは、何食わぬフリをして保健室に入った。


「失礼します。ジャージを返しに参りました。ありがとうご――」

 悦田が途中で言葉を切った。


 誰も居ない。


 部屋を見回すが人の気配がない。


「先輩も、もう帰ったみたいね……」

 悦田がカーテンの開いたベッドの方を見た。

 シーツがくしゃくしゃに押しのけられ、床にスリッパが置かれている。


「あれ? 靴が……」

 志戸がベッドの横に揃えられた小さな靴を指差す。

「それ、先輩の靴よ。そこに置いたの私だから」

 悦田がしゃがんで靴を確認している。

「やっぱり!」

 ということは……まだ居るのか?


「これって!?」

 目ざとい志戸がベッドの陰から何か見つけた。拾い上げたのは、結構古い型の携帯電話だ。

「それ、先輩のだわ!」

 悦田が助けた時に見たという。

 古い携帯だが大事に使っているのだろう。傷一つない。


「せんぱーい!」

 呼びかけるも誰も応えることもない。

 ベッドに触れるとまだ温かい。

「ベッドから出て、まだ時間が経っていないな……」


 ふと窓越しの様子に目が引っかかった。


 大型の高規格タイプ救急車――ハイメディックと呼ばれるものだ。


「なんだ? なんであんな仰々しいのが止まってんだ?」


 そこに先ほどのストレッチャーの一団が慌しく現れた。


「さっきのって、救急だったんだな」

「その割りにはアレ、赤いクルクルしたの点けてないわよ?」

 なにか嫌な予感に嫌な予感が重なっていく。


「きゅ、急病人っていうより、こっそり逃げるみたいな感じ……ですよね……」

 志戸が奇妙な感性で呟く。


 その時、勢いよく救急車に突っ込んだストレッチャーが引っかかり、大きくかしいだ。

 その上から白く細い腕が力なく垂れ落ち、シーツがずれて黒髪が見えた。

 無茶苦茶だな……素人かよ。


「あれ! 先輩よっ!」

 悦田が窓に跳び付く。


「おい、救急車呼ぶほど容態が悪かったのか?」

「全然っ! 殆ど煙も吸ってなかったけど、少し休むようにって言われた程度っ!!」

 悦田が先輩の靴を掴んだ。

「いったいどこ連れていく気よっ! 追いかけるわっ!!」

「どうやって? 相手は救急車だぞ!」

「いいから! 昼、ちょうどいい所、見つけてたのよ!!」

 悦田はリュックに先輩の靴を入れて背負い直した。

「あとで、連絡するから!」 

「そ、それじゃ、この子連れて行って!」

 志戸がミミを差し出す。

「頼んだよ、ミミ!」

『しょうちしました』

 悦田は恐る恐るミミを手に乗せると、そっと胸ポケットに入れた。

「よろしくね、ミミ」

 にっこり笑いかけると、保健室を飛び出していった。


「あいつ、いっつもあんなのかよ」

「そうですね……」

 困ったように笑う志戸。

 その背後、窓越しに救急車がドアを閉め、動き始めた。

 サイレンどころか、赤色回転灯も点けていない。

 緊急……じゃないのか? ハイメディックの救急車なのに??

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