つるぎの値打ち




 その男は、薄暗い鍛冶場に一人で座っていた。

 炉床は赤く燃えているが、それに興味があるようでもない。ただ燃料が溶けていくのを眺めていたいのか、あるいは暖房代わりにしているのか。人相は聞いていたが、実際に本人に会うと、あっけないような、やはりどこか底知れない気があるような、どちらとも言えない気分にヴィクシミュはなった。チラチラと隣から顔色を見てくる部下のマディオを無視して、ヴィクシミュは笑顔を浮かべた。作り笑いが下手なのを自覚しながら。


「どうも、兄ィ。お初にお目にかかります」


 男は突然の来訪者に驚いた様子もなかった。書き物机に移動して、何か書き始める。ペン先を見つめたまま問うてきた。


「おまえ、狩り組だな。なんの用だ」

「歳の暮れですし、ご挨拶にと。……いや、やめますか。嘘はね、気分がお互いによくない」

「同感だな」

「剣を打って頂きたい」

「どんな剣を」

「吸血鬼を狩るための剣」


 男は笑い出した。ちらりとヴィクシミュを見、そしてその瞳に少しも喜色がない。ガラス玉のような目だった。


「そうか、出たか。また、彼らの時代になるのかな」

「実はもう、ここ数年、件数が増えてきていましてね。あなたの剣も、うちにはいくつか残っていましたから、それを使ってましたが、俺の世話人がよく剣を折るやつでね。先日、あなたの最後の剣を折っちまったんです」

「折れるような剣を買いに来るな」男は鼻で笑うと顔を背けた。

「もっといい剣を探せ」


 だがヴィクシミュは下がらない。


「そんなもん、大陸中を探してもないでしょう。……『鉄火のバスカー』に勝る刀鍛冶は、この五十年、とうとう現れなかったんですから。だったら、新米から若手を探すより、あんたに土下座した方がいい」

「なにもわかってないな」バスカーは首を振る。

「俺が吸血鬼ほど長生きに見えるか?」

「いや、探してますよ。後継者はね。ぶっちゃけた話、あなたがこの仕事を請けなければ、俺にはアテがある。上司もそっちに振ればいいと言うでしょう。しかしね……俺も吸血鬼を狩ったことがあるから」


 バスカーは初めてヴィクシミュに興味が湧いたようだった。顔を上げる。


「誰を」

「フルクー城のコーディンス」

「知らんな」

「まだ若かったですからね、あいつは」旧友のように言い、

「だからね、わかるんですよ。狩るために必要な剣がどういうものか。そしてそれを打てるのはあなたしか思いつかない。自分で使ってみた感想ですがね」

「剣などどれも同じだ。使い手で決まるんだよ」

「俺の連れはこう言っていましたよ。使い手には何も出来ない。結局、剣が俺を踊らせるんだ、とね」

「勘違いしている。そいつを踊らせているのは剣じゃない。そいつ自身だ」

「かもしれませんね。ですが、剣を握らせれば踊るなら、やっぱりそれは剣のせいかもしれない。どっちか一番、勝負といきますか」

「古い男だ」と老人はつぶやいた。

「もう埃まみれの価値観だ」

「べつに構わんでしょう。千年前の敵と戦うんだから、古きを温め新しきを識るのも悪くない」


 バスカーはしばらく黙っていた。やがて、鍛冶場の隅の鉄材置き場から、なにやらごそごそと見繕い始めた。


「いくら出す」


 よし、とヴィクシミュの背後で部下のマディオがほくそ笑んだ。だがヴィクシミュは笑わなかった。


「聞いていますよ。……あなたは一億積まれないと剣を打たない」

「はっ……?」マディオが目を剥いて、隣の兄貴分を見る。

「剣一本に、い、一億……?」

「鉄火のバスカーに値切りは効かない。……それでも、ちょっとはまけてもらえませんか?」

「おまえ、俺がウンと言わないことを知ってるな?」


 バスカーは楽しげだった。剣にするのか、長い鉄棒を不燃卓の上に放り出し、壁に吊るされていた冷鱗エプロンを首からかける。肩紐を結びながら、


「なぜ俺が一億でしか剣を打たないか、それも知ってるか」

「噂話はいろいろ聞きました。でも、本人の口から聞いたことしか信じる値打ちはないでしょう」

「ふん。……俺も若い頃は、この仕事が好きだった」


 バスカーは、壁にかけられたいくつかの剣を眺めた。少しも興味がなさそうだった。


「ただ剣を打つだけで楽しかった。ただの鉄の棒が、俺の手の中で、切れないもののない業物になっていくように思えた。いい剣を作る、それが俺の誇りだった。金なんていらない、俺は戦争が近づく街の中で、無償で剣を打って市民に配って歩いた。守るべきものを持つ男たちに、そのための武器を渡す。使命感すら覚えていたよ。教会にもよく通った。恥知らずにもな」

「……二十年前の大戦ですか。俺はまだ子供だった」

「子供でもつらかっただろう。あの戦争は何も生まなかった。ただ、愚かしさだけがあった。自分には生きている値打ちがあるんだと勘違いしたバカどもが大騒ぎしただけだ。そのせいで、大勢死んだ。でも、俺には関係ない。俺は剣を打っていた。それだけの日々だった」


 バスカーは追想する。


「人は殉教者を求める。いつしか俺は、無償の刀鍛冶として褒めそやされる一方で、借金をこしらえた。その都度、その都度、必要な金だった。嵐で家が崩れたり、娘が嫁入りしたり。だが、どうしても借りた金は都合せにゃならん。だから俺は剣の値を上げた。すると人は俺を責め始めた。守銭奴と罵り、まだ俺の剣を必要としていながら、俺を街から追放した。口先だけの若い刀鍛冶を雇ってな」

「……ディッキムの街、ですか」

「ああ。俺が出ていって半年で、隣国に攻め込まれて滅びた。いい気味だったよ」バスカーは嗤う。

「そのとき、娼館に売り飛ばした妻も娘も巻き添えを喰って死んだ。俺は一人になった。一生懸命、俺は剣を打っていただけなのに、俺の手には何も残らなかった。……そしてようやく気がついた。自分の剣の値打ちにな。こうして今も、あんたみたいな見知らぬ男が訪ねに来るほどだ。俺は本物なんだろう。だがな、どれほど頼まれても、あんたが困っていても、俺は自分の剣の値は下げない。相場は、使い手が泣いて喚いて苦しむ額。剣を買ったことを後悔しながら生きていく額。一銭だってまからない」

「……今、吸血鬼禍に苦しんでいる民がいるんですよ」


 ヴィクシミュの肩越しにマディオが凄んだ。


「本当なら、あんたはそれこそ無償で、剣を差し出さなきゃいけないくらいなんだ。あんただって、この大地で生きている身なんだから」

「誰が頼んだ? 俺は、生きていたいと願ったことなどない。肉体がそう望んでいるだけだ。俺の魂は解放されるのをずぅっと待ってる。あれからずっと、一秒も欠かさずに」

「このクソジジイ、戯言を……うぐぁっ!」


 兄貴分の肘鉄が、弟分の鳩尾にしたたかにぶち込まれた。マディオはよだれを垂らしてその場に崩れ落ちた。それをヴィクシミュが冷たく見下ろす。


「おまえは口を利くな」

「せ、先輩……」

「そんな資格はない」


 ヴィクシミュは刀鍛冶に向き直った。


「一億は、商会から支払ってもらってください。小切手で振ります」

「現金しか信じない」

「ちゃんと裏書きしてますよ」ヴィクシミュは紙切れを翻してみせた。吸血鬼ハンター協会の紋章が打たれている。

「あんたが欲しいのは金じゃなくて、相手の痛みだ。べつに紙切れだろうと構わない」

「…………」

「上司は俺を叱るでしょう。一億きっかりでまからないなら、最初から電信でよかったんだから」

「世話をかけるな」

「いいんですよ。どうせ俺の金じゃない。それにあんた、……たった一億じゃ埋められないほど、いろいろ亡くしすぎてるよ」


 バスカーの背中は何も語らなかった。ただ肩をすくめ、炉床の温度が上がり、旅装束の二人には熱くなりすぎた。退散する前に振り返ると、火粉の幕内に、一人の男が、寂しそうに座っているだけだった。





「あの強欲爺ィめ、先輩も人が良すぎる。あんなの方便でしょう」

「おまえは本当に成長しないな、マディオ。いつまでも、子供みたいに駄々をこねる」

「だって、駄々をこねて、一億むしったのはあいつですよ。その金があれば、前線で苦戦している同志に傭兵団を送ってやれるのに」

「吸血鬼狩りは単独行動だ。連れが必要なときは、ほとんど囮にするしかないんだよ」

「でも……」

「おまえにはわからない。吸血鬼を狩ったことがないおまえには」

「……またそれですか。俺だって、いつでも前線に出れるように剣は鍛えていますよ。この間も武闘大会で優勝したんだ。本当のハンター相手にして」

「ヴォルコードはもう半分、引退してる。本人もそれをわかってる。あいつはおまえにお駄賃をくれただけだよ。おまえが優勝トロフィーをあんまり眩しそうに見上げてるもんだから、取り上げるのが忍びなかったんだろう」

「……ふん、先輩にはわかりませんよ。実際に剣を合わせたのは俺だ」

「かもしれんな」


 夕陽が沈もうとしている。閑散とした農村の水田から、豆粒のような農夫たちが家へと引き上げていくのが見える。


「ここはまだ吸血鬼が来ていない。でも、もし誰か来ればあの田んぼは打ち捨てられて、家畜どもは逃げ放題になる。何もかもが荒れ果てて、ここには人間が喰えるものがなくなる」

「だから、俺達はそれを防がなきゃいけないんでしょ、ハンターなんだから」

「ああ、そうだな。どんなに達観してたって、腹は減る。俺たちも、あいつらもな」


 一匹のカラスが、ヴィクシミュのところに舞い降りた。足に封書がくくりつけられている。ヴィクシミュはそれを取ってから開封し、一瞥するとそれを足元に捨てた。踏みにじる。


「さて、爺さんの昔話は聞き終えた。あとは、剣の使い手を探し出さなけりゃな」

「まったく……アレックスのやつ、どこに行ったんですかね」

「さあな。あいつが姿くらますのなんて、もう珍しくもなんともない」

「無責任なんですよ。後始末だけこっちにやらせて」

「そう言うな」ヴィクシミュが乾いた笑いを浮かべた。

「おまえに鬼が狩れるのか?」


 マディオは黙って答えなかった。


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