第九幕 ゴシップな推理

 ――ブンッ! …ブンッ…!


「……真琴殿、やはり他の者との稽古はさせてくれないでござるか?」


 剣道場の片隅にて、竹刀を握って素振りする真琴の心の中で喜十郎がそう尋ねる。


 ……ブンッ! …ブンッ…!


「ダメよ。言ったでしょう? 剣道ど素人のあたしが二度もみんなを打ち負かしちゃったりなんかしたら、それこそ変に思われちゃうじゃない。それに今そんな風に強いとこ見せたら、例の辻斬り魔の犯人もあたしんなんじゃないかって、あらぬ疑いまでかけられかねないしね。うちの部のジャージはほら、辻斬り魔と同じ黒色なんだし……」


 黒色の生地に白で「日新高校剣道部」と背に書かれたオリジナル・ジャージに身を包む真琴は、素振りを続けたまま喜十郎に小声でそう答える。


「そのあらぬ疑い・・・・・を真琴殿はそれがしにかけていたでござるがな……それに、それでは約束が違うでござるよ」


「あらそうかしら? あなたが出した賭けの条件は、無罪だと証明されたら〝剣の稽古をさせる〟ってことだったわよね? だから、こうしてあたしの体を貸し与えて、わざわざ素振りをさせてあげてるんじゃないの。別にその稽古の方法までは決めてなかったでしょう?」


 自分のことは棚に上げて屁理屈を言う真琴に、嫌味と不平を口にする喜十郎であるが彼女は何食わぬ態度でさらりと言い返す。


「そ、そんな詐欺のような……卑怯にござるぞ!」


「フン! どこが卑怯よ! 何かあたしが嘘でも吐いてるって言うの? 素振りさせてもらえるだけでもありがたいと感謝しなさい!」


 剣道部員ではあってもマネージャーの彼女が、なぜか道場の端っこでさっきから素振りをしているその理由……それは昨日、喜十郎と交した賭けに彼女が負けたためである。


 くだらぬ言い争いから思わずしてしまった賭けに負け、真琴は約束通り、彼の願いを聞いてやらねばならなくなったのだ。


「やはり、素振りだけでは物足りのうござる……」


「うるさいわね。じゃあ百歩譲ってかたの稽古するのも許してあげる。今の剣道にもあるけど、古い剣道っていろいろと形があるって、あなた言ってたじゃない。それの練習をしなさいよ。ただし、あくまで一人でね」


「そんなあ……形稽古も相手がいなければできぬでござるよう……」


 しかし、そこはそれ。真琴は賭けの際、喜十郎の出した条件の言葉尻をクレーマーの如く捉えて、剣の稽古とは言っても素振りをさせるだけで彼との約束を守ってやったことにしている……真琴、普段は物静かでおとなしいわりに、実はけっこう、しっかり者だ。


「な、なれば、素振りでもけっこうでござるゆえ、こんな中途半端な憑依ではなく、完全にそれがしにこの身を委ねて自由に素振りをさせてもらえぬでござるか?」


 あざとい真琴のやり方に仕方なく素振りで我慢することにした喜十郎は、それでも諦めずに戦法を変えて、今度はそんな要求を心の中で伝える。


「それもダメ! 完全に憑依させたら何するかわからないし、無理に体動かされると次の日ひどい筋肉痛なんだから」


 だが、その願いもあえなく却下される。


 実は昨日、その賭けの代償について話し合う内に、また一つ、喜十郎の特性について新たにわかったことがあった。


 どうやら彼は…というより、すべての霊がそうなのだろうが、この前、剣道部全員を打ち負かした時のように100%完全に憑依して、その者の意識を含む心身すべてを支配下におくこともできれば、憑依のレベルをもっと下げ、本人の意識は残したまま、体だけを支配するということもできるようなのである。


 つまり、そうやって憑依の割合を自由に変えることができるというわけだ。


 それを知った真琴は、彼に剣の稽古をさせるもう一つの条件として、自分の意識は残したままで憑依することを約束させたのである。これまでの経験則上、自分が意識を失ってしまえば、喜十郎が何をしでかすかわかったものではない。


「体は自分のものみたいに動かせるんだから別にいいでしょう? いい加減、そんくらいで満足しなさいよ」


 というようなことで、現在、真琴は口も自分の意思で自由に動かせる、70~80%の憑依レベルで喜十郎に体を任せている。


「うう…確かにそうではござるが、どうにもこれでは気分が乗らぬというか……ああ、そうだ! それがしの心残りは心ゆくまで剣の稽古をせずに死んでしまったことかも知れませぬ。なれば、それがしに身を委ね、思いっきり稽古させていただけば成仏できるやも……」


「嘘おっしゃい! 二度も勝手にみんなと試合したけど、ぜんぜん成仏しなかったじゃない! そんな嘘バレバレよ。っていうか、武士がそんな嘘吐いてもいいわけ?」


 なおも諦め切れず、また戦法を変えて説得を試みる喜十郎だが、そのみえみえのはかりごともあっさり真琴に一蹴されてしまう。


「ううっ…それを言われると弱いでござる……」


「まったく、往生際の悪い侍の霊ね。武士なら武士らしく、いい加減、潔く諦めなさい!」


「……真琴、なにさっきからブツブツ独りで言ってるの?」


 そうして、内なる霊との対話をしながら素振りを続ける真琴の姿に、いい加減、気味の悪くなった民恵が醒めた眼差しを向けて尋ねた。


「えっ!? …ああ、なんでもない、なんでもない。そ、その…ちょっと素振りして疲れたな~って言ってたんだよ。アハハハハ…」


 民恵の訝しむ視線に、真琴は慌てて誤魔化し笑いを浮かべる。


「……じゃ、素振りやめればいいじゃない」


 しかし、でまかせの言い訳が拙かったのか、さらに民恵は疑いの目を真琴に向けてくる。


「い、いやあ……で、でも、なんか体が言うこと聞かないというかなんというか……そう言われても急にはやめられないというか……」


 確かにおっしゃられることはごもっともであるが、今の真琴は霊に肉体を支配されているため、自分の意思で自由にどうこうすることはできないのだ。


「やっぱ最近変だよ? 真琴。いったいどうしちゃったっていうのさ? いきなりこんな風に素振り始めちゃったりなんかしてさ」


「あ、いや、これはなんというかその……そ、そう! ほら、最近、辻斬り魔とか出て物騒じゃない? だから、こうして自分で自分の身を守れるように鍛えておこうと思ってえ……」


 真琴は咄嗟にそんな嘘の理由を思い付き、怪しむ民恵にもなんとかして答えた。咄嗟のでまかせながら、今度のはけっこうイイ線いっているように自分では思う。


「ふーん………」


 が、それでも民恵はその言葉を信用していないというような眼差しで、真琴の引きつった笑顔を疑わしげに見つめている。


「ア、アハ…アハハハハ…」


「ま、いいけどさ……ねえ、それより、その辻斬り魔だけど…」


 その刺すような視線に冷や汗を流し、最早、苦笑することしかできない真琴であったが、彼女のミーハーな性格が幸いしたらしく、不意に民恵は別方向へと話題を変えた。真琴の怪しげな行動よりも、どうやらそっち・・・の方が興味をそそられるネタだったようである。


「最初の被害者が県大会優勝の剣道部員で、次が腕の立つ示現流同好会の会員、三人目が居合の有段者で、今回――四人目が〝柔術〟とかいう、柔道に小型の武器使って闘うの加えたような武術やってる人だったんでしょう? この狙われた相手の人選、犯人の目的っていったいなんなんだと思う?」


「さ、さあ? あたしにそんなこと訊かれてもぉ……」


 問われた真琴はなおも素振りを続けたまま、特に考えようともせずにそう答える。


 しかし、そんな気のない返事をする真琴の関心とは裏腹に、辻斬り魔の犯行は昨夜もまた行われたようなのだ。


 最初に辻斬り魔の事件が起こったのは真琴としては忘れもしない…否、本当なら完全無欠に忘れ去りたい、あの喜十郎に体を乗っ取られて松平以下剣道部員全員を打ち負かしてしまったその日である。


 それから今日までかれこれもう四日が経つが、その間、辻斬り魔の犯行は一日一件のペースで連続して行われている……即ち、民恵が言った通り、これで四件目となるわけだ。


「被害者はみんな剣や武器使う何かしらの武術の達人じゃない? だから、あたしの推理としてはね、犯人は自分の腕試しをするために、そういった人達を選んで襲ってるんじゃないかと思うわけよ」


 いつになく眉間に難しそうな皺を寄せた民恵が、サスペンスか何かのヒロインにでもなったかのような口調でそう嘯く。


「腕試し?」


「そう。自分の剣がどこまで通用するのかっていうね。ま、いわば道場破りみたいなもん? だから、そこらの弱っちい素人じゃなくて、そういう超強い達人ばっか狙ってんだよ」


「う~ん…どうなんだろうねえ……」


 だが、そんな自信満々に語る民恵の名推理にも、再び真琴は気のない返事をその口にする。そのような自分に関係ない事件の話よりも、もっと身近でもっと重要な、大変気がかりなことが彼女にはあるのだ。


 それは今更言う必要もないかもしれない……そう。今日も松平が学校を休んでいるということだ。彼が学校を休むのも、もうこれで四日目となる。


「なんか、つれない返事だねえ……やっぱり松平先輩のことが気になる?」


 真琴の素っ気ない態度に少々不満げな民恵であったが、不意に真剣な眼差しになると、上目使いに真琴の顔を覗き込みながら尋ねた。


「え!? …あ、うん……」


 真琴はその問いに、今回は素直にこくんと頷く。


 さすがに四日目ともなると、彼女としても本気で松平のことが心配になってきている。


 今まで部活すら滅多に休んだことのない松平が、四日も学校を休むというのはさすがに長すぎる……。


 風邪なのか? それとも真琴に敗れたショックのためなのか? いろいろと原因は考えられるが、いずれにせよ四日も休でいるということは、少なくとも良好な健康状態とは言えないであろう。


 好きな人がそのようになっていたら、心配するなという方が無理な話である。

 

 そんな真琴に、さらにその心配へ拍車をかけるようなことを民恵が告げる。


「……ねえ、松平先輩が休んでるのってさ、もしかして先輩も辻斬り魔にやられちゃったとか?」


「えっ!?」


 その思わぬ言葉に、喜十郎に支配されているはずの肉体も思わず素振りをやめて、真琴は民恵の方を振り返った。


「ま、まさか……」


「でも時間的には合ってくるよ? 先輩が休み出したのって、確か辻斬り魔の事件が初めて起きた次の日からだったからね」


「そ、そう言われてみれば……」


 今更ながらにそのことを認識した真琴は、背中になにかゾクっと冷たいものの走るのを感じる。


 民恵に言われるまで気付かなかったが、確かに〝辻斬り魔が最初に現れた日〟と〝松平が学校を休み始めた日〟とは不思議ととなり合っているのだ。


「松平先輩のことだからさぁ、もし辻斬り魔に襲われて怪我をしてたとしても、暴漢に負けたなんて恥ずかしいと思って人に言わないんじゃない? それで、その怪我で学校来れないのをただの体調不良だって言い張ったりして……」


「そ、そんな、まさか……」


 と、その説を否定しようとする真琴であったが、民恵の話を聞いている内に、もしかして本当にそうなのではないかと徐々に疑う気持ちの方が強くなってゆく。


「ね、そんなに心配ならさ、やっぱ今日、部活終わった後にでも先輩の家にお見舞いに行ってみない?」


 すると、刻々と言いようのない不安が増大してゆく真琴の心を見透かすかのようにして、民恵がそんな提案を唐突にしてくる。


「えっ……?」


 その予期せぬ…否、普通なら真っ先に思い付くことであろうが、勇気がない故に初めから当然の如く排除していたその選択肢に、暗く表情を曇らせていた真琴は答える代りに小さく声を上げた。


 ……先輩、本当に辻斬り魔にやられちゃったのかな? だとしたら、怪我の具合はどうなんだろ? 学校来れないくらい重症なのかな? ……すごく心配だよ……。


 その不安で堪らない気持ちから幾分、民恵の提案に心揺さぶられる真琴であったが、それと同時に彼女の心の内には、その素直な欲求を拒もうとするまた別の感情が浮かんでくる。


 ……でも、そうじゃなくて、やっぱり、あたしが勝っちゃったことがショックで寝込んでるんだとしたらどうしよう……あたしが行ったら逆に先輩、嫌がるんじゃないかな? ……だとしたら、あたしなんかお見舞いに行かない方が……。


「真琴殿、何を迷っているでござるか?」


 と、そうして心の内で独り葛藤している真琴の目の前に、いつの間にか憑依を解き、姿を現していた喜十郎が不意に声をかけてきた。


「その松平殿と申される方は、真琴殿にとって大切なお方なのでござろう?」


「ちょ、ちょっと何を……」


 その意味深長な言い方に、真琴はこんな時だというのに思わず頬を赤らめる。


「その大切に思っているお方が真琴殿に敗れたからといって寝込んでしまうような、そんな小さき男なのでござりまするか?」


 喜十郎はいつになく厳しい表情で、真琴の大きく見開かめた二つのまなこを見つめながら尋ねる。


「そ、それは……」


「大切に思うお方であるならば信じるでござるよ。そして、忠孝を尽くすでござる。それこそが人を大切に思う、〝仁〟の心というものにござる」


 なんだか難しい単語を並べ立てられ、言ってることの半分も正確に理解することはできなかったが、喜十郎の語るその言葉を聞いた瞬間、真琴はハッと気づかされる。


 ……そうだ。そうだよね。あたし、何を迷ってたんだろう? どうして先輩を信じようとしなかったんだろう?


 ……ううん。そうじゃなくたって、もし本当にあたしに負けたことでショックを受けているんだとしたって別にいいじゃない。


 例えどんな理由だとしても、やっぱりあたしは先輩のことが心配なんだ。だから、先輩に会いたい。会って、あたしのできる限り先輩の力になってあげたい!

 

 真琴の中で、彼女を縛っていた何かがすっとほどけた。


「……うん。そうだね。行ってみよう。民ちゃん、ちょっと付き合ってくれる?」


 真琴は力強く頷くと、民恵の方を振り向いて尋ねる。


「フッ…ようやくその気になったか」


 そう言ってニンマリと笑う民恵の横で、他人には見えぬ喜十郎も満足げな笑みをその顔に浮かべていた……。



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